WOWOW「劇場の灯を消すな!本多劇場編」|これぞ下北!笑いと熱と挑戦がたっぷりの収録レポート

神田伯山も絶賛、宮藤官九郎&荒川良々の新作講談

荒川良々

「本多劇場編」の最後に収録されたのは、荒川良々による講談だ。収録の少し前になると講談師の神田伯山が姿を現し、宮藤や細川らと挨拶を交わす。今回の収録に際し、荒川は伯山から講談指導を受けており、本番の様子を伯山は見届けに来たのだった。宮藤が脚本を手がけたテレビドラマ「タイガー&ドラゴン」、大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」でも落語家の役を演じている荒川は、和服姿で金屏風前にしつらえられた高座に上がると、無観客の客席をぐるりと見渡してから、スルスルと読み始める。張扇を打つ姿も堂々と、1人で数役を演じ分ける姿に、現場にいる誰もがグッと引き込まれていく。

今回荒川が披露したのは、本多劇場のオーナーで本多劇場グループ代表・本多一夫の半生を描いた新作講談。伯山が真打ち昇進襲名披露興行で披露した「中村仲蔵」に想を得て、宮藤が初めて書いた講談の台本だ。本多劇場で「母を逃がす」舞台稽古中の顔田顔彦は、演出の松尾スズキに「本番で笑いを取れ」と言われ、途方に暮れながら下北の街をさまよう。しかし、ふと入ったジンギスカン屋で、ある老人に話しかけられ……。

ほとんど言いよどむことなく1回目の収録が終わると、伯山は「すごく良かった。めちゃくちゃ面白かった」と荒川と宮藤に声をかけ、2人はホッとした笑顔を見せる。2回目の収録を前に、伯山のアドバイスを受けて宮藤が、あるセリフの語尾を「少しだけ変更したい」と荒川に告げると、荒川は「はい」と静かに受け止め、そのまますぐに2度目の収録へ。2度目で荒川は、変更されたセリフはもちろん、中盤のアドリブが入る部分で1度目の収録より面白いエピソードを盛り込むなど、余裕すら感じさせた。終演では、劇場内にいる誰もが心からの拍手を荒川に送り、荒川は誰もいない客席に深くお辞儀すると、すっと舞台をあとにした。

演劇ジャーナリスト・徳永京子が語る、本多劇場

「劇場の灯を消すな!」シリーズでは、演劇ジャーナリスト・徳永京子がオフィシャルライターを務める。徳永から見た“演劇界における本多劇場”、そして宮藤官九郎と細川徹の“責任編集”による今回の特集の見どころは?

一般の人には難解で近寄りがたいイメージのあった小劇場演劇が、一気に高い人気を得て広まったのが1980年代に起きたブームですが、それを大きく牽引したのが本多劇場です。近年は、創作環境や企画力などの面で公共劇場の存在感が大きくなっていますが、以前の日本の演劇は、基本的に民間の劇場が支えていて、82年にオープンした本多劇場は、81年誕生のザ・スズナリとともに“新しい時代の演劇”の象徴だったと思います。当時すでにビッグネームだった唐十郎さんや別役実さんの作品も上演され、演劇の歴史を刻む役割も担いながら、80年代は野田秀樹さんや鴻上尚史さん、90年代は岩松了さん、宮沢章夫さん、松尾スズキさん、ケラリーノ・サンドロヴィッチさん、2000年代は倉持裕さんや赤堀雅秋さんなど、時代ごとの新しい才能が意欲作を発表してきました。そういう才能の循環があったのは、徒歩圏内に多くの劇場が集まっているのが理由だと思います。本多劇場グループには、本多劇場のほか、ザ・スズナリ、駅前劇場、OFF・OFFシアター、「劇」小劇場、小劇場楽園、シアター711、小劇場 B1と、8つの劇場がありますが、そのおかげで、演劇を作る人同士、また、演劇を作る人と観る人がお互いを具体的に認識し、切磋琢磨したり活発に交流したりするようになった。今はSNSが発達していますから、離れていても「演劇をやっている者同士でつながりましょう」と言えばそれができますが、かつては、たまたま見かけるとか、評判を耳にするとか、チラシを目にするといったことが大きな意味を持っていて、下北沢はそれがわかりやすく可視化されており、本多劇場はその中心であり、目標となった劇場です。

“小劇場すごろく”(編集注:小さな劇場から大きな劇場へ“上がって”いくことで、動員数の増加が人気の証とされる考え方)という言葉をネガティブに捉える流れがあって、確かに、大人数や広い空間を相手にすると取りこぼされてしまう繊細な表現があり、経済的な負担が増える現実もあります。特に今のように大勢で集まることが難しくなった状況下では、たくさんの人に観てもらうことが創作のゴールという考え自体を見直さなければなりません。でも「いつかあの劇場でやりたい」という明確な目標を持つことは、作り手が、自分たちはどういう演劇を作って、どのくらいの人に観てほしいかを具体的に考えるうえで、とても重要な指針だった。また、本多劇場もザ・スズナリも、お金を出してスケジュールさえ抑えれば誰でも上演できる劇場ではありません(編集注:本多劇場グループでは劇場使用の問い合わせがあった団体に対して、使用可否を劇場独自の基準で決定していた。なお2020年度からは公募制を取っており、劇場のプログラムオフィサーが応募プログラムを決定している。参照:本多劇場が2020年より公募制導入「新たな創作者を受け入れるための1つの宣言」)。そういう意味でも、演劇を続けていくモチベーションが、作り手にいい形で示されている劇場ではないかと思います。

中央左から宮藤官九郎、細川徹。

本多劇場の特徴として忘れてはいけないのが、公演した団体、舞台に上がった人たちの多くが「またここでやりたい、立ちたい」と言うこと。例えば宮藤(官九郎)さんですが、以前インタビューで「舞台の脚本を書いているとき、無意識に本多劇場のサイズで舞台美術や役者の導線を頭に置いている」とおっしゃっていて、それは本多劇場が使いやすい、演じやすい、伝えやすいということであり、だから好きということだと思うんですが、そこまで作り手に思わせる劇場ってなかなかないんじゃないでしょうか(笑)。また本多劇場は観客にとっても、観やすく、音が聞こえやすく、駅からも近くて、演劇を快適に観られる劇場の代表です。これは本多劇場グループ全体に言えることですが、トイレなどの使い勝手も頻繁に改善されていて、観客目線を常に忘れていないんですよね。

コロナ禍で多くの劇場が大変な状況になっている中、本多劇場はいち早く果敢に、コロナ対策を始められました。感染防止対策についてご自分たちでテストを実施され、他の劇場にも声をかけたり、無観客で配信する「DISTANCE」シリーズをプロデュースされ、地方にツアーに出たり……。実はこれは私にとってかなりの驚きでした。というのも、本多劇場グループは劇場として演劇を支えてきた歴史を大事にし、下北沢に劇場をつくることを誇りにしていらっしゃったので、配信や映像には消極的で、孤高の存在であり続けるのかと思っていたからです。でも、私が考えていたよりずっと広い視野で演劇全体を捉え、大胆に発想を転換し、行動に出られた。それは、多くの人たちが「本多劇場が好きだ」「また本多劇場でやりたい」と思うことと通底しているんでしょうね。今回の放送で、40年近い歴史を持ちながら本多劇場が今も最前線であり続けているのだと感じてもらえたらと思います。

前列左から赤堀雅秋、岩松了、倉持裕、中列左から細川徹、宮藤官九郎、後列に三宅弘城。

これまでの「劇場の灯を消すな!」シリーズでは、「Bunkamura シアターコクーン編」で芸術監督・松尾スズキさんの頭の中、「サンシャイン劇場編」で劇団☆新感線の総合力が伝わってくる内容でした。今回はスペシャル座談会コーナーに岩松さん、倉持さん、赤堀さん、宮藤さん、細川徹さんと、所属の異なるさまざまな劇作家が登場していることが、本多劇場らしさですよね。「コクーン編」でも「サンシャイン劇場編」でも、バカバカしいことを大の大人が真剣にやっていることが共通していましたが(笑)、「本多劇場編」はそこに風通しの良さを感じます。その大きな要因は笑いでしょう。宮藤さんと細川さんが監修されていることと同時に、この劇場そのものが、どんな笑いも許容するゆとりがあるのではないでしょうか。

9月に入って劇場での上演作品がいきなり増えてきました。感染症対策についてはどこも本当にきちんとやっていらっしゃるのでその点の不安はなく、できるだけ劇場に行くようにしていますが、予定を入れる段階でも劇場でも、以前とは違うことだらけですよね。連絡先を主催者に伝えたり、1席ごとに座ったり、アンケートはQRコードだったり。入場者の上限は少しずつ緩和されるでしょうが、配信と上演が並行する上演形態は一般化し、SNSを媒介にした作り手と観客のコミュニケーションが増えていくなど、定着していく新しいスタイルもあると思います。その一方で、観劇の習慣が途切れてしまい、もう“戻ってこないお客さん”がいる気がしていますし、演劇のダイナミズムや不特定多数の人と共振する快感はますます弱まっていくだろうとも考えています。コロナの後遺症のニュースを最近聞くようになりましたが、それは演劇界にもきっと出てきますね。

荒川良々

2020年10月23日更新