JR東静岡駅の改札を抜けると、青い空に雪の白が映える富士の穏やかな姿と、広い芝生の向こうにSPAC-静岡県舞台芸術センターが入るグランシップの建物がまず目に飛び込んでくる。宮城聰芸術総監督のもと、国内外の先鋭的なアーティストたちが集う場となったSPACは、2019年度も見逃せない演目を多数用意して世界の観客を待っている。春の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」から6月の「イナバとナバホの白兎」再演、そして秋から春にかけて開催される「SPAC秋→春のシーズン」まで。その見どころを宮城と、SPAC新作「メナム河の日本人」の演出を任された今井朋彦が語る。
取材・文 / 熊井玲 ©︎SPAC(Photo by Eiji Nakao)
空間の幅広さが、作品のスケールに
──2019年度も魅力的なラインナップが並びました。宮城さんは芸術総監督として13年目のシーズンとなりますが、まずは新年度への思いから伺わせてください。
宮城聰 SPACは、春に「ふじのくに⇄せかい演劇祭」があり、秋から3月くらいまではレギュラーシーズンと言って、レパートリーになるような作品を作ったり、それを再演したり、というやり方を続けてきました。「せかい演劇祭」では、「ここから演劇の領域が広がっていくんだな」と思えるようなものを紹介したいと思っています。例えば演劇の範疇にとどまらない、ダンスやサーカスの領域に踏み込んだようなものや、東京でもまだ紹介されていないような新しい動きなどを紹介していきたい。一方のレギュラーシーズンでは、ウィークデーは中高生に、週末は一般のお客様に作品を観てもらいたいと思って演目を考えています。と言うのも、静岡では本格的な劇場がここぐらいなので、東京のように「私はミュージカルが好きだからこの劇場」「私はダンスが好きだからあの劇場」とお客さんが劇場を選ぶことができないわけですね。なので、僕たちの劇場ではいろいろな演目をそろえないといけないと思っています。ただ、芸術はどれもそうですが、例えばベートーベンやモーツァルトを聴かずにストラヴィンスキーとかプロコフィエフを聴くってことはないし、絵画でもレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロを見ずにピカソを見るってことはあまりないわけです。調性の取れた音楽、形のある画を知ったうえで、「でもこういうものも美しいじゃないか。いやむしろこっちのほうが好きだな」と楽しむのが芸術だと思うのですね。でも演劇は形が残らないので、過去にどういう蓄積があったかを努力して上演していないと、観客はストラヴィンスキーやピカソにしか触れられないということになる。という意味で、SPACでは「もし演劇に教科書があるとしたら、こういう作品が載っているだろうな」というもの、あるいは「この先歴史に残るような作品だろう」と思えるようなものをやっていきたいと、芸術総監督就任時から思い続けてきました。ただ僕も芸術総監督になって12年経ちますので、「今はそんなに有名じゃないけれども、これは歴史に残る作品ではないか」という発見がしたいと、ここ数年考えるようになって、今回今井さんに演出をお願いする「メナム河の日本人」も、作品としてはそこまで有名ではないかもしれませんが、我々にとって重要な考え続けるべき問題が描かれている作品だと思い、選びました。遠藤周作の戯曲は、この先、日本人が折に触れて観ていくべきものではないかと思ったんです。
──今井さんは、2010年と13年にSPAC「わが町」の演出をされています。劇場に対してどのようなイメージをお持ちですか?
今井朋彦 まさに今、宮城さんがおっしゃった通りのイメージを持っていました。レギュラーシーズンの演目を“演劇の教科書”と捉えていらっしゃることに「なるほどな」と感じましたし、この劇場が持つスケールみたいなものが、取り上げる作品の幅広さ、扱う時間と空間の広さを保証しているのではないかと感じます。僕のSPACとの接点は、1999年にSPACで開かれたシアター・オリンピックス(編集注:鈴木忠志、テオドロス・テルゾプロス、ロバート・ウィルソン、ユーリ・リュビーモフ、ハイナー・ミュラーら、世界各国で活躍する演出家・劇作家により、1993年にギリシャのデルフォイにおいて創設された国際的な舞台芸術の祭典)なんです。そこでアメリカ人女優によるスズキ・トレーニング・メソッドのワークショップがあり、何を思ったか(笑)それに突然応募しました。あのときSPACの事務所では僕の応募書類を見て、「なんで新劇俳優が受けに来たのか」と訝しがられたみたいですが……(笑)。
宮城 あははは。
20年目の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」はヨアン・ブルジョワ作品で幕開け
──2019年度の第1弾は、4月27日に開幕する「ふじのくに⇄せかい演劇祭」です。00年に「Shizuoka 春の芸術祭」としてスタートした本演劇祭は、今回が20回目。新作を中心に7作品がラインナップされており、世界的な注目を集めているヨアン・ブルジョワの初来日作品、アート・オブ・サーカス「Scala ─夢幻階段」がオープニングを飾ります。また09年に初演された宮城さん演出の「ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む」再々演や、韓国のイム・ヒョンテク演出「メディアともう一人のわたし」日本初演、コンゴ戦争をめぐるドキュメンタリー映画「コンゴ裁判~演劇だから語り得た真実~」日本初上映のほか、宮城さんが構成・演出を手がけるヴィクトル・ユゴー作「マダム・ボルジア」が上演されます。
宮城 オープニング作品のヨアン・ブルジョワ「Scala ─夢幻階段」は、本当にジャンル分けが難しい作品です。出演者はサーカス学校出身者が多いのですが、サーカスともちょっと違うし、ダンスともいくらか違う。全体の印象としては“ポエム”だと思います。演劇をやっている人間にとって、詩(ポエム)は一番根底にありつつもなかなかアプローチしにくいもので、例えばシェイクスピアの戯曲では韻文と散文が混在していますが、日本語でその違いを表現するのはとても難しく、日本の演劇ではどうしてもポエジーを後回しにしてしまいます。でもこのヨアン・ブルジョワの「Scala ─夢幻階段」では、セリフとセリフの隙間、動きと動きの隙間にポエジーがあるんですね。ということが、演劇をやっている人間には非常に刺激になるのではないかと思います。またサーカス的な、「こんな動きができるんだ!」ってところもありますし、不条理的な「うわ、こんなことが起こってる!」というところもありますので、幅広い層に楽しんでいただけるのではないでしょうか。
──それは楽しみですね。
宮城 ちなみにこの作品は、昨年秋にフランス・パリのコリーヌ国立劇場でSPACが「顕れ~女神イニイエの涙~」を上演した際、初日の直前に1日だけオフがあって、その日に観た作品なんです。オデオン座の元支配人であるピエール・イヴさんが立ち上げた民間劇場のラ・スカラ・パリのこけら落とし作品で、パリ下町のサン=ドニにある劇場まで行きました。そんな場所なので、実は「ビルの地下にある小劇場かな」と思いながら訪ねて行ったんですけど(笑)、凝ったデザインのビルに、「ラ・スカラ」って洒落たネオンサインが点いた、割と大きな劇場でした。しかもさすが元オデオン座支配人の劇場、お客さんもみんな、いわゆるブルジョワという感じでカッコいい人ばかり(笑)。そんな劇場のこけら落としに持ってきただけあって、「Scala」は絶対に外さない、力が入った作品でした。これは静岡でやってもみんな面白がってくださるかなと思い、来ていただくことになりました。ヨアン・ブルジョワは日本でも随分前から注目されていたと思いますが、今回が初来日となります。
──宮城さんが演出を手がけられる「マダム・ボルジア」についてはいかがでしょうか?
宮城 最近は演劇を観る層が固まってきていて、劇場に行く人と行かない人がくっきりと分かれているように感じています。劇場に行かない人は、劇場に行く人を、言ってみれば既得権益層のような、知的にも経済的にも恵まれた人たちのように感じているところがあるんですね。ただ世界では演劇ってそう思われているのが普通と言うか、演劇は余裕のある人たちの娯楽だと思われているんです。だからある意味、日本の演劇も“世界基準に達した”とも言えるんですが(笑)、そういう演劇の周りにできた壁、先入観を壊していかなきゃいけないと思っていて。その思いから、街中にある駿府城公園で芝居するということを数年前に始めました。野外という意味では舞台芸術公園の野外劇場「有度」がありますが、そこに敷居の高さを感じていた人が、駿府城公園では感じないらしいんです。移動動物園のように、演劇のほうが観客の生活圏のほうにやって来る感じがするんでしょうね。そのようにせっかく敷居が低くなったと思ってもらえているなら、さらに思いっきり敷居をなくせないかと思い、今回は仮設の劇場もやめて、あのだだっ広い空間で芝居したいと考え、ヴィクトル・ユゴーが思い浮かびました。日本では「レ・ミゼラブル」とか「ノートルダム・ド・パリ」などで知られていますが、ユゴーの作品には、誰もが「え? これどうなっちゃうの?」と思うような、非常にわかりやすい対立やサスペンスが描かれている。知識人がディテールを楽しむようなものではなく、ストーリーのど真ん中である主人公の物語をみんなが観るという芝居を書いているんです。セリフがどうとかじゃなく、登場人物から目が離せない作品になっている。そういう作家は、実はそんなにいないんですよね。で、駿府城公園でやるならそういった観客の集中がとぎれない作品をと思い、「マダム・ボルジア」をやることにしました。
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SPACの俳優の身体性を今井さんなら生かせるのでは(宮城)
専用の劇場や稽古場を拠点として、俳優、舞台技術・制作スタッフが活動する日本初の公立文化事業集団。1997年に初代芸術総監督・鈴木忠志のもとで本格的に活動を開始し、2007年より宮城聰が芸術総監督を務めている。
©静岡芸術劇場©︎SPAC photo by Eiji Nakao
- 宮城聰(ミヤギサトシ)
- 1959年東京生まれ。演出家。SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。東京芸術祭総合ディレクター。東アジア文化都市2019豊島舞台芸術部門総合ディレクター。東京大学で小田島雄志・渡邊守章・日高八郎各師から演劇論を学び、90年にク・ナウカを旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の身体技法や様式性を融合させた演出で国内外から評価を得る。2007年4月、SPAC芸術総監督に就任。自作の上演と並行して世界各地から現代社会を切り取った作品を次々と招聘し、“世界を見る窓”としての劇場作りに力を注いでいる。14年7月にアビニョン演劇祭から招聘された「マハーバーラタ」の成功を受け、17年に「アンティゴネ」を同演劇祭のオープニング作品として法王庁中庭で上演した。代表作に「王女メデイア」「ペール・ギュント」など。04年に第3回朝日舞台芸術賞、05年に第2回アサヒビール芸術賞を受賞。第68回芸術選奨文部科学大臣賞(演劇部門)受賞。19年4月にフランス芸術文化勲章シュバリエを受章。
- 今井朋彦(イマイトモヒコ)
- 1987年に文学座附属演劇研究所に入所。92年に座員となり現在に至る。劇団公演のほか、古典から現代劇、コンテンポラリーダンス作品など外部出演も多数。近年の主な舞台に「子午線の祀り」(演出:野村萬斎)、「TERROR」(演出:森新太郎)、「Le Père 父」(演出:ラディスラス・ショラー)。19年は「Taking Sides~それぞれの旋律~」(演出:鵜山仁)、主演作「再びこの地を踏まず─異説・野口英世物語─」(作:マキノノゾミ、演出:西川信廣)に出演予定。12月に文学座アトリエの会にて松原俊太郎書き下ろし作品を演出する。
- ※初出時、プロフィール内に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。
2019年4月16日更新