TRUMP series Blu-ray Revival|8タイトルの“美麗映像”、8カ月連続リリース!末満健一とたどる「TRUMPシリーズ」の足跡

末満健一のライフワーク的作品「TRUMPシリーズ」より8タイトルの“美麗映像”が、Blu-rayで蘇る。

「TRUMPシリーズ」は、不死を失った吸血種たちが、永遠の命を持つ原初の吸血種“TRUMPトランプ”の不死伝説に翻弄されるさまを描いたゴシックサスペンス。「TRUMP series Blu-ray Revival」と銘打たれた本企画では、まだBlu-ray化されていない6タイトルを含む8作品のBlu-rayが、8カ月連続で発売される。本日6月16日には、「TRUMP series Blu-ray Revival」の第1弾となる「Dステ12th『TRUMP』TRUTH」がリリースされた。

「TRUMPシリーズ」の生みの親である末満は、1万5000年以上におよぶ壮大な大河ドラマをどのように具現化し、世に送り出しているのか? 2013年の「Dステ12th『TRUMP』」から、2019年に同シリーズの10周年記念公演として上演された「COCOON 月の翳り」「COCOON 星ひとつ」に至るまでの制作秘話を聞いた。

取材・文 / 興野汐里 撮影 / 藤記美帆

悩める演劇青年たちと作った、二度と手の届かない芸術

──「TRUMPシリーズ」の礎となった「TRUMP」は、末満さんが主宰するピースピットで2009年に初演され、その後、「TRINITY THE TRUMP」のタイトルで2012年に再演されました。D2(現在はD-BOYS)メンバーが総出演した2013年の「Dステ12th『TRUMP』」には、西井幸人さんがソフィ・アンダーソンを演じたTRUTH版と、三津谷亮さんが同役を演じたREVERSE版があり、6月16日にはTRUTH版、7月21日にはREVERSE版のBlu-rayが発売されます。またこの「Dステ12th『TRUMP』」は、それまで大阪を拠点に活動されてきた末満さんにとって、東京の演劇界、そして商業演劇に進出するきっかけの1つになった作品です。

末満健一

当時まだ、外部で仕事することに慣れていなかったのと、東京でお芝居をやっている若い男の子たちと作品を作るのが初めてだったので、それはもう恐る恐るでした。完全におのぼりさん状態で(笑)。でも、実際に目の当たりにした彼らの現場はある意味で衝撃的でしたね。

──例えば、どのようなことに衝撃を受けたのでしょう?

キャストが全員男性ということと東京の芸能界という先入観で、体育会系かつイケイケの芸能人的な現場を想像してたんですけど、そんな無粋な想像とは裏腹にみんな純朴で。僕がやってきた小劇場となんら違いはなかった。糸が絡まっては解きほぐし、ほぐれないなら絡まったままでどうするか、というような作業を、悩める演劇青年たちとしていきました。

──“糸が絡まる”というのは、D2の皆さんが「TRUMP」に対する理解や、それぞれが演じる役の解釈に苦労していたということでしょうか?

「TRUMPシリーズ」は、繭期っていう設定が特にそうなんですが、「感情って理屈じゃ説明できないよね」ということを可視化したファンタジー作品なので、「TRUMP」(2009年)を執筆した際にはそもそも感情の変化や発露の仕方にあえて整合性を持たせていなかったんです。役者たちが、そういう“感覚的で不合理な感情の流れ”を理詰めで追求していこうとすると、そこには壁があったんだろうと思います。「なんでこんなことを言うんだろう」「なんでこんなことをするんだろう」「……わからない!」って。D2に限らずですが、人って、わからないからこそ頭で考えて解決しようとして、思考の迷路に迷い込む。こと「TRUMP」においては、迷路の入り口から出口に向かう作業ではなく、気が付いたら入り口も出口もない迷路の中をさまよっている。さまようことこそが目的なんです。それはもしかしたら、演技のセオリーからは逸脱することなのかもしれません。その逸脱を、演出家と役者が共犯関係でもって成立させるのは至難の技です。当時、僕は大阪から出て来たばかりの新参演出家で、D2のメンバー全員と「初めまして」の状態。それでいきなりディープな創作作業に突入したので、「難しく考えなくていいよ」「なんとなくの感覚でやってみて」と伝えようとしてはみたものの、実体のある言葉としてそれを届けることに千思万考の日々でした。

──当時のD2の皆さんは、「TRUMPシリーズ」に登場するキャラクターの中でも、最も不安定な“繭期の吸血種”という難しい役どころを演じました。

Dステ12th「『TRUMP』TRUTH」より。©2021 WATANABE ENTERTAINMENT

そうですね。D2というチームがオールメンバーで1つの作品を作るのは、確かあれが初めてだったと記憶しています。しかもTRUTHとREVERSEの2バージョンがあり、相方が自分の役を演じて、自分が相方の役も演じる。普通なら、そんな比較対象がいるような見え方は嫌ですよね。当時の彼らは年齢も若いしキャリアも浅く、思春期の残照が色濃く残るような年頃でした。なので、いろいろな感情が渦巻いていたんじゃないかと思いますが、結果的に、繭期という状態がとてもリアリティを伴うことになりました。彼ら的にはもしかしたら、自分の演技を納得のいく形でコントロールできずに悔しい思いをした作品だったかもしれない。その反面、こちらとしてはむしろアンコントロールであることを求めてもいた。そのうえで作品に表出したのは、鮮烈で、愛おしくて、良い意味でグチャッとした、言語化できないすごみのある、とてつもなく魅力的なものでした。あのときの「TRUMP」は、彼らにとっても僕にとっても、自分の至らなさに苦い思いをした経験になっているかもしれません。だけど、じゃあ今、経験を積んで技術も身に着けた彼らと僕とで、もう一度あれを再現しろ、いや、あれを超えるものをやれと言われても、無理なようにも思います。あれはあの一瞬だからこそ成立させることができた、今となってはもう二度と手が届かない芸術でした。高校野球の尊さをプロ野球では実現できないのと似ているのかもしれません。人と人とが一緒になって演劇を作る、その難しさと面白さを両方を味わった作品です。

──「TRUMP」は、ピースピット時代から配役を変えて上演していましたが、TRUTHとREVERSEという枠組みを設けた狙いはどのようなところにあったのでしょう?

Dステ12th「『TRUMP』TRUTH」より。©2021 WATANABE ENTERTAINMENT

「TRUMP」を初演した頃、僕の周囲ではリピーターを増やすことを目的としたキャスト替え公演が多かったんです。集客のために工夫することは大切なことですが、作品性とは関係なく、興行的な理由だけでWキャストというのが、当時の僕にはもったいなく思えてしまって。そこに必然性があれば、1つの作品で1つの役を2人なり複数なりのキャストが演じることの面白さが出てくるんじゃないかって。じゃあ、必然性のあるWキャスト公演を自分でやってみよう、というのがとっかかりでした。それで生まれたのが、二項対立的なキャラクター同士で役を交換し合う、という形です。役者からすれば「セリフと段取り、2倍覚えなあかんやんけ……」という話ですが(笑)。

「TRUMP」は何度も上演させてもらっていて、必ずTRUTHの稽古から始まります。だからTRUTHがオーソドックスなバージョンで、REVERSEはそこからいかに歪みながら物語を成立させられるかにトライしていくことになります。同じセリフや同じやり取りでも、キャストが変わることでアプローチも変わり、作品の表情が違って見えてくる。ただの役替えではなく、相関関係の深い2つの役を2人の役者がシェアすることで、独特の共鳴作用のようなものが生まれる。そういう感覚はそれまでに味わったことがなかったので、初演時の稽古は新発見の連続でした。お客さんに意図をわかりやすく伝えるために、“Wキャスト”ではなく“リバースキャスト”と称していましたね。

──なるほど。そのような意図があったんですね。

Dステ12th「『TRUMP』REVERSE」より。©2021 WATANABE ENTERTAINMENT

物語の終盤、ある登場人物が「生まれ変わったら僕は君になりたいな」というセリフを残して事切れる、という場面があります。次の回では「君になりたいな」という願いの通り、役が入れ替わるという、“演劇的輪廻転生”を構造に取り入れもしました。初演時にふと浮かんだ、「千秋楽には“次の回”がないから、あのセリフはないほうがいいよな……」という考えが必然のように思えて。「なりたいな」と言ったのに、“なれない”のは無慈悲じゃないですか。だから、千秋楽だけ「なりたいな」の部分をカットしようと考えていたんです。でも、うっかりそれを役者に伝えないまま、千秋楽の本番が始まってしまいました。これは「『TRUMP』を再演しろというお告げかな」と自己解釈していましたね(笑)。その2年後に再演をして、無事に千秋楽に「なりたいな」をカットすることができて、「ああ、ようやく『TRUMP』を終わらせることができた」と感慨深かったんですが、まさかその翌年にDステでやることになるとは……といった感じです。

“萬里の死の帰結”が腑に落ちた、「SPECTER」再演

──8月18日には、2015年に上演された「Patch stage vol.6『SPECTER』」のBlu-rayがリリースされます。「SPECTER」では、「TRUMP」からさかのぼること14年前、ネブラ村で起こった連続殺人事件を追うヴァンパイアハンターの臥萬里ガ バンリ石舟セキシュウを軸にした物語が描かれ、萬里役を中山義紘さん、石舟役を三好大貴さんが演じました。

Patch stage vol.6「SPECTER」より。©2021 WATANABE ENTERTAINMENT

Dステ版「TRUMP」(2013年)と演劇女子部「ミュージカル『LILIUM -リリウム 少女純潔歌劇-』」(2014年)がきっかけで、「TRUMPシリーズ」を知ってくださる方が倍々に増えたタイミングでの公演でした。劇団Patchの公演として企画した「SPECTER」も、「あのシリーズの新作をやるらしいぞ」と注目していただいて、劇団初の全公演チケット完売という状況になったんです。だから、劇団Patchのメンバーには「『TRUMP』『LILIUM』からの流れで、失敗できないぞ」と、余計なプレッシャーを与えてしまったかもしれません。ですが、まだこれからという劇団にとっては、その注目がチャンスでもありました。僕は僕で、「もっとこのシリーズを知ってもらわないと」と気合いを入れて、頼まれもしてないのにパンフレット用に短編小説を書いたり年表を作ったり、おまけのメイキングDVDの撮影と編集もしたりしていましたね。あのとき年表を作ったことが、その後「TRUMPシリーズ」が展開する大きなきっかけになりました。短編小説で、世界観に横の広がりを持たせ始めたのもきっかけの1つかもしれません。当時はただ単に、「パンフレットを手にしてくれたお客さんが楽しめる読み物を」というサービス精神だけでした。なんにせよ、あのときパンフレットに掲載した短編小説と年表が、今につながっています。あれ以降、「次のパンフレットでも小説と年表はあるよね」と、そこはかとなく期待されるようになって、自分で自分の首を締めることになりましたが(笑)。

──「TRUMPシリーズ」は、それぞれの思惑が絡み合う複雑な関係性や、緻密に計算された設定に基づきながら、1万5000年以上にわたる吸血種の壮大な歴史を描いた作品群です。なので、「SPECTER」の初演時に初めて年表を作ったと伺って驚きました。

最初から全体構想があったわけではないんですが、ぼんやりとしたイメージはあって。のちに「SPECTER」「グランギニョル」「COCOON」として上演することになるアイデアの種は、2009年の「TRUMP」初演時からありました。でも、それを演劇公演として実現しようとは考えていなくて。作品世界の広がりを妄想する楽しさを自分でかみしめていただけですね。「SPECTER」のパンフレットに掲載した段階での年表は、「もしかすると、この世界の歴史にはこんなことがあったのかもね」くらいの感じで、妄想する楽しさのおすそ分けというか、あくまで1つの読み物として成立するものを作っただけでした。まさかその年表を埋めるようにシリーズを展開していくことになるとは思ってもいなかったですね。

「TRUMPシリーズ」の作り方としては、ある作品の上演が決まると、そのポイントに焦点を当てながら、そこで起きた出来事を明確にしている感じです。「LILIUM」は上演当初、それだけで独立した作品になることを目指していたので、「TRUMP」とのリンクは副次的に考えていました。「TRUMP」を知っている人には作品と作品をまたにかけた叙述トリックとして、「TRUMP」を知らない人には単なるキャラのバックボーンとしての副次的な要素です。「LILIUM」の物語の独立性を保つために「TRUMP」から乖離させたかったので、時代設定を3000年後にしたんですが、それもシリーズとして展開していくことになった1つの要素かもしれません。もし「TRUMPシリーズ」の構想が10年、20年くらいのスパンを描いたものだったら、年表は生まれなかったと思います。

──「SPECTER」でヴァンパイアハンターの萬里にスポットを当てようと思ったのは、どのような理由があったのでしょうか?

Patch stage vol.6「SPECTER」より。©2021 WATANABE ENTERTAINMENT

まずは人間側の物語を描いてみたいと思ったことが理由の1つ。もう1つの理由は、「TRUMP」に登場する萬里というキャラクターの死の帰結を描きたかったからです。ドラマの中で人がドラマチックに死んでいくのって、どうしても違和感があるじゃないですか。カッコいい死とか美しい死とか壮絶な死とかって、そこに作為が入ってしまうような気がして。ドラマなのでドラマチックになるのは当然だとも思うんですが、「TRUMPシリーズ」はとにかく登場人物がたくさん死んでいくので、死について考える機会が多いんです。死も大きな題材ではあるんですけど、フィクションだからといってそう簡単に殺せるわけではない。死を書くのであれば、作家にそれ相応の負荷がなければいけませんし、ドラマチックにすることによって作家が免罪を得てはならないという感覚もあります。業を背負いながら書かなくちゃいけない、というか。だからキャラクターへの責任として、ドラマチックな飾りでごまかすことのない死というものも、どこかで描かなければならない。ある日突然に、何の前触れもなく、何の準備もなく、何の覚悟もないまま死んでいく。そのあっけなさもまた人の生き様なのだと、アンチドラマによってドラマを肯定したかったんです。だから「TRUMP」の中で萬里の死をアンチドラマとして描きました。「萬里があっけなく死にすぎでは?」という意見や、「もしかすると生きてるんじゃないか?」と考察してくださるお客さんもいらっしゃったんですが、「いや、あれが萬里というキャラクターの死に様なんです」と伝えたくて。彼の死を帰結させたいという作家としての悪あがきが、「SPECTER」へとつながったと思います。そして萬里の死の真相を明かしつつ、ソフィの出生譚を描く。これも「SPECTER」を書いたきっかけの1つですね。途方もない旅路へと向かうことになるソフィが、どんな願いによってこの世に生を受けたのかを示しておきたかったんです。

──末満さんは、2012年の結成から2017年の「羽生蓮太郎」まで劇団Patch作品の演出を手がけ、その後劇団Patchの現場を離れることになりました。約2年後の2019年、「TRUMPシリーズ」の10周年を記念した「Patch × TRUMP series 10th ANNIVERSARY『SPECTER』」(参照:末満健一×劇団Patchが新たに立ち上げる「SPECTER」再演、大阪で開幕)で劇団Patchのメンバーと再びタッグを組むことになります。

Patch × TRUMP series 10th ANNIVERSARY「SPECTER」より。©2021 WATANABE ENTERTAINMENT

僕が劇団Patchを離れたのは、役者たちはもちろん、スタッフを含めたチームの成長に対して、僕が弊害になっていると感じたからです。マネジメントにまでは関わっていませんでしたが、公演活動としては僕が舵取りをすることが多かった。最初はそれで良かったんですけど、旗揚げから5年近く経った頃に、僕が出しゃばりすぎるのはだめだなと思ったんです。劇団に1人の演出家の色が付き過ぎるのは良くありませんし、僕以外の作家や演出家ともやったほうが良い。「あいつがいなくなってから劇団Patchってすごく良くなったよね」となってくれたら良いなと。立ち上げから関わった劇団を離れるのは寂しくもありましたけど、5周年の公演を終えて離れることになりました。劇団Patchのメンバーとは、お互いに成長したときに、制作会社やプロデューサーから呼ばれた者同士として再会しよう、という気持ちでいました。2年後にまた一緒にやることになるとは……ちょっと早かったですけど(笑)。

──配役を変えて挑んだ「SPECTER」の再演では、萬里役を松井勇歩さん、石舟役を竹下健人さんが演じました。

「SPECTER」再演の配役は当初、初演メンバーは据え置きで、新しく入ったメンバーで穴埋めするような形のキャスティングが想定されていたんです。それだと過去の「SPECTER」のいびつな焼き直しになるように思えたので、今の劇団Patchのメンバーで「SPECTER」を初演するつもりで考え直してほしいとお願いして、再考してもらいました。再演のたびにがらりとキャスティングが変わる「TRUMP」と違って、メンバーの変遷はあれど、同じ劇団で「SPECTER」を再演するという意義を見出したかったんです。初演で客演の山浦徹さんが演じてくださったクラウスという役を、劇団員の中山義紘が演じたことが象徴的でした。クラウスは重要かつ難解な役どころで、初演時の劇団Patchでは踏み切れなかったであろうキャスティングだったからです。4年ぶりの「SPECTER」は、初演と比べると深みがぐっと増したように感じました。

脚本に関しては、初演の脚本から贅肉を削いで不足を補い、ソリッドに仕立て直しました。なので、「SPECTER」という作品でやり残したことはもうありません。この再演では、「いつかここでやってみたい」と目標の1つにしていた本多劇場でやれたのも良かったです。公演中、同時期に稽古をしていた「COCOON 月の翳り」「COCOON 星ひとつ」のメンバーが観劇してくれたんですが、「COCOON」で萬里役を務める木戸邑弥くんが、自分の演じる役のバックボーンを舞台作品を通して鑑賞する、というのは不思議な光景でしたね。終演後の楽屋裏で、「SPECTER」の萬里と「COCOON」の萬里が言葉を交わし合う姿を見て、“萬里の死の帰結”が腑に落ちたようにも思えました。