2020年2月に京都・ロームシアター京都にて、ジゼル・ヴィエンヌ、エティエンヌ・ビドー=レイ「ショールームダミーズ #4」が上演される。本作は、ロームシアター京都がアーティストと協働し、2年がかりで劇場のレパートリー作品を製作する「レパートリーの創造」シリーズにラインナップされており、今回は世界中で上演されている人気作「ショールームダミーズ」を日本人キャストと立ち上げる。ステージナタリーでは、6月のクリエーションで京都滞在中だったジゼル・ヴィエンヌ、エティエンヌ・ビドー=レイにインタビューを実施。さらに公演前のクリエーションと2月の本番に向けて、現在はそれぞれにトレーニング中のキャスト6名に、作品に対する思いを聞いた。
取材・文 / 熊井玲 撮影 / 山地憲太
「ショールームダミーズ」は「ダンスとは何か」を問う作品
──ジゼル・ヴィエンヌさんはこれまで、「KYOTO EXPERIMENT」公式プログラムとして2010年に「こうしておまえは消え去る」を、2018年には「CROWD」を上演されており、京都との関わりが続いています。今回、ロームシアター京都から「レパートリーの創造」という形でのオファーがあったとき、お二人はどのように受け止められましたか?
エティエンヌ・ビドー=レイ(以降、エティエンヌ) 「ショールームダミーズ」をまた日本で観ていただけるチャンスになるなと思い、うれしく思いました。この作品が持っているミニマリズム的な要素が日本のお客様に届くんじゃないかなと思いますし、以前静岡で上演したとき(編集注:「ふじのくに⇄せかい演劇祭2014」で「マネキンに恋して─ショールーム・ダミーズ─」のタイトルで披露)にもその手応えを感じていたので。そこで、今回はさらに一歩踏み込んで、日本人のダンサーと共同制作することによって、「ショールームダミーズ」をさらによいものにしたいなと。そのよい機会を与えていただいたと思っています。
ジゼル・ヴィエンヌ(以降、ジゼル) 日本でこれまでに数作品披露したことがありますが、今回は日本のダンサーとスタッフが長期にわたって一緒に取り組むことになるので、より深いものになるのではないかと思います。そのような機会をいただいたことにワクワクしています。
──「ショールームダミーズ」は2001年に初演され、これまで国内外さまざまな場所で、進化を重ねながら上演されてきた作品です。お二人にとってはどのような位置付けの作品なのでしょう?
エティエンヌ 僕とジゼルはこれまで7作品、一緒に作ってきました。その中で、「ショールームダミーズ」で2人がやろうとしていることは現代パフォーミングアートへの挑戦。新しいダンスの言語を探そうということなんです。ここで得たことは、例えばジゼルのソロ作品などにどんどん発展していってると思いますが、原型はここにあって、それはつまり「ダンスとは何か。ダンスやアートのアイデンティティとは何か」ということです。
──本作には複数の人形が舞台上に登場します。黒いドレスを着てうなだれる、長い髪の人形たちの“動かない身体”と、ダンサーたちの生き生きとした身体の対比が、舞台上に異様な空気を醸し出します。4月に行われたトークイベントでジゼルさんは「私たちの出発点は人形劇ですが、それは人工的な身体と身体の関係性、動いているものと動いていないものの関係性、あるいは音楽と沈黙との関係性と言えるかもしれませんし、それが『ショールームダミーズ』の中心的なテーマとも言えます」と話していますね(参照:「ショールームダミーズ #4」に向け、ジゼル・ヴィエンヌらが京都でトーク)。
ジゼル 動かない身体、見せる身体、見せられる身体を舞台の上でどう示すことができるのか。ほかのアーティストでもそういう試みをやっている人はいると思いますが、「ショールームダミーズ」はその中でもある意味、本気でそのことに取り組んだ、一番最初の作品ではないかと思います。人形を使うので“不動”というキーワードが浮かんでくるんですけれど、音楽における“不動”とは“サイレンス”ですし、ダンスに限らないアート全般における言語表現を探るような、実験的な作品になっていると思います。
エロティシズムを五感で
──本作の根幹には、L.ザッヘル.マゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」があります。毛皮が似合う美しい貴婦人と、彼女の奴隷になり快感を得る青年を描いたエロティシズム小説ですが、19世紀の小説である「毛皮を着たヴィーナス」の現代性については、どのように感じていらっしゃいますか?
エティエンヌ 動かないもの、彫刻に恋する欲望、願望、エロティシズムは19世紀にもありましたし、21世紀にもあるものなので時代性の違いはあまり感じていません。また作品の内容を時代に合わせてアップデートするということも考えてはいないのですが、ただ例えば初演の頃は僕たちももっと若かったので、エロティシズムをもっと押し出すような見せ方をしていた部分があると思うんですけど、今は胸の内にさえあれば、特に強調する必要はないと思うようになりました。なので、過去も現在も未来も、人間の欲望とエロティシズムは尽きないし、僕たちがそれをどう扱っていくかではないかと。
ジゼル 私は時代の変化はあると思っていて、19世紀と21世紀でいろいろと違っていると思います。例えば19世紀にマゾッホが「毛皮を着たヴィーナス」を書いたときは、主人公が彫刻の完全さに恋するという構図そのものが、“満たされない欲望”というエロティシズムだったと思うんですが、今は例えば色の使い方、質感、照明、音などいろいろな手を使うことで、人間から発せられる欲望をさまざまなシチュエーション、形で見せることができるんじゃないかと思っていて、今回はそんな、エロティシズムを五感で感じられるような装置を作りたいなと思っています。
──また初演からも18年の歳月が流れています。社会状況の変化が作品に影響を与えているところはありますか?
ジゼル 初演以来18年間、作品に対するスピリットは変わりませんが、例えば作品の形などはずっと変化し続けていて、シリーズ作品ではあるけれどその時々の社会状況を反映した作品になっていると思います。新しいバージョンを作るときには脚本も書き直しますし、そのときに出演するダンサーの個性も作品にダイレクトに反映されるので、ダンサーのパーソナリティの部分も重要。その人が持っているスピリットが見えてくる作品だと思います。そのうえで、今回の公演でこれまでと大きく違うのは、当初は男性キャストを登場させていたのが、今回はキャストを女性だけにしていることなんです。男性と女性のキャストが登場すると、観客はどうしてもその関係性から男女間の恋愛を読み取ろうとしてしまう。でも実は、私にとってそれはあまり重要ではなくて、私はむしろ、本作を通してhuman(人)としてのdesire(欲望)を表現したいと思っています。男女間だけではなくもっと大きく、もっとオープンなエロティシズムを追求したいなと。そこで今回、男性キャストを出演させませんでした。
──より大きな世界観に広がってきているということですね。
ジゼル 影響を受けたのは、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズがサドとマゾッホの作品について書いたエッセイ「マゾッホとサド」です。「毛皮を着たヴィーナス」の中で重要なトピックは、秩序を壊していく快感だと思うんですけれど、秩序を超えることが逆に秩序になっていくという現象が起きているのが興味深いと思っていて。作品の中では、無秩序を楽しむための秩序が生まれているんですよね。
──さらに人工知能の進化などにより、身体性の捉え方にも大きな変化が生まれていると思います。
ジゼル 今回も人形が登場しますが、人形を通して表現したいのは“他者と自分”のこと。他者と自分の関係性については、昔から論じられてきた問題ではありますが、今はSNSなどを通じて他者の存在がそこら中に感じられ、その中で他者をどう見るかということが重要だと思います。そもそも本作は劇場作品ですから、劇場に晒された身体を観るということも重要ではないかと。普段素通りしてしまうようなことも、生の身体を観ることによって考え直すことができますし、そのことが重要ではないかと思います。
メンバーの個性が作品の彩りになる
──今回、大石紗基子さん以外の5名、朝倉千恵子さん、高瀬瑶子さん、花島令さん、藤田彩佳さん、堀内恵さんはオーディションで選出されました。どんなところがポイントだったのでしょうか。
エティエンヌ まずいろいろなキャラクターを集めたいということがあって、6人それぞれに違うキャラクターを持つ方に出演していただきたいと思いました。相性も大事にしましたし、どこまで見せられる人なのかということを考えましたね。
ジゼル グループの中での関係性を大事にできる人と、新しいことに挑戦できる人ということを意識しました。
──6月のクリエーションではどのような手応えを得ましたか?
エティエンヌ これまでの「ショールームダミーズ」とは全然違う感じになりそうで、特に後半は前作から距離をとって再構築することを意識しています。本当にリライトするというか、新作を作っているような感じがしますね。
ジゼル 稽古では新しい身体の使い方を考えていて、グランディッドボディとかグローバルボディということに挑戦しています。6月のクリエーションでは、出演者の彼女たちが舞台上でどんな力を発揮できるか、舞台上でのペルソナみたいなものを知ることができたらいいなと思い、全体のスケッチを取るような感じでした。このあと、公演直前の稽古では細部を詰めていく感じになると思います。今まではシーンを1つずつ作って、それを組み合わせていく作り方だったんですが、2006・2007年くらいから全体像をまず把握して、あとでその中を詰めていくというやり方にトライしているのです。そのことにより、作品から生まれてくる音楽性が変わってきたと思います。
──実際に稽古を始めて、キャストの印象が変わった部分はありますか?
エティエンヌ それぞれ個性が違うので、グループの誰が欠けても難しい。そのようなメンバーですね。
ジゼル それぞれが持っている美しさや彼女たちから観客が受ける喜び、快感もそれぞれ理由が違う。1人ひとり幅を持っている人だなと。そんな彼女たちの幅が集結して1つの作品になるし、彼女たちを作品の中にどう配していくかが私たちに任された役割だと感じます。衣装を作るときに採寸しますが、そのような感じで、メジャーを使って6人を測っている感覚です。
“寝かせる”ことが作品のプラスに
──日本ではクリエーション期間が1カ月程度のことが多いですが、今回は公演の約1年前にオーディション、半年以上前から断続的にクリエーションを行なうなど、かなり長い時間をかけて作品を立ち上げます。お二人はいつもこのようなクリエーションを行っているのでしょうか?
ジゼル いえいえ、ヨーロッパでも1カ月くらいで作品を作ることが多いので、この作り方は珍しいですね。稽古と稽古のインターバルは、熟成する期間だなと思っています。
エティエンヌ よく作家が、一度ワーッと書いたあとに筆を置くことがあると思いますが、パフォーマンスアートでそういうことができるのはすごく楽しみ。この“生成期間”に何が見えてくるのか……当初見えてなかったものが見えてくることを期待しています。
ジゼル 確かに、一度作品から離れてまた戻ってくることで、違うパースペクティブが生まれてくるでしょうし、時間があればあるほど考える時間も増えるので、作品にとってはメリットだし、それがクリエーションにとってはあるべき姿なのかもしれません。なかなかそれができないのが現状なので、今回このようなチャンスを与えてもらってよかったです。実際、今回はいろいろなことを変えるので、スケッチで得たものを音楽スタッフに送って、新たな音楽を作ってもらおうと。本当に“満を持した”作品になるのではないかと思います。
──近年、海外からの来日公演は減少傾向にあると言われています。しかしロームシアター京都では海外アーティストとの交流が盛んに行われており、そのことが劇場の特徴の1つでもあると思います。今回の公演が京都をはじめ日本の観客にも新たな出会いとなるのではないでしょうか。
ジゼル 私たちは今、世界中で公演を行っていますが、日本だけでなく世界中で同じように、アートに関してドメスティックな傾向が起きていると思っています。それはアートにかけるお金が減っていること、また(上演作品を決定する)キュレーターにチャレンジングな人を選びにくいというポリティカルな問題があると思います。また新作を作ることはリスクが伴うわけで、そこに挑戦する価値を感じるかどうか、キュレーターがそのリスクを負えるかどうかということがある。しかしそのリスクを負える人こそが時代を変えていくわけで、私はそのようなキュレーターをリスペクトします。
──「レパートリーの創造」は2017・2018年に木ノ下歌舞伎が取り組み(参照:木ノ下歌舞伎「糸井版 摂州合邦辻」木ノ下裕一×糸井幸之介)、今回はジゼルさんです。2年がかりのプロジェクトですが、劇場とこれからどのような関係性が築けそうですか?
ジゼル コラボレーションを通して、ロームシアター京都のテクニカルチームや、プロデューサーである橋本(裕介)さんの人となりをさらに知っていく。お互いの手の内を知っていくことで、まったく新しい関係ができてくると思います。このコラボレーションがどのように発展していくのか、私も楽しみです。
エティエンヌ ゲストのとき(来日公演を行うとき)とは違う温度を感じています。劇場の方々も前のめりになってくれていて、この作品をよりよいものにしようとしてくれていますし、同じ船に乗っているチームというような感じ。そもそも今回のオファーを受けたのも、これまでの関係性からロームシアター京都のスタッフやテクニカルチームの人たちを知っているからで、彼らとの関係性の深まりが今回に至っているのだと思います。
ジゼル 確かにそうですね。橋本さんに初めてお会いしたのが2007年。その後、2010・2018年と「KYOTO EXPERIMENT」で挑戦的な作品をお見せできました。そのような長い時間を経た関係性のうえに成り立っているコラボレーションなので、よりよい作品をお見せしたいと思います。