オペラ「Only the Sound Remains ─余韻─」|アレクシ・バリエール×森山開次 “不可能な憧れ”に近付くために…オペラ「Only the Sound Remains ─余韻─」を語る

1つのことを見極めるには、その対極も見る必要がある

──「経正」では、経正の亡霊が琵琶の音に惹かれて姿を現したものの、やがて自分の心を恥じて闇に落ちていく姿が描かれます。一方の「羽衣」では、天人が漁師とのやり取りを経て富士の峰へと昇っていく様子がつづられます。「Only the Sound Remains」の題材となった2曲は、逆の性質を持つようにも感じられますが、それらを並べた作曲家の意図は何だと思いますか?

稽古中のアレクシ・バリエール(右)。
アレクシ・バリエール

森山 初演を観たときに、2つの題材をモチーフにして「Only the Sound Remains」というタイトルを付けたことに驚愕しました。僕も、この2曲は共通したところがありながら対称であると思っていて。僕が能に惹かれる理由の1つかもしれませんが、「Only the Sound Remains」は「経正」「羽衣」の“そこにいながらにしていないもの、音が響いているようでそうではない、存在と不在の間に生まれる空気感”をとても大事にしている。「経正」の闇、「羽衣」の光という部分もそうですが、1つのことを見極めるには、その逆も見極めるようにしなくてはならないんです。僕も常に対極する2つの事柄について考えていますし、この作品では光と闇の間で、自分の身体をどう存在させられるかが、大きな課題だと思っています。

──森山さんは、「経正」と「羽衣」の物語のどんなところに興味を惹かれますか?

森山 僕は「経正」の亡霊となった経正、「羽衣」の去っていく天人、どちらも現世に対して、名残惜しい思いを持っていると思っていて。でもどちらのキャラクターにも、「この世も捨てたもんじゃない」という美しさが含まれているのが、素晴らしいと感じますね。

バリエール 森山さんがおっしゃった「経正」と「羽衣」の共通点として、私は“時間の感覚”が挙げられると思います。カイヤとはあまり話すことはないと言いましたが、実は先日、「Only the Sound Remains」について話す機会があったんです。「羽衣」の最後にある序の舞と破の舞の在り方について聞いたところ、彼女は「それ何のこと?」と。カイヤは能の構造についてあえて勉強していなかった(笑)。でも「Only the Sound Remains」には能っぽさがありながら、そのままオペラ化するのではない、新しいアートフォームの芽吹きのようなものが感じられます。ではカイヤは能から何をすくい取ったのか。それは能の持つ“時間の感覚”なんじゃないかなと。

能は、何かを望んでは失敗し、それでもやろうとする人間の“不完全さ”をじっくりと時間をかけて表していると感じます。例えば「経正」は、3ページと短いテキストながら、上演時間は1時間で、その中で暴力と後悔にとらわれた経正が、何とか抜け出そうともがくさまがつづられる、癒やしの物語です。また「経正」は壮大な軍記である「平家物語」の“その後の物語”でもある。「平家物語」の戦いの詳細はよく知られるところですが、能では戦いを経て生き残った人たち、勝利や敗北から歩み始める人間たち、または亡霊に光が当てられます。劇的な戦闘に比べると退屈かもしれませんが、そこに描かれる人々の姿は豊かで、時間をかけるべき物語を持っている。一方で「羽衣」では、漁師の白龍が偶然拾った羽衣の素晴らしさを理解し、手放すべきだという理性と、自分のモノにしたい欲望との間で何度も葛藤を繰り返します。「経正」では魂がどのように悲しみと対峙するのか、「羽衣」では“真の美”をどう理解し評価するか、それぞれの答えが導き出されるまでを時間をかけて描写しているんです。

森山 時間をかけて悲しみや事後の物語を描くというのは、能の核心を捉えた言葉ですね。すべての能に必ず救いがある。そういう意味では、能は時間の捉え方が雄大で、包容力があるのだと改めて感じます。

“不可能なことへの憧れ”が昇華するさまを、森山がダンスで体現

──能では鳴り物や謡の響きがぶつかり合ったり、セリフの意味が多重に考えられたり、“音”や“聴こえ”が重要になります。そのことを的確に示した「Only the Sound Remains」というタイトルについて、どう思いますか?

森山 能の音楽や謡について僕は多くを語ることはできませんが、薪能に参加させていただく機会があって、そのときに囃子や謡の音楽は、火のパチパチとした音や風の音、虫の音が混ざり合って聴こえるように計算して作られていると感じました。踊っていてもそれは薪能の醍醐味で。サーリアホさんの音楽からも、薪能のときに聴いた、さまざまな自然の音が含まれているように感じられます。

稽古中のアレクシ・バリエール(左)。

バリエール このタイトルを見たときに、正しい佇まいが求められているかのような、謙虚な気持ちになりました。音が表現し得る繊細な部分は、言葉にはなかなかできないものです。イギリスの文人ウォルター・ペイターが「すべての芸術は音楽という形態に憧れる」と言っていますが、同じようなことがこのオペラにも起きていると思います。「経正」も「羽衣」も音楽にインスピレーションを受けていて、第1部では経正が琵琶の音に憧れ、第2部には森山さんが言ったような、自然界の音楽がある。これらの音楽は“不可能なことへの憧れ”を表していて、“近付くために模倣する”という欲望でもあると思います。例えば「人間の究極の願望は透明になることだ」というテキストがあったとして、人には肉も骨もありますから、完全に透明になることはできません。でも、演出家の私だったらライトを当ててそう見えるように試します。

「経正」と「羽衣」には、音楽になりたい、透明になりたいという願望があって、その不可能さとのコントラストが緊張感のある中で浮かび上がってきます。そこで、“踊りが音楽になる様子”を見せることが、大切になる。だから振付家でダンサーの森山さんと今回ご一緒できることが本当に楽しみなんです。

森山 今、アレクシさんから「透明になる」というワードが出ましたが、僕自身、ダンスを始めたきっかけが「透明になるまで踊りたい」ということでした。不在と存在の間で、透明になるまで踊るという、あの頃の思いにもう一度、この作品でアプローチして、アレクシさんの演出とサーリアホさんの音楽の中で、透明になるまで踊ってやるぞ!というのが正直な気持ちです(笑)。

──また、森山さんの創作では月が重要なモチーフとして描かれることが多いですが、今回の2作の台本にも月の描写が出てきます。その点で、何か観客のヒントになるようなことはありますか?

森山 月や異界というものに、ずっと惹かれているのはありますね。踊りをやるうえで、僕が見つけたいものの導き手として月があったり、異界の存在があるのかなと。そういう意味でも、このオペラには、純粋に舞踊家としてやるべき挑戦が詰まっているように思います。

生の声や音を聴きながら、身体で吸収できる現場が待ち遠しい

──新制作となる「Only the Sound Remains」が日本初演されることに、オペラファンや舞踊ファン、能ファンからも注目が集まるかと思います。これからお二人が日本で対面し、創作を始めるにあたり、どのような部分が膨らんでいけばいいと思いますか?

バリエール 私自身、「Only the Sound Remains」の新演出を担うことは大きなプレッシャーではあります。(初演を手がけた)ピーターは、助手を務めたこともある、いわば先生のような存在。1度上演されて、そのまま消えてしまうオペラが多くある中で、新たな演出で世に送り出せるのは大変栄誉なことです。2度目があれば3度目、4度目の可能性があり、オリジナリティを加えて作品を広げていくことができますから。今回は日本人のアーティストをお迎えし、初演とはまた違う美しさが現れると思います。私にとって、旧知の仲のアーティストと初めてのアーティストが混在するカンパニーになりますが、そういうときって、よく知る人が実はそうではなかったり、あまり知らなかった人たちに近いものを発見したり、素敵な驚きが生まれるんです。劇場には新たな衝突を生み出し、解決するという性質があります。この作品では芸術に献身するアーティストがそれを体験し、文化の違いを超えたものが立ち現れるはず。世界に多くの分裂が見られる中、芸術は素晴らしい対話の手法を持っています。盗むのではなく、創造し、今後のクリエーションにつなげていくのが芸術。ですから、今回の舞台をとても楽しみにしています。

森山 まさにアレクシさんのおっしゃる通りで、その言葉を自分自身に置き換えながら聞いていました(笑)。今までは稽古場でビデオを撮って、それをもとにやり取りをしていたのですが、対面してどういう化学反応が起きるか、楽しみにしています。僕は本当に、今回は純粋なダンサーとして取り組みたいので、生の声や音を聴きながら、身体で吸収できる現場が待ち遠しい。このご時世になかなかできることではないこの機会を貴重に思いますし、今回体験するすべてのことを大事にしていきたいなと思っています。