オペラ「Only the Sound Remains ─余韻─」|アレクシ・バリエール×森山開次 “不可能な憧れ”に近付くために…オペラ「Only the Sound Remains ─余韻─」を語る

東京・上野に居を構え、クラシックコンサートに限らず、オペラやバレエ公演の上演にも秀でた“音楽の殿堂”として、さまざまな文化を発信してきた東京文化会館。今年、開館60周年を迎える同劇場が、カイヤ・サーリアホ作曲のオペラ「Only the Sound Remains ─余韻─」を日本初演する。

「Only the Sound Remains」は、2016年にピーター・セラーズの演出で世界初演後、ヨーロッパで上演を重ねている作品。能の「経正」(第1部)と「羽衣」(第2部)を題材にした本作では、管弦楽の音色に電子音を織り混ぜたサーリアホの独特なサウンドが、ステージ上を自由にたゆたうダンサー、神秘的に響く合唱と共に、能とオペラの“かけあわせの妙”なる多層的な世界を構築。観客を新たな観劇体験へと導く。新制作となる今回、演出を、サーリアホの実子であるアレクシ・バリエールが手がけ、振付・出演には、これまでも能を題材としたダンス作品を多く創作してきたダンサー・森山開次が参加する。なお本作は日本公演後、イタリアのヴェネツィア・ビエンナーレ、スペインのカタルーニャ音楽堂での上演も予定されている。

ステージナタリーでは、対面稽古を目前にした5月上旬、バリエールと森山にオンラインインタビューを実施。文化の垣根を越えたオペラの創作に向けて、2人が思いを語った。

取材・文 / 大滝知里

日本から西洋へ、文章からオペラへと芸術が旅をする

──東京文化会館の60周年を記念して新制作されるオペラに参加するにあたり、お二人はどのような思いを抱きましたか?

東京文化会館 舞台芸術創造事業〈国際共同制作〉オペラ「Only the Sound Remains ─余韻─」チラシ

森山開次 このお話をいただいて、とても光栄に思いました。僕は、オペラに詳しいわけではないのですが、2019年に東京芸術劇場でモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の演出をやらせていただいて、以来、オペラと少し距離を縮めることができたと感じていたんです(参照:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」東京へ、森山開次「自分も踊り出してしまいそう」)。「ドン・ジョヴァンニ」での経験もあり、オペラの世界と再び交流ができることが純粋にうれしいなと、最初に思いました。

アレクシ・バリエール 私にとっても、このような大きなプロジェクトの申し出をいただけたのは、とても幸せなことです。東京文化会館は“文化”を名前に持つ通り、カルチャーに重きを置いてきた劇場。今回、私たちが上演するオペラのもとになったのは、エズラ・パウンドが能を英訳したものです。1916年に発表された本ですが、当時は第一次世界大戦という非常に厳しい状況でした。そんな中で彼が目指したのは、文化を保存することだけでなく、“真の芸術”を多くの人に広めるということ。1世紀近く経った今、今度はいろいろな文化的背景を持つアーティストのコラボレーションで、彼の遺志を継ぎ、届けられるのはとても感慨深いです。日本の能が、能楽師・梅若実に師事したアーネスト・フェノロサ、そしてパウンドによって文字になり、カイヤが音楽世界へと変換する(編集注:1916年にパウンドが発表した本はフェノロサの遺稿を引き継いだもの)。さらに今回、森山さんという素晴らしい方をお迎えして、人々の文化への理解を深めていくことができる。コロナ禍の難しい時代にこの企画を立ち上げた東京文化会館の勇気ある行動に対してお礼を言うと共に、ぜひ成功させたいと思います。

オペラは音楽・世界観・歴史のコラボレーション

──森山さんはオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を演出された際、どんなところにダンス公演との違いを感じられましたか?

森山 僕は舞踊家として活動していますが、その活動の中で「舞踊だけで舞踊は成り立たない」ということを痛感してきました。そこにはいつもコラボレーションがあって、音楽があって、いろいろな関係性があって、そして踊りが生まれている。そういう意味で、オペラは音楽と世界観、歴史とのコラボレーションだと感じています。「Only the Sound Remains」では振付に関わり、自分の身体を使って出演もするので、「ドン・ジョヴァンニ」では直接体感できなかった、オペラ歌手との身体的な共鳴をできることが、うれしいですね。また、最近は僕が音楽に演出を付けることが多くなってきていますが、今回はダンサーとして作品に身を委ね、アレクシさんが演出する世界観、サーリアホさんの音楽にどっぷりと漬かって踊れることの喜びを今はすごく感じています。

音楽の中にある答え、能の中にある心を捉えていく

──この作品では2曲の能を題材にしていますが、サーリアホさんが創作に着手したのが2011年頃だと聞いています。バリエールさんは彼女の実の息子ですが、当時、作品について何か話を聞きましたか?

カイヤ・サーリアホ

バリエール 私たち家族は仕事の関係もあって、いつも一緒にいるわけではないんですが、カイヤがエズラの能の本を知ったきっかけは、ピーター・セラーズとエズラの長編詩「キャントウズ」をもとにしたオペラの仕事をしていたときだったと記憶しています。ピーターから作者の能の本を勧められて、彼女は日本文化に深い感銘を受けているものだから、とても興味を持ったんです。この本は、西洋に能を広く知らしめた貴重なものなので、私もよく知っていました。「Only the Sound Remains」を考察すると、彼女はエズラが能を単純に英訳したのではなく、「新しい芸術として世に生み出した」と感じたんだと思います。そこでカイヤは、このオペラで、能の音楽を西洋の音楽にするのではなく、能から受け取ったインスピレーションを新しい様式に昇華させようと試みたのではないかなと。

普段、私は現代の作曲家と多く仕事をしているので、スコアを前にして作曲家と話をすることはよくあります。モーツァルトやベートーベンが死んでしまったのが残念でならないくらい(笑)、作曲家と話をすることは大切だと思うんです。でも実は、作曲家が本当に伝えたい、表現したいことは、音楽の中にすでにあるんですね。音楽には常にミステリアスな部分があって、カイヤの楽曲は日本語の“幽玄”という言葉がまさに当てはまります。ですので本作についても、実務的なこと以外は、音楽の中に答えを探していくようにしています。

──森山さんは初演を映像でご覧になったそうですが、どのような感想をお持ちになりましたか?

森山 僕は日本人としてアーティストとして、能にリスペクトを持ち、敬意を払いながら活動をしてきました。とはいえ、僕は伝統芸能者ではなく、能の世界に精通しているわけでもないので、10年来の能楽師との創作経験はありますが、能に対してまた違った感覚を持っていると思っています。言うなれば僕は、さまざまなコラボレーションからいろいろなことを受け取り、自分なりにアウトプットしてきたアーティストの1人。なので、能から新たなものを生み出していく、なぞるのではなく、新たな形でアウトプットしていく方たちの姿を初演で観ることができて、とても感動したのを覚えています。僕よりサーリアホさんのほうが能に詳しいかもしれないけど(笑)、だからこそ気負うことなくやりたいなと。アレクシさんが先ほど言った、音楽の中にいろいろな思いがあるように、能という大きなものの中にある“心”を僕なりの感覚で捉えられるといいなと思っています。