シンポジウム「アニメーション表現の可能性」が「第36回東京国際映画祭」の一環として、去る10月29日に東京・東京ミッドタウン日比谷BASE Qにて行われた。シンポジウムには
ルーツの異なる4人の監督が語る、アニメーションへのアプローチ
監督たちのアニメーションへの向き合い方と、その先にある可能性について聞くこのシンポジウム。まずアニメーションへのアプローチについて聞かれると、ルーツの異なる4人の監督がそれぞれ独自の手法を紹介した。映画「クレヨンしんちゃん」シリーズや「
アニメーターとしてのキャリアを経て監督となり、10月に「
日本のアニメーション制作現場の現状
実写とアニメーション両方の制作経験を持つ原監督は、両者の違いを実写は画面から不要なものをなくす“引き算”、アニメーションは何もない空間に描いていく“足し算”と表現。実写の利点については「スケジュール通りに仕事を終わらせられること」と発言し、会場からは笑いが起こる。しかし「今の日本のアニメーションの現場は、もう誰に聞いても悲惨な状態です」と真剣に話し出した。絵が上がらずスケジュールが伸びてしまうほど多忙な状況がどのスタジオでも起こっている中「こんなに作る必要があるのか」と思うこともあるという。しかし、稀に生まれる大ヒット作品の影響により、アニメーションが作られるスピードは止まらないのだと問題視した。人員不足の問題にも触れ、話題はアニメーターの育成に発展。3D技術の発展と普及により、原はレイアウトが描けない若手アニメーターが増えているとを指摘する。正確な3Dでのレイアウトに対し、手描きは正確でないからこそ印象的な構図が生まれること、そして「まさにそれがアニメーションなんです。いい嘘をつくんです」と力説した。
片渕監督も、昨今では絵としての面白さより正確さが優先されていることに共感。「
アニメーション制作においての魅力的な空間作り
レイアウトの話を受け、話題はアニメーションの空間作りに関するトークに発展した。「積極的に嘘をつきましょう」と言うのは板津監督。「北極百貨店のコンシェルジュさん」を例に挙げ、複数の空間は設定を作り込みすぎず、美術のスタイルによって同じ場所だと認識できるようにしたと話す。空間のつながりも曖昧にし、受け手が描かれている場所の位置関係をあえてわからない状態にすることで、“とても広い場所”であることを表現したと解説。この手法については「ルーズだけどセンスが求められる作業」と表現した。同じく「かがみの孤城」で空想の空間を描いた原監督は、原作で城に関する具体的な描写が少なくどう描こうか悩んだと明かす。そんなとき目に入ったのはテレビに映った岩のタワーのようなオーストラリアのボールズ・ピラミッド。わずかな原作の描写とつながりを見つけ「これだ、この上にお城を作ろう」と思ったと制作当時を振り返った。
パブロ監督は、映画を鑑賞者が旅行した気分になれる“トラベルマシーン”と表現。原作では明言されていないながらも「ロボット・ドリームズ」は1980年代のニューヨークへのラブレターだと感じたそう。ニューヨークを知るスタッフの意見や自身の記憶をもとに、ホットドッグ屋やアパートの雰囲気など当時の景色を細かく再現。1980年代の景色を知らない鑑賞者に当時のニューヨークを見せることができればと考えたと語った。パブロ監督の“トラベルマシーン”の表現に同意した片渕監督。「つるばみ色のなぎ子たち」では、平安京の碁盤状で平坦な道が退屈に映るのではないかと懸念したという。ところが実際の京都へ行くと道には傾斜があり、その面白さに気づいたことから画作りが変わったと取材から得る情報の重要さを示した。ちなみに、その気づきにより作品は現在大転換中とのこと。取材の重要性の話に続き、原監督は「百日紅(さるすべり)~Miss HOKUSAI~」制作時に江戸時代を調べたことを振り返る。いろいろな浮世絵も見たがすべてがデフォルメされており、ものの大きさなどが参考にならなかったときの心情を「『誰か1人くらいリアリズムで絵を描こうと思ったやつはいないのか』と思ったよ」と述懐すると会場からは笑いが起こった。
アニメーションに感じる可能性と、今後手描きアニメーションが生き残る方法
アニメーション制作において「現在手付かずで可能性を感じている部分は」と聞かれると、片渕監督は「自分が作っているものはすべて手付かずで、ある意味異端」と自己分析する。しかし、だからこそアニメーションの領域が広がっていくこと、そしてそれこそが自分たちの仕事であると力説。領域を広げ続けることが後の人の役に立つのだと未来を見据えた。パブロ監督はアニメーションはジャンルではなくメディアであると強調し、いろいろな技術で作ることができると強みを伝える。絵が描けない自分でも、いろいろな技術や人と共同作業することで、際限なく多彩な作品を生み出すことができると可能性の広さを示した。
これから挑戦したい領域を聞かれた原監督。技術の発展によりアニメーションの背景が日に日に写真に近くなっていると述べ、それがいいこととは限らないとしつつも、その密度に惹かれている、と抱えているジレンマを明かす。しかし、アニメーションにおける過度なリアリズムの行き着く先は面白くないものになるだろうと言い切った。原監督は、アニメーションに最初にリアリティを取り込んだタイトルは、100円ライターや実在の車種が登場する「ルパン三世 カリオストロの城」だと思っているという。そしてリアリティ表現は「ルパン三世 カリオストロの城」以前のように戻すことは難しく、これ以上進めることへも危機感があると示した。
来場者からの質問に答えるコーナーでは、AIや3Dの技術が進歩する中で、手描きの技術が生き残る可能性について質問が飛び出した。片渕監督は「新鮮に反応していただければ、それがずっと生きていく。伝統芸能の形式に陥らないで、また新しいもので驚かせてやろうという意欲になってくる」と、2Dアニメーション表現への鑑賞者の反応も重要であると訴える。一方、アニメーションにはものまねに近い喜びがあると話すのは板津監督。アニメーションは知らない誰か、何かを描いても「いそう」「ありそう」という感覚を与えることが得意であると話し、その立ち位置は不変であると述べた。
原監督は子供の頃に観た「巨人の星」で、星飛雄馬投げた大リーグボールをライバルの花形満が打ち、ホームランを放つシーンに衝撃を受けたことを振り返る。その後、学校で友人たちと「巨人の星」の話題で大盛り上がりしたという思い出を懐かしみながら「そういう技術がある限り、アニメーションの存在意義があるんじゃないか」と、驚きを与えることの重要性を述べた。板津監督も「巨人の星」の同シーンについて、当時観ていた子供たちは「やってみたい」と思うような場面だったと述懐。このシーンは今見れば滑稽に映るかもしれないが、自分たちが今作っているものも数十年後には滑稽に映る可能性があると想像しつつ「そういった表現の根となるものを演出家としては思いつきたい」と思いを語った。アニメーションへのアプローチ方法から手描きアニメーションの未來まで話が発展したシンポジウムは約1時間30分におよび、熱気冷めやらぬ中幕を閉じた。
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【イベントレポート】原恵一・片渕須直らが語るアニメの可能性、手描きの強みは“いい嘘”がつけること
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