日本を代表する音楽プロデューサーとして多くの名曲を手がける亀田誠治。古くからのサザンファンである彼に、桑田佳祐の魅力について話を訊いた。
取材・文/大山卓也 撮影/中西求
サザンの登場に世の中の閉塞感を打ちのめすパワーを感じた
──そもそも亀田さんが桑田さんの音楽に初めて触れたのはいつですか?
最初はサザンのデビューのときですね。僕が中学2年の頃だったと思います。当時のテレビの歌番組ってやっぱりいわゆる歌謡曲が主流で、中にはロックをやっている人たちもいたんですけど、当時はまだアメリカから入ってきた洋楽をなぞって、よそ行きの服を着せられてるような感じがしてたんです。そしたらサザンがいきなり「勝手にシンドバッド」で出てきて「なんだこれは!」と(笑)。それまで存在していなかった音楽が、いきなり登場した。なかったものが出てきたんですよね。
──サザンのどこに衝撃を受けたんでしょうか?
とにかく楽しそうなんですよね。音楽自体も楽しいし、やってるメンバーも楽しそうだし。「青山学院大学の同級生で」とかって聞くと、そんなふうに学校の仲間とバンドを組んで、テレビに出て楽曲が日本中でヒットして……って、なんて素敵なんだろうと思って。
──中学時代の亀田さんの価値観を大きく変えたわけですね。
THE BEATLESやエルヴィス・プレスリーが出てきたときもきっとそんな感じだったと思うんです。今まであった規則や若者たちを締めつけてるものを全部はねのけてくれるような新しい音楽が登場した。だからほんとにワクワクした。それにサザンにはなんか距離感の近さっていうか、気取ってない、おバカさ加減もあって。サザンのそういう面がいわゆるバンドミュージックを思いっきりユーザーに近づけてくれたんだと思います。初めてだったんじゃないのかな。歌謡性の中にものすごくオープンなマインドがあるっていうの。
──歌番組で観るだけじゃなくレコードも買ったりしてました?
してました! 僕はその頃全米TOP40マニアで、本当に洋楽にのめり込んでる少年。早熟すぎて、学校で自分の好きな音楽の話をしても、周りはキャンディーズがいいとかピンク・レディーとかいいとか言ってて、誰とも話が通じなかった。そんな時期だったけど、それでもサザンは刺さったんですよね。
──サザンが特別だった理由ってなんなんでしょう?
普遍性じゃないですかね。世の中の閉塞感みたいなものを打ちのめしてくれるパワーを、いわゆるヘビーなロックでもパンキッシュな音楽でもないけれども、ポジティブな力を桑田さんとサザンオールスターズが持っていたっていうことだと思うんです。
「真夏の果実」が僕の人生を変えた
──中学のときの出会い以来、サザンとの距離感はどんな感じでしたか?
そうですね、つかず離れずっていう感じだったと思います。KUWATA BANDが始まったときは衝撃を受けましたし。でもね、僕はそのあともう1回サザンと恋に落ちるんですよ。それが「真夏の果実」なんです。「真夏の果実」は僕にとってJ-POPの中で5本の指に入るほど愛してる曲で、今でも大好きです。
──リリースは1990年ですね。
「真夏の果実」がリリースされたときは、僕はまだアマチュアとプロの境目ぐらいの年頃だったんです。ようやく音楽が仕事になりはじめたっていうくらいの。そのときにね、「真夏の果実」のイントロを聴いて、ラジオから流れてきた♪ソ・ド・ソっていうそれだけのメロディなんですけど、それを聴いた瞬間に鳥肌が立って「誰の曲だろう?」って思ったら、桑田さんの声が聞こえてきて「これサザンなんだ……!」って。
──強烈な体験ですね。
「真夏の果実」は桑田さんと小林武史さんとの共同プロデュース作品なんですけど、そこでサザンオールスターズの底力をもう1回感じるとともに、プロデューサーが入るとすげえんだなって。
──プロデューサーの存在をそこで初めて実感したわけですね。
うん、本当にあの曲で僕の人生が変わった。それまでも音楽が大好きで、曲も作るしアレンジもするし、ベースも弾くしっていう形で、ようやくプロとしての活動が始まってたんですけど、プロデュースするっていうのは、なんかモヤーっとしててなんのこっちゃいまいちつかめていない感じだったんです。だからそのときに初めてプロデューサーの重要さを改めて理解して。プロデューサーによってこんなにも音楽は生き生きと表情を変えるんだ、新しい息吹が吹きこまれるんだっていうのを「真夏の果実」で知ったんです。だから「真夏の果実」は僕に「亀田誠治、お前は音楽プロデューサーを目指せ」っていうきっかけを与えてくれた曲。それぐらい感謝してるんです。「真夏の果実」がないと今の僕はないんです。
──そんなに強い思い入れが。
今でもラジオとかでかかると本当にうれしくて、ちょっと涙が出るくらい。あの頃の一連の、桑田さん×小林さんのプロデュース作品は特に好きですね。「希望の轍」とかもそうですし。
──確かにあの頃サザンがまたどこか鮮やかに聞こえてきたという感覚はありましたね。
そう、“鮮やか”って言葉がピッタリだと思う。もともと明るくてカラフルな、ポジティブなパワーを持ったバンドなんですけど、小林さんの手が加わることによって、それに陰影のグラデーションがつくようになったっていうか。なんか深みが増したんですよね。
──なるほど。その体験が今の亀田さんにつながっていく、と。
うん、だから「サザンなくしてプロデューサー亀田誠治なし」ですね。
桑田さんは“覚悟のできてるアーティスト”の頂点
──亀田さんは2009年のフェス「SWEET LOVE SHOWER」で桑田さんと共演されてますね。桑田さん率いるバンド「桑田佳祐 & SUPER MUSIC TIGERS」のベーシストとして。
はい。2万人のお客さんの前で桑田さんと一緒に演奏しました。サザン時代の曲から新しい曲まで演奏したんですけど、どの曲をやってもお客さんが大歓声を上げて大喜びで。これってすごいことだと思うんです。もちろん桑田さんの千両役者のようなパフォーマンスのすごさもあるんですけども、とにかくやる曲全部がみんなの頭の片隅に思い出の曲として色あせずにインプットされてる。この強みっていうのは、もう圧倒的ですよね。
──プレイヤーとしてバンドに参加するという話が来たときにはどんな気持ちでしたか?
マネージャーに「何がなんでもご一緒したい! 俺の重要ミッションだ。絶対やる!」って。(松田)弘さんと一緒に演奏できるとも思ってなかったし、原(由子)さんと同じステージに立つっていうのもね。あの伝説の瞬間に僕がご一緒できたのは本当にうれしかったです。
──あのサザンのメンバーですもんね。
テレビの向こうにいた、僕の人生を変えてくれたサザンオールスターズのメンバーと一緒に音を出せるっていうのは、ほんとに幸せでしたよね。
──あの日のライブはヒット曲連発の、誰もが楽しめる一大エンタテインメントショーでしたもんね。
でしょ? エンタテインメントをやりきる。その潔さがカッコいいんですよ。僕ね、基本的に覚悟のできてるアーティストが大好きで、もう自分がこう行くんだって決めてるアーティストってのは本当に魅力的で、桑田さんはそれの頂点かな。
収録曲
- 現代人諸君(イマジン オール ザ ピープル)!!
- ベガ
- いいひと ~Do you wanna be loved ?~
- SO WHAT ?
- 古の風吹く杜
- 恋の大泥棒
- 銀河の星屑
- グッバイ・ワルツ
- 君にサヨナラを
- OSAKA LADY BLUES ~大阪レディ・ブルース~
- EARLY IN THE MORNING ~旅立ちの朝~
- 傷だらけの天使
- 本当は怖い愛とロマンス
- それ行けベイビー!!
- 狂った女
- 悲しみよこんにちは
- 月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)
初回限定盤DVD収録内容
- アルバム「MUSICMAN」の楽曲が生み出される制作現場に密着したドキュメント映像や、ミュージックビデオの撮影風景に加え、新たに撮り下ろした楽曲を含む、ミュージックビデオ6曲を収録!!
初回限定盤BOOK収録内容
- "MUSICMAN'S NOTE" 桑田佳祐本人による全曲セルフライナーノーツ、最新インタビューを収録!! さらに、参加ミュージシャンやエンジニア、スタッフによる、ここでしか知り得ないレコーディング秘話も掲載。全104ページに及ぶボリュームで、アルバム「MUSICMAN」を追求!!
桑田佳祐(くわたけいすけ)
1956年2月26日生まれ。神奈川県茅ケ崎市出身。
1978年サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」でデビュー。デビューして以来フロントマンとして、またソロアーティストとして常に日本のミュージックシーンのトップを走り続けている。
ソロ名義では、1987年リリースの「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」で活動を開始。以降ソロ活動も精力的に続けており「波乗りジョニー」「白い恋人達」「明日晴れるかな」などヒット曲も多数。2011年2月23日には約9年ぶりのオリジナルソロアルバム「MUSICMAN」をリリースする。