コミックナタリー PowerPush -「蟲師」
アニメ再始動── 長濱博史監督が明かす8年間
安易にアニメの文法に落とし込まないこと
──監督がマンガ原作でアニメを作る上で、大事にしていることはありますか?
まずはその原作をアニメにする意図や意味、ある種の勝算みたいなものが見つけられるか。アニメ制作には本当にたくさんの人が関わるので、「この作品なら絶対に大丈夫!」という確信がないまま作るのは、すごく危険なことです。
──なるほど。
それを見出せたら、次はスタッフに「このアニメはここを目指して下さい」というゴールを提示します。アニメはたくさんの人たちの頭と手を使って作品を作り上げていくものですが、それぞれの作業は単独作業。最終的に、みんなの作り上げたものが一緒になって完成します。だから、同じゴールを定めておかないと、合わせたときに「なんでこんなに合わないの?」と、当然なります。「サイケデリックな色味を目指してみました」っていう色彩設定の人と、「リアリティのある背景美術を描いてみました」っていう美術監督が描いたものを合わせても、やっぱりバラバラになるじゃないですか。
──作品の方向性を定めておくのが、監督の仕事と。
目標を定めて、ポイントを示してナビゲートする。そうすると、ゴールに何があるか知らなくても、最終的にひとつの絵になったときに「これだ!」ってなるんです。
──では「蟲師」に関してはどういう“ゴール”で作られたのでしょうか。
僕は、「蟲師」はキャラクターが主役の世界ではないと思っています。ギンコそのものではなく、その周りを取り巻く世界が主役の作品だと。だからキャラクターに焦点を当てて、キャラクターだけを表現できれば済む作品ではないということは、何度も話しました。「蟲師」は、とにかく原作を読んで感じる空気感を損なわないアニメにしたかったんです。山奥の湿気とか、海の潮の香りとか、本来、映像やイラストでは伝わらないはずの感覚、原作に散りばめられた作品の世界観や空気感を構成する要素のひとつひとつを大事にしていこうと。安易にアニメの文法に落とし込まないでほしいと。
──アニメの文法、ですか。
現実の動きとは違うけど、アニメだったらこの方がわかりやすいだろう、みたいな表現って結構あるんですよね。デフォルメするというか、記号的な表現というか。でも実際は、そういう既存のアニメの文法に落とし込まなくても、作れるはずなんですよ。中にはアニメの文法に則って作ったほうが良い作品もあると思うけど、「蟲師」は違うと思っていて。以前、「タッチ」の監督の杉井ギサブローさんと雑誌の対談でお会いしたときに、杉井さんに「『蟲師』はすごく良い作品だけど、油断しているとパターンになるので気をつけて」って言われたことがあって。
完全フィクションの世界と、実生活との接点を持たせる
──パターンになる、というと?
何も考えずに、ここはパン(横方向にカメラを振って撮影すること)で、とか、ここはTU(カメラが被写体に近づいていくこと)で、というやり方ですね。演出の人にはよくある癖だと思うんですけど、絵がもたない、とかそういう曖昧な理由で動きを付けてしまう。でもその動きに意味を見出さない限り、むやみに動きをつけちゃいけないと思うんです。僕はもし「ここは何でパンアップなんですか?」って聞かれても、「このキャラのこういう心情を表現するためですよ」って、答えられるようにしてあります。
──すべての演出に意味があると。
はい。それにアニメーターだって、自分の描いている絵に意味がないと、ただ疲れるだけじゃないですか。だから意味をちゃんと説明することも大事ですね。あとは作り手が実感していること。「日蝕む翳」の大八車の場面は、現実感を持たせるために実際にみんなで大八車を引きに行きましたよ。実際に引いてみるとかなり重いんだけど、スピードに乗っかってくると、今度は止まるほうが大変なんだ、とか、発見も多いです。
──やっぱり体感することで絵に現れるんですね。
現れます。鉄砲を持ったことがない人には鉄砲の質感や重さが描けないですし、草履を履いてみると、草履を履いた足がどういう動きをしているのかまで表現できるようになる。体感しておくことはとても大事です。火が熱い、水が冷たいっていうのも、各々が実感しているから伝わるわけですから。
──実感できる要素があれば、共感できると。
キャラへの感情移入とかよく言いますが、感情移入するしないは実は大きな問題ではなく、どちらかというと、キャラたちが直面している出来事だったり、彼らの手触りみたいなものを理解しているかどうかのほうが大切かなと。特に「蟲師」は、時代劇みたいな舞台背景に、コートとシャツに銀髪で片目の男が出てくる、という、完全フィクションの世界じゃないですか。その中に少しでも、我々の実生活との接点を持たせることは大事かなと思いますね。
毎回違うものを提示していきたかった
──2期の構成表を拝見して気になったのですが、「蟲師」には各話ごとにテーマカラーがありますよね。これにはどんな意味があるのでしょうか?
ギンコって劇的に変わらないキャラクターなんです。だいたい同じシャツに同じコートで、季節によってコートを着るか着ないかくらいじゃないかな。でも、ギンコは変わらなくても、「蟲師」の世界の舞台は毎回変わっていくじゃないですか。山間部もあれば南の海もある。それに各話で誰が主軸になるかというと、ギンコではない別のキャラクターです。そこで、各話の世界にギンコを馴染ませる手助けとして、テーマカラーというものを設けた感じですね。
──ギンコのある種の違和感というか存在感を、その話につなげる役割なんですね。
そうですね。例えば1期の4話「枕小路」のイメージカラーは「苅安(かりやす)色」っていう、黄色っぽい色なんですけど、画面全体にうすーく黄色い色味を混ぜているので、ギンコの髪の色が少しだけ黄色がかってる。この影の色の彩度をあげていくと真っ黄色になるんですよ。
──確かに! すごいですね。
明確に「今回黄色の回だ」って認識しなくても、人間の脳はすごく優れているので、前の話のギンコとは違うってことはわかってくれるはずなんですよ。同じ服を着て同じ髪なんだけど、前とは違う。全話のギンコを並べてみたらわかると思います。同じように見えても、全部色が違いますよ。
──なるほど。面白いですね。
ギンコだけは全く変えず、周りの環境が変わっていくっていう見せ方もあったと思うんですけど、毎回違うものを提示していきたくて。そうすれば、ひとつひとつのエピソードが単体で成立するようになるんじゃないかと思うんです。5話から見て1話に戻ってもいい。僕はどこから読み始めても楽しめるのが原作の「蟲師」の魅力かなと思っていますので。
──確かに、アニメの順番って原作の掲載順とは違いますが、全く違和感がありませんでした。
原作の「蟲師」ってスケールの大きな話が続いたりすることがあるんですよ。最終回クラスのエピソードが2連続で来ちゃった!みたいな。あと内容的に悲しいお話が続くこともある。僕としては毎週楽しみにしている人たちに、「前回がバッドエンド、今回もバッドエンド、来週もまたバッドエンド……?」とはならないようにしたくて、順番を変えました。「蟲師」はそれをやっても全く問題がない作品ですしね。実は全話をシングルDVDみたいにして売れないだろうか、という話をしたことがあるんです。話数ではなく、「緑の座」「瞼の光」っていう感じで。
──自分が好きな順番で見られるように?
そうです。自分が好きじゃない話は買わなくてもいい。みんなが自分の「蟲師」のラインナップが作れるくらいがちょうどいいなと。そういうことができたらいいですねって言ってたんです。だから劇伴も毎回変えたんです。
- TVアニメ「蟲師 続章」2014年4月放送スタート!
- TVアニメ「蟲師 続章」
- 『蟲師』特別篇『日蝕む翳』 / 2014年4月23日発売 / アニプレックス
- 『蟲師』特別篇『日蝕む翳』
- Blu-ray 7020円
- DVD 5940円
- 漆原友紀「『蟲師』特別篇『日蝕む翳』」 / 2014年4月23日発売 / 講談社 アフタヌーンKCDX / [漫画] 価格未定
- 漆原友紀「『蟲師』特別篇『日蝕む翳』」
漆原友紀(うるしばらゆき)
アフタヌーン四季賞1998年冬のコンテストにて「蟲師」が四季大賞を受賞し月刊アフタヌーン(講談社)でデビュー。同年、アフタヌーンシーズン増刊(講談社)にて投稿作と同名の連載を開始。現実には存在しない蟲という特殊な存在を用いた、一話完結主体の秀逸な話作りで人気を得る。同作にて2003年に文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、2006年に第30回講談社漫画賞一般部門を受賞。アニメ、小説、ゲームなど多数のメディアミックスがなされ、2007年には監督大友克洋、主演オダギリジョーによる実写映画化が話題を集めた。
長濱博史(ながはまひろし)
1990年、マッドハウスに入社。「YAWARA!」などさまざまな作品に参加した後、フリーランスになる。1996年に「少女革命ウテナ」のコンセプトデザインを担当し、以降はプリプロダクションとしての作品参加も増えていく。2005年には「蟲師」にて初監督を務め、高い評価を獲得。東京国際アニメフェアでは、第5回東京アニメアワードのテレビ部門にて優秀作品賞を受賞した。このほか代表作は、OVA版「デトロイト・メタル・シティ」「惡の華」など。(長濱の「濱」は正しくは旧字体)
(c)漆原友紀/講談社・アニプレックス