「THEATRE for ALL」湯浅永麻×鈴木竜 対談|“違い”や“変化”を柔軟に受け止め、作品を進化させたい

“違い”は大前提、“違い”を面白がる

──鈴木さんは昨年末、「ダンスのアクセシビリティを考えるラボ~視覚障害者と味わうダンス観賞篇~」(参照:ダンスのアクセシビリティを考えるラボ~視覚障害者と味わうダンス観賞篇~ | Dance Base Yokohama)に参加されました。これは、DaBYが目標とする3つの“拡張”のうち、「ダンスの観客層を広げる」に該当するプロジェクトだと思いますが(参照:3つの“拡張”を掲げ、ダンスハウス・DaBYがグランドオープンに向けて意気込み)、鈴木さんの振付作品に、批評家や詩人・美学者・インタープリター(解説者)らがナレーションをつけ、視覚障害者の観賞のサポートを行うと同時に、すべての観客にとって「ダンス観賞とは何か」というダンスの新しい可能性を探る内容でした。「THEATRE for ALL」ではそのやり取りをドキュメンタリーとして観ることができますが、鈴木さんにとって「ダンスのアクセシビリティを考えるラボ」は、どんな体験でしたか?

Dance New Air 2020->21「n o w h e r e」より。(photo by Yulia Skogoreva)
Dance New Air 2020->21「n o w h e r e」より。(photo by Yulia Skogoreva)

鈴木 非常に面白かったです。そもそも「ダンスって、動きがすごいのはわかるけどよくわからない」と言われることが多いですし、普段は目が見えない方、耳が聞こえない方を特に意識せずコンテンポラリーダンスを作っているんです。でもラボでは、さまざまな言葉を使ってダンスが視覚障害者に伝えられていて、そこで使われる言葉は、まさに自分たちがクリエーションの中で使っている言葉と一緒でしたし、視覚障害者の皆さんから飛んでくる質問も、ダンスを初めて観た人からぶつけられる質問と重なる部分が多く、驚きました。

と同時に、僕はよくお客さんに、「自分の感覚で作品を観てください」と伝えるのですが、そう言ってしまうことで、自分たちがこれまでいかに作品をお客さんにリーチしようとしてこなかったかに気付かされました。ダンスはノンバーバルコミュニケーションと言われますが、言語化する大切さを痛感しましたね。刺激の多い2日間でした。

──湯浅さんは2019年に城崎国際アートセンターで、視覚障害の方と共に「XHIASMA─キアスマ」プロジェクトのクリエーションに臨んでいます。

湯浅 もともと私はダンスを踊るときに目を閉じることがあって、以前から視覚障害の方と何かやってみたいなと思っていたんです。城崎のクリエーションに参加してくださった方は、後天的に視覚が失われた方だったんですけど、1週間の滞在中、日中はリハーサルをして、それ以外の時間も衣食住を共にしてという感じでずっと一緒にいて。彼女が普段、ご飯を食べたりお風呂に入ったり、パソコンでメールを打ったりするときにどうしているのか、その時間を共有させていただいたことはものすごく大きかったです。

またそのときに読んだ伊藤亜紗さん(編集注:美学者。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授、東京工業大学環境・社会理工学院社会・人間科学コース准教授)の著書の中で、“環世界”という言葉が使われていたのが印象に残っていて。人にはそれぞれ環世界があり、それがぶつかり合うことにこそ面白さがあるということを、本を読んだ後に意識したんですけど、障害に対してだけじゃなく、誰に対しても違いがあるのは大前提として、“違っていて面白い”“違うけど同じなんだ”という視点は持っていないといけないなと感じましたね。

鈴木 伊藤亜紗さんは、「ダンスのアクセシビリティを考えるラボ」にもディスクライバー(編集注:描写する人。ここではダンスを視覚障害者に伝える人)の1人として入ってくださいました。

湯浅 そうだったんですね!

それぞれが100%の力を出せるように

──湯浅さんは、国内外のさまざまなクリエーションの場に参加されていますが、言語や国籍、ジャンルの違い、パフォーマーとして参加するときと振付家として参加するときの立場の違いなど、多様な人たちとクリエーションする際、一番どんなことにハードルを感じますか?

湯浅 自分の作品の場合は、「この人と一緒にやってみたいな」と思って声をかけていますし、私と何かしら興味の対象が近いだろうなって本能的に感じた人が相手だから、特に難しさはないです。難しいのは、ほかの人から声をかけられた企画のとき。まず自分が相手に興味を持たなきゃいけないし、その人を知ることから始めないといけない。その時間を持てるかどうかというハードルがありますし、お互いにどれだけ心を開けるかというハードルもあり、さらにその状況の中でどれだけフラットに意見を出し、クリエーションに臨めるかという問題や、最終的に誰が舵をとって意見をまとめていくのか、そこに信頼感が生まれるかという問題がありますね。

──鈴木さんは、先ほどお話に上がった「DaBYコレクティブダンスプロジェクト」で、多様なジャンルの方とコラボレーションしています。

「ダンスのアクセシビリティを考えるラボ~視覚障害者と味わうダンス鑑賞編~」より。©Naoshi HATORI

鈴木 今、永麻さんのお話を聞きながら思ったのは、チームを作るときに、例えば「ダンスのことをわかってる人で集まったら大体大丈夫」とか「日本人でチームを作ればなんとかなる」ということからまず疑わなきゃいけないなってことで、安心しちゃいけないなってすごく感じるんですね。日本は多くの人が肌の色が同じだし、ほとんどの人が同じ言葉を話して、同じような学校教育を受けているから、なんとなく同じことを共有していると思ってしまいがちですが、現実は全然そんなことはなくて、それぞれ全く違う人間なので、お互いに違いがあるということをまず認識しないといけないと思うんです。

その点、「DaBYコレクティブダンスプロジェクト」は、出演するダンサー以外は、ダンス作品に携わるのが初めてという人ばかり。だから特定の言葉へのイメージや考え方もそれぞれだし、出発点から考える人と最終形から考える人がいるし、考え方や言葉の使い方に齟齬が出てくることがよくあります。なので「え? どういうこと?」と戸惑うこともありますが、ディスカッションを重ねたり、スタジオの中で一緒に時間を過ごしたりすることでお互いがどういう人かわかってきて、ある種の共同体にはなれてきたのかなと。でもチームだからといって全員が全員を大好きである必要もないと思うので、チームの中でそれぞれが自分の力を100%以上発揮できるような状況を作っていくことが大事だなと感じています。

オンラインで、観客との信頼関係をどう築くか

──この1年半、ダンサーが配信でアクションを起こすことがグッと増えました。お二人もインスタライブやオンラインレッスンをたびたびされていますが、劇場で踊ることと顔の見えない観客を前に踊ることの違いをどんなふうに感じていらっしゃいますか?

「ダンスのアクセシビリティを考えるラボ~視覚障害者と味わうダンス鑑賞編~」より。©Naoshi HATORI

湯浅 オンラインであっても、自発的に観に来てくださっているという時点で、例えば単なる通行人とは姿勢が違うと思うんです。だからその点ではあまり違いはないのかなと。また私は、自分が発信者になる前に視聴側を体験できたので、「(発信者が)こうやってくれると面白いな」と感じたことがあり、自分が発信するときもそれを意識しています。

鈴木 確かに渋谷の往来で行き交う人にダンスを見せるのとは違って、オンラインであろうが実際の場所であろうが、観ようと思って観てくれる人の前だったら信頼関係を構築し得ると思いますね。と同時に、映像なら映像で、映像に特化した観客との関係性の構築の仕方があるような気はしていて。以前、映像作家で振付家・ダンサーの吉開菜央さんとお仕事したんですけど、彼女の映像作品を観るとやっぱりそれがあるなと思います。

それと今ふと思い出したんですけど、2012年のロンドンオリンピック開会式でアクラム・カーンの振付パートに出演したとき、まず会場に8万人くらい観客がいて、歓声だけで地鳴りのようになり、人間とは感じられなかったんですね(笑)。でもアクラムに、「テレビカメラの向こうでは1億人が見てるからね」と言われて、それは本当にまったく実感がわかなかった。かつて、飛行機が発明されて人間が徒歩の能力よりずっと先まで行けるようになったときのように、今我々は、ダンスを目の前の体験として以上に届ける方法に順応していかなきゃいけない時代に生きているんじゃないかなという感じがしています。