トイ・ヨウ×吉田恵里香対談|「多聞さんのおかしなともだち」を、マイノリティの声を描く2人が語り合う

レズビアンの母2人のもと、「誰を愛してもいい」と教わって育ったからこそ「恋愛として誰かを愛する」ことができない自分に悩む主人公・内日うついさんの心情を丁寧に綴った「多聞さんのおかしなともだち」(以下「多聞さん」)。同作は月刊コミックビーム(KADOKAWA)で連載され、単行本上下巻が発売中だ。

コミックナタリーでは著者のトイ・ヨウと、「恋せぬふたり」や「虎に翼」など数々の作品でマイノリティを描いてきた脚本家・吉田恵里香の対談の場をセッティング。誰もが他者と恋愛関係を築くだろうという社会の“恋愛伴侶規範”への問いかけとしても読み応えのある「多聞さん」を軸に、マイノリティの物語を紡いでいる2人だからこその話を聞いた。

取材・文 / ひらりさ

「多聞さんのおかしなともだち」とは

トイ・ヨウ「多聞さんのおかしなともだち(上)」書影

ほかの人には姿が見えない、人ならざるものとの会話を楽しむおかしな大人・多聞と、レズビアンの母たちから「誰のことを愛することも自由なのだ」と教わって育ちながら、恋愛をする気持ちがわからずに悩んでいる内日さん。ある日、内日さんが多聞に教わった言葉を唱えると、その呼びかけに応えて、自分の名前を忘れてしまった不思議な仔“多聞の友達”が現れて……。内日さんと“多聞の友達”は、他愛ない毎日の話や、誰にどんなふうに話せばいいのかわからないと思っていた話を、ゆっくりと語り合う。そんなひと夏の物語。

第1話を読む

マイノリティ同士にもある「わかりあえなさ」

──レズビアンやアセクシュアルなど、セクシュアルマイノリティの人々が当たり前に、“普通”に生活している姿を作品に取り込んできた吉田さん。「多聞さんのおかしなともだち」(以下「多聞さん」)を読んで、どんな感想を持ちましたか。

吉田恵里香 すごく楽しく読みました。「こっちに行きたいなあ」という気持ちになりましたね。

──というと?

吉田 私がメインで手がける映像の世界は、どうしても、それぞれのマイノリティに対する知識がない方を想定して、かなり前提を説明する必要があるんですね。そうすると知っている方や当事者にとってはまどろっこしくなるところがあると思うんです。“教える”くだりが少なくて、いろいろな人がいるというその存在をありのまま、じんわり浸透させていく描き方が素晴らしいなと感じました。

トイ・ヨウ わー、うれしいです……。受け手にどのくらい前提が共有されているのかって、作品のあり方によって全然違いますよね。例えば「人のセクシュアリティを勝手に明かしてはいけない(アウティング)」とか「本人のジェンダーアイデンティティを無視して不当に取り扱ったり、勝手に判断したり、決めつけてはならない(ミスジェンダリング)」とか、当事者同士では広く共有されていることでも、説明が必要になることが多い。でも、「多聞さん」で描きたかったのは、もっとその先にある話で。前提を共有しているマイノリティ同士であっても、さらにこういう日常的な悩みや困りごとがありますよ、という。ただ、当事者ではない人には意味がわからない物語になってしまうのかもしれないという不安はあって、そのバランスはすごく難しかったですね。多くの人に見てもらう作品にも、より個人的な作品にもそれぞれの役割があって、どっちも大切。だからこそ難しい。吉田さんにそこを汲み取っていただけて、うれしい……となりました。

「多聞さんのおかしなともだち」より。
「多聞さんのおかしなともだち」より。

──とても繊細なバランスの上に成り立っている「多聞さん」。このテーマでマンガを描くというときに、すんなり企画は通ったのでしょうか。

トイ 私としては描きたかったテーマをそのまま描くことができました。セクシュアルマイノリティの大人に囲まれて育った子供の物語。マイノリティ同士でもどうしようもなく、わかりあえないと感じてしまうような瞬間はあるよねという物語をずっと描きたかったんです。この企画が実現できると思えたのは、吉田さんが手がけられた作品の影響も大きいです。たとえばアロマンティック・アセクシュアル(※)の人たちを描いた「恋せぬふたり」のような物語がドラマとして放送されているのを見て、こういう作品が広く受け入れられているのだから、私が「多聞さん」を描いても受け入れてもらえるんじゃないかと思えたんです。それでネームを出してみたら、「これで行きましょう」と言っていただけたんですね。

※他者に恋愛的に惹かれない、あるいはほとんど惹かれない恋愛的指向(アロマンティック)と、他者に性的に惹かれない、あるいはほとんど惹かれない性的指向(アセクシュアル)を持ち合わせている人のこと。アロマンティックとアセクシュアルはそれぞれ独立した指向であり、例えば、誰にも恋愛的には惹かれないけれど性的には異性に惹かれる人(アロマンティック/ヘテロセクシュアル)や、どの性別の人にも恋愛的に惹かれるけれど性的には誰にも惹かれない人(パンロマンティック/アセクシュアル)もいる。

吉田 ありがとうございます。「恋せぬふたり」はNHKさんのほうから「アロマンティック・アセクシュアルの方が主人公の物語をやりませんか」とお声がけをいただいて始まりました。ただ、その前から自分の作品に、アロマ・アセクとは明言していないけれど、そうなんじゃないかと感じてもらえるキャラクターを出していたんですね。点をちょっとずつ打っていたら、線になったとでも言いますか、それをメインでやれることになった。0から1じゃなくても、0から0.1でも進めれば、私じゃなくとも誰かがもっと作品として完成度の高いものを作ってくれるだろうという気持ちを持って続けていたので、トイさんから「つながってるよ」という話をいただけたのはすごくうれしいです。

トイ また誰かの作品へとつながっていくといいですね。

「わかるわかる」とつぶやきながら読んだ

──作中、吉田さんにとって特に印象に残ったシーンはありますか?

吉田 映画「キッズ・オールライト」について触れられているシーンですね。レズビアンの両親とその子供たちを取り上げた作品なんですけど、私も上映当時に映画館で観たんです。でも話の展開にちょっと落ち込んで帰ってきたという思い出があって。誰とも話さずそのままになっていたんですが、内日さんがその話をしているのを読んで、まるで内日さんと語り合っているような疑似体験ができました。つい、自分もしゃべりながら読んじゃって。「そうなんだよな~」みたいな(笑)。時間をかけて読みました。

トイ 最高……! うれしいです。

吉田 飛ばし読みできなかったです。何度も戻って「そっかそっか」「わかるわかる」ってつぶやきながら読んで。わかりづらいからじゃなくて、わかるから戻る。人とおしゃべりしてても、同じことってけっこう繰り返しますよね。作品と会話しているような気分でした。

「多聞さんのおかしなともだち」より。
「多聞さんのおかしなともだち」より。

──トイさんはどんなことを大切にしながら執筆されたのですか。

トイ 私はとにかく、内日さんの物語をどう終わらせるかということをずっと悩んでいましたね。人にはさまざまな事情があり、自分のことをどうしても話せないこともある。今も誰にも言えずにいて、このような社会情勢ではいつ言えるようになるかも先行き不明で、不安を抱えている人もいる。そうした人が、内日さんの結末を読んで置いていかれるような気持ちにはなってほしくなかった。言えない、今日はまだ話せないという選択は、あなたのせいではなく、この恋愛伴侶規範が前提となっている社会の問題で、どのような選択も、するしかなかった選択も、決して否定されず、守られていてほしかった。そうあるべきだと思っているよ、ということを伝えたかった。作中、内日さんが「子供時代の自分にどのような言葉をかけたいか」を問われる場面があります。わかりやすい物語にするなら「誰も無理に恋愛しなくていいんだよ」とか「あなたはアロマンティックなのかもしれないよ」なんて言葉になるのかもしれません。でも、そうはしたくなかった。内日さんは、自分のことをアロマンティックと感じていて、明日もこの先もずっとそうなのだと確信しているけれど、過去の自分のことはさかのぼって定義づけたくはないと感じている人なのだと思うんですよね。それに、もしかしたら将来は自分が他者に抱く感情を“恋愛”と呼びたいと思う瞬間やパンロマンティックだと思う瞬間もあるかもしれない。でも今は、少なくとも今日というこの瞬間は、自分をアロマンティックなんだと感じているということ、それ以外はどの可能性も否定したくなくて、内日さんは否定されたくない人なのだろうと思って、このような物語になりました。吉田さんの書かれる物語も、ある人が交流したり対話したりすることで、いいことも生まれれば大変なことも生まれるんだけど、いつも可能性に対してひらけているなって思います。

「多聞さんのおかしなともだち」より。

吉田 ラストのほうで内日さんが、“多聞の友達”から「内日が決められる」って言われるじゃないですか。人生の選択肢は自分で決めるっていうのを私もここ数年、作品のテーマとして根気強く書いてきたし、それはそれで主人公の答えであってあなたの答えは自由だよというのを見せたくて、いろいろ回りくどく書いてきたので、すごく近しいものを感じました。