オーバード・ホール Produce タニノクロウ×オール富山 2nd stage「笑顔の砦 ’20帰郷」タニノクロウ インタビュー / 富山人20人が語る、タニノクロウ

「いつでも辞められる」思いで、稽古に臨む

──今回もオーディションでキャストを決められました。オーディションで特に意識したことはありますか?

「ダークマスター」は、見た目の雰囲気が大事だった部分がありますが、「笑顔の砦」は人間関係の深まりを描く作品なので、台本から何を感じたか、台本には書かれていない部分についてどんな想像を膨らませたか、ということを重視しました。この作品は、自分と直接関係ないことについてどこまで好奇心を出せるかが、勝負だと思うので。

稽古場にて、タニノクロウ。

──オーディションは昨年末に行われ、4月にキャストが発表されました。その間にコロナの問題が発生し、演劇を巡る環境も大きく変化しましたが、この状況下で市民劇を実施することについて、タニノさんはどうお考えになりましたか?

市民劇をやること自体、いよいよ難しくなってきたなと思いました。特に今回は、東京で一人暮らししている俳優さんと作るわけではなく、高齢者と同居しているキャストも多い状況ですし。というか、一人暮らししている人のほうが少ないので、「公演があるから行動制限しましょう」ということが難しい。関係人口が圧倒的に多いんですよね。だから最初は思い悩みましたが、出演者の方たちには「稽古中でも本番中でも、いつでも辞めることができますよ」とお伝えして。それだけは絶対に守ろうと思いました。じゃないと、このプロジェクトは成り立たないし、そもそも家族の介護をしながらでも演劇を楽しみたいと思って、大きな不安を抱えながら参加している方たちばかりですから、「本番はおまけ」くらいの気持ちでやってみましょう、と思ってます。

──タニノさんは、2019年に「ダークマスター 2019 TOYAMA」を上演後、同年にとやま賞を受賞(参照:とやま賞受賞のタニノクロウが講演、「だから現代演劇は必要」)され、今年6月には「Meditation -The day before daylight-」(参照:オーバード・ホールに青白く光る地球、タニノクロウが描く“Meditation”の時間)をオーバード・ホールで上演されるなど、年々富山とのつながりが強くなっています。

理想は何か、ということはいつも考えていて。求められて、スペースがあって、仲間がいて、支持してくれる人がいて、お客さんがたくさん来てくれて……。富山やオーバード・ホールに対して自分に何ができるのかわからないけど、ここがユニークな場所であればいいなって思いますね。自由で、人が行き交ってて、市民とのつながりがあるような、大胆な企画がある場所。富山のお客さんにはオーバード・ホールを“我が街の劇場”だと自慢に感じてほしいんです。

タニノクロウ

──富山を想定して描かれた「笑顔の砦」は岸田國士戯曲賞にノミネートされ、同じく富山が舞台の「地獄谷温泉 無明ノ宿」で、タニノさんは同賞を受賞しました。富山に対する思いがタニノさんの筆を走らせる、というところがあるのでしょうか。

そういうところはあると思います。やっぱり生まれ故郷にはちょっと特別なものがあるのかもしれません。僕は中学が終わってすぐに富山を出て、富山で暮らしたのが15年、東京は30年になります。だからずっと離れたところから富山を見てきたんですが、今、富山に対して異様に努力してしまうところがありますね。

“帰郷”という言葉に込めた思い

──ペニノは今年20周年です。今回のタイトルには「’20帰郷」と付けられていますが、“帰郷”にはタニノさんの富山に対する思いと、20周年の“原点回帰”の意味が込められているのかなと感じました。

タニノクロウ

まさにそうです! まあ「’20帰郷」というのは「北の国から」をパロって付けたんですけど(笑)、僕は30年東京で暮らす中でずっと、日々意識的に生きてきたところがあって。例えば「こういう作品のためにはこういう人がいたほうがいい」とか「こういうふうに見られたいからこういう動きをしよう」とか。でもそれって、「この駅とこの駅をつなげると便利だから新しい線路を作りましょう」とか「人口が増えたからこれくらい高いマンションを作りましょう」というのとあまり変わらなくて、どこかでそこから離れたいという気持ちがありました。“このままそういった生き方を続けるのはかなり苦しいんじゃないか、これまで意識的に動いてきた自分の荷物を、少し下ろしてあげる必要があるだろう”、と。そう思うようになったのは、子供の成長を見ている影響がすごく大きいと思います。子供って、意識的に動くとか、親がコントロールすることってできないじゃないですか。その感覚にうらやましさや懐かしさがあるし、今ソロキャンプが流行ったりするのも、無作為なものとか不確定な要素を近くに置いておきたい気持ちがあるからかもしれないなって。だから“帰郷”という言葉の中には、富山に対しての思いだけじゃなく、意識的に動くことからの回帰というような意味が入っています。