精神科医・ミュージシャン、星野概念による解説
誰も自分自身を手放すべきじゃない
「大切なのは余白を持つこと」。そんな言葉で始まり、「人間爆弾」という歌を歌う冒頭の印象的なシーンに続く本作品。歌う人が僕には甲本ヒロトのように見えました。見た目が似ているわけではないのになぜでしょうか。その人は歌いながら「誰も自分自身を手放すべきじゃない」と繰り返し訴えます。
アダマン号は、精神疾患のある人や、その人たちを支える人が過ごす、フランス、セーヌ川に浮かぶデイケアセンターです。冒頭の歌を歌っていた格好良い人も、通院して薬を飲んでいると話していました。
誰も自分自身を手放すべきじゃない。
精神医療に携わっていると、このメッセージの大切さが響かないわけがありません。精神医療は、医療の中でも心に着目する分野と言えます。心とは一体何かというのはなかなか難しいです。その人の気持ち、生い立ち、環境、ネットワークなど、心の姿に関連することは多彩です。きっと、その人そのもののことを心と呼んでも相違ないのではないかと僕は感じます。
心の辛さのある人は、精神医療の短くない歴史の中で、診断という形で他者からの評価を受け、治療が必要と判断されてご自身が望んでいない過ごし方を強いられることが多くありました。これは今でも大きくは変わっていないように思います。でもそもそも、心を診断するなんてでき切るのでしょうか。その人そのもののことを他者が評価するなんて、無理なことのような気がします。人間は、生き物は、とても複雑です。精神疾患のある人は、精神疾患の診断をされている側面がありますが、それがその人の全てではありません。誰しもに、生きづらさにつながる何かしらはあり、それ以外の側面も当然誰にでもあるのです。だから、精神医療の中でかかわるとしても、別に疾患の側面に着目しなくて良いのです。僕はこんな当たり前のことに気がつくのに時間がかかりました。そしてそれ以降、診療という形で人と会うことに前向きになりました。辛いことがあれば我慢せずに話してほしい。それと同じくらい、その人が持つ、素敵さや得意なこと、取り組んでいると楽だったり夢中になれることも教えてほしいといつも思います。
生きていくって全然楽じゃない。でも、悪いことばかりでも意外とない
アダマン号にいる人たちは、そこで芸術活動やカフェ活動をしながら過ごしています。出てくる人たちはそれぞれの好奇心に駆動されて過ごしているからか、異なった魅力に溢れています。人はみんな違います。アダマン号の中は、素敵な個性でいっぱいなのです。もちろん、簡単ではない苦しさもそれぞれに抱えていると思います。疾患自体の苦しさ、そして、疾患のあることが社会に対する負い目のように感じられてしまうことの苦しさも大きいに違いありません。
だからこそ、アダマン号のような場があり、苦しさを持ち寄る感覚が持てたり、感じていることを表現できることはとても大切なことではないかと思いました。作中、ピアノで弾き語る人が、「人は完ぺきじゃない」と繰り返し歌う場面があります。実感のこもったその歌を聴いて、胸が震えました。
生きていくって全然楽じゃない。でも、悪いことばかりでも意外とない。長く、精神疾患の辛さや、社会と食い違う不安、社会から外されてしまう恐怖を抱え続けている人たちが、生き様を通してそんなことを教えてくれる気がするアダマン号。自分がこれまで生きていて寂しくなったり、希望を失ってくじけそうになった時、こんな場所があったら嬉しかっただろうと想像します。きっとこれからもそんな局面はやってきます。セーヌ川に浮かんでいるデイケアセンターという時点で、アダマン号は相当珍しい存在ですが、こんな場所が万が一世界の色々なところにできることがあったりしたら、長らく誰もが探し続けている平和というものが実現されるのかもしれません。
内田也哉子、常盤貴子、谷川俊太郎、山田洋次らがこの奇跡を絶賛!
内田也哉子(エッセイスト)
「セーヌ川に浮かぶデイケアセンターの船」
まるでおとぎ話の舞台のようなほんとうの話。
このフィルムが、ある日常を映し出しているという紛れもない奇跡に、生きることの根っ子を見る。
私と私じゃない人の境目は幻想だということも。
ニコラ・フィリベール監督の平らかな眼差しに、ただ ただ感服する。
常盤貴子(俳優)
議論を重ねて権利を勝ち取ってきたこの国に於いては、
留まるのではなく、常に流れる水の上でこそ
自由に漂うことができるのかもしれない。
セーヌ川に浮かぶアダマン号に集い、話し合う様は、尊い、と思った。
谷川俊太郎(詩人)
面白い! リアルでメチャクチャ面白い! 日本が製作に参加してるのが誇らしい。
山田洋次(映画監督)
この映画は2回見たほうがいい。1回ではこの作者の思いが的確に伝わらないかもしれない。
それくらい対象に対する抑制された、上品な監督の態度があるということだ。
想田和弘(映画作家)
アダマン号、誰もが自然体になれそうな、心地良さそうな空間だなあ。
フィリベール監督らが散歩のついでにぶらりと立ち寄ったような、てらいのない描き方も素晴らしい。
デイケアも映画も、これでいいんだよな。
当たり前のことを、当たり前にやればいいんだ。
茂木健一郎(脳科学者)
映画を通して、一人ひとりの姿がくっきりと浮かぶ奇跡。
自分のユニークな価値すらわからない時代に、私たちはどう「個性」に向き合うべきなのだろう。
「アダマン号」に乗れば、人間そのものにたどり着ける。
白石正明(編集者・医学書院「シリーズ ケアをひらく」)
登場する一人一人が怪しすぎて見惚れてしまう。
瞼のようなブラインドが開いてセーヌの川面が光り、鉄橋を渡る列車の音がぼんやり響く。
なんて贅沢なアダマン号。
さあ、ブルシットジョブを捨てて乗船しよう!
櫛野展正(クシノテラス主宰)
こころの病を抱える人たちが集うデイケアセンター<アダマン号>。
そこに行けば「仲間」がいる。
ここで互いに語り合い、表現し合うことが治癒へと繋がっていく。
薬だけに頼らない「社会的処方」の素晴らしい実践が、ここにある。
木村草太(憲法学者)
なんて多彩な人たちなのだろう。
その声、その眼差し、仕草、紡がれる言葉、そしてメロディーに魅せられた。
船の窓が開く姿も、たまらなく良い。
月永理絵(ライター・編集者)
アダマン号に敷かれたルール、それは、他者を尊重し境界線は曖昧なままにしておくこと。
そのルールに則り、ニコラ・フィリベール監督は最大限の慎みと敬意を持って人々を映しとる。
この美しく気高い場所が世界にありつづけることを、心から願う。
植本一子(写真家)
その人らしくあるために、地上から少しだけ切り離された場所に、ゆらゆらと流れる時間がある。
おだやかなセーヌ川から反射する光が、完璧じゃない私たちを明るく照らしてくれる。
小川公代(医学史・英文学研究者)
近くを電車が走る、川に浮かぶ船。一見どこにでもある風景だが、この船はデイケアセンターで精神疾患のある人々が迎え入れられる優しい場所だった。病の苦しみ、世間の偏見、家族との不仲、別離…。深く傷ついた人たちだからこそ、互いに優しさを差し向けることができるのかもしれない。歌、映画、ダンス、そしてコーヒー。繰り返される日常のなかで詩が生まれる瞬間に立ちあえる。そんな芸術と現実の境界を軽やかに越えてしまう映画があるんだと感動した。生きづらさが増す今だからこそ観てほしい…