成河、METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》」に興奮「絶望感を感じるくらい素晴らしい」 (2/2)

“ボーダー”にどのように向き合うか

──作曲はスパイク・リー作品など多数の映画音楽を手掛けているテレンス・ブランチャード。観客としては非常に聴きやすく、印象に残る楽曲ばかりですが、ジャズの要素も入っており、歌手や奏者にとっては音楽的にかなり難しいのでは、と思いました。

そうですね。最初に劇場の客席からステージ全体が映されたときに感じたのは、オーケストラの存在感です。ミュージカルを見慣れている人間からすると次元が違う感じがするというか、オペラを観に行く人は、お話を観に行くわけじゃなくて音楽を聴きに行くんだなと思いました……と考えると、やっぱりオペラは、現代演劇やミュージカルとは一線を画すものなんでしょうね。指揮を務めたヤニック・ネゼ=セガンさんが、インタビューの中で「オペラ的でありながら、一方で完全にジャズになる部分もある」と、楽曲のジャズ的な要素に触れられていました。観る前は形式を壊すようなジャズが入ってくるのかと構えましたが、そうではなくてオペラの形式の中に自然といつの間にかジャズの要素が入ってきて、またいつの間にかオペラの世界に戻っていくという構成で、その揺らぎがすごく面白かったです。

METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》MET初演」より。©Ken Howard / Metropolitan Opera

METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》MET初演」より。©Ken Howard / Metropolitan Opera

──指揮者のヤニック・ネゼ=セガンをはじめ、カンパニーが非常に和気藹々としているのも印象的でした。

そうですね。人種の混在した社会生活の中で、ボーダーをどう捉えていくかという、マイノリティの考え方が日本とは全然違うのかもしれません。日本は「ボーダーなんか忘れて楽しく過ごそう!」という意識だけど、アメリカではボーダーに対してどう向き合うかとか、本作のようにボーダーに言及した作品をなんとか実現させるんだ!という熱気みたいなものがあるんじゃないかなと思います。

──確かに日本とアメリカの状況の違いも感じます。今年、新国立劇場ほかで上演された、トニー・クシュナーの代表作「エンジェルス・イン・アメリカ」は、1991年にアメリカで初演された、共和党政権とエイズや人種問題を描いた作品で、2000年代に日本でも上演されました。2004年と2007年に日本で上演された際、成河さんも天使役で出演されましたが、LGBTQ+や人種問題など、マイノリティを巡る状況は、当時と現在であまり変わっていないように感じます。

そうですね、変わらないどころか……という感じもします。演劇界では鄭義信さんが、その問題に対して扉をふっと開きました。在日コリアンに関することです。でも、実社会に照らしたとき、日本人と在日コリアンに何か差異が見出せるかというと、実はそこに特別な差異はない。またダイバーシティの観点からすると、日本人対在日コリアンという図ではなく、もっといろいろなことが混じった中で存在が当たり前になっていくことが大切で、でもその道のりは険しいなと思います。ただそれでも、我々にできることは問題をオープンにしていくことで、たとえ何の議論も生まれなかったとしても、開き続けるべきだと思っています。また「チャンピオン」はそのような意識がなければ絶対に作れない作品だと思います。「エンジェルス・イン・アメリカ」に出演した際、もし日本でもこのような、1つの民族の大河ドラマのような作品を作るとしたら、どんな作品になるんだろうと考えたんです。例えば鄭さんの「焼肉ドラゴン」(編集注:2008年に日韓共同制作により初演された、鄭義信作&ヤン・ジョンウン演出の現代演劇。1970年代の日本で焼肉店を営む、在日コリアン家族を描く)は近しいものがあるのかなと思いますが、日本でこういった作品を作るのは、タブーが多すぎて難しいだろうなと感じます。

成河

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舞台は鏡。観客は自分で自分を赦し、癒やす

──本作は舞台美術や衣裳、照明なども非常に凝っています。演出家としての成河さんは、どんなところが気になりましたか?

本作の舞台装置は上下2階建てで、老エミールの部屋が上、青年期のエミールの部屋が下になっています。その老エミールの部屋が、最後に1階に置かれるんだけど、あれはどうなってるんだろう?(笑) 実はものすごく大変なことだと思うので、どんな機構になっているのかなと思いました。また全体的にシンプルではあるんだけど、空間を分けたり、混ぜたり、移動させたりという見せ方がカッコいいし、考え尽くされた結果、少ない手数で演出されているのがオシャレだな、僕は好きだなと思いましたね。

──舞台の両端に設置された巨大スクリーンも印象的でしたね。

そうですね。あんな巨大な映像を出すのってすごいですよね、圧巻でした。劇場の天井が高いということもあるんだけど、あれだけ大きく人を映すと、背景としても舞台美術としてもすごく効果があるんだなと思いました。……きっとあのスクリーンもそんなに安くないと思うんですよね(笑)。

また展開もすごくスピード感がありました。老エミールが過去を回想するシーンでは、現実と悪夢のようなものが混ざっていきますが、リングアナウンサーが「次の対戦者は……次の対戦者は……」と何度もコールする声がこだまします。あのコールはおそらく、認知症の老エミールの頭の中で、ずっと聞こえている声なんじゃないかなと思います。

──ボクシングに着想を得た振付やステージングも、舞台に鮮やかな華を添えていました。

METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》MET初演」より。©Ken Howard / Metropolitan Opera

METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》MET初演」より。©Ken Howard / Metropolitan Opera

メイキングで見た、振付家カミール・A・ブラウンさんの立ち居振る舞いや話している様子に惹かれました。青年エミールがニューヨークに出てくるシーンでは、ちょっとギョッとしたんです。「このあまりにもカラフルな感じを、どう受け取ったら良いんだろう?」と(笑)。でも、作品自体は徐々に薄暗いトーンの世界になっていくので、エミールが実際にニューヨークで受けたインパクトが、色の変化で表現されているのかなと思います。振付自体も、振付家さんが統制している感じではなく、それぞれが伸び伸びと踊っている感じ(笑)。でもそれが1つの作品としてのまとまりに感じられるのはすごいことだなと思いました。

──最後は、人間・成河さんの目から見た本作の面白さについて語っていただきたいです。

そうですね……ラストのほうで語られる、「自分を許せるのは自分自身」という意味合いが込められたセリフが印象的でした。僕はSNSが苦手でやらないんですが、ブログだけは続けていて。というのも僕は、思いを発信するまでに長く時間がかかってしまうんです。だからみんな、なんでそんなにすぐに思っていることを発信できるのか不思議なんですけど(笑)、話してみると「実は苦手」という人も多くて。それなのになんですぐ自分の思いを発言するのかって思うと、苦しみたくないからなんじゃないかと思います。もちろん僕も苦しみたいわけではないですが、誰かに何か言ってもらうことで、自分の苦しみが減るように感じるだけではないかなと。

また演劇を始め多くの芸術作品にも、触れることで「この苦しみは自分だけのものじゃない」と感じ、癒やされることがあります。でもその癒やしをSNSに求めてしまうと、せっかくの自分の苦しみが癒やせなくなってしまうんじゃないかなと思っていて。やっぱり苦しみは時間をかけて癒やすものだし、時間をかけて苦しみ、自分で自分を許すというプロセスを経ないと、本当の意味では癒やされないのではないでしょうか。それに、苦しみはその人だけのもので、ほかの人にはわからないものだから、ほかの人の意見で本質的な苦しみが癒やされるということもないんじゃないかと思います。

よく“劇場でみんなで1つになる喜び”という言い方をしますけど、実はそこにも僕は昔から違和感があって……というのも、僕は“1つにならなきゃいけない苦しみ”のほうが昔から強かったんです。だってみんなそれぞれ全然違う人間で、あなたの苦しみと私の苦しみは全然違うのに、1つになるのって難しいんじゃないかなって。そのうえで、「シアターで癒やされるとはどういうことか」を改めて考えたとき、シアターで癒やされるとは、自分が気付いてなかったことを作品に教えてもらって癒やされるのではなく、鏡に写った自分の姿を見ることで自分自身を癒やしているんじゃないかなと思いました。よく役者は花に喩えられますが、僕は一時期、舞台を観ることを“お花見”だと言っていたんです。人はお花見をしてつらいことを忘れたり癒やされたりするんだけど、花自体は別に、誰かを癒やそうと思っているわけではない。でも花がちゃんと花でありさえすれば、それを見る人が自分で自分に必要なことをしてあげられるはずだと。それがシアターの効能だと思います。今作でも、エミールの境遇や彼が抱えている問題がどうだったかということだけではなく、この作品を観た人が自分自身を見つめることが大切で、今回、その大切さを改めて感じましたね。

成河

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──ちなみに青年期のエミールを演じたライアンさんは、学生時代にMETで観劇したことをきっかけにオペラ歌手を目指したそうです。子供時代には苦労があったそうですが、彼もまさにシアターによって人生が変わった1人といえますね。

そうですね。本作のモデルであるボクサーのエミールのように、最初はただ「有名になりたい、何かを成し遂げたい!」という思いで一歩踏み出すんだと思うんです。それは社会に生きる本能として理解できますし、誰しも最初の動機は実はそういうものなんじゃないかと思います。ただその過程で何に出会うか……エミールはボクシング、ライアンさんはオペラ、僕の場合は舞台だった、ということだと思います。

METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》MET初演」より。©Ken Howard / Metropolitan Opera

METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》MET初演」より。©Ken Howard / Metropolitan Opera

METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》MET初演」より。©Ken Howard / Metropolitan Opera

METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》MET初演」より。©Ken Howard / Metropolitan Opera

劇場に行きたくなる、METライブビューイング

──また近年アメリカでは、オペラに限らずミュージカルや現代劇でもLGBTQ+や人種問題を中心とした作品が増えています。日本でも少しずつ状況が変わってきたところはありますが、成河さんはクリエーションを通してどんなことを感じていますか?

翻訳劇をやるなら、LGBTQ+や人種問題を含んだ作品は当然ラインナップに入ってきますよね。でも日本で新作を作ろうとすると、なかなか難しいなと。もちろん創作環境さえ整えば、日本でもLGBTQ+や人種問題に向き合った新作がもっと増えるような気がしますが……では何を整えればいいかというと、やはり作品に投資する時間とお金の問題だと思います。日本では小劇場で多くの作家さんが生まれ、その人たちが商業演劇に吸い上げられて消費されるという傾向がこの数十年ずっと続いています。でももっと長期的なビジョンで新作を作る覚悟があれば、日本でも「チャンピオン」のような新作を作ることができるのではないでしょうか。そもそも、「そんなことばっかり毎日考えていられないよ!」という問題に対して立ち止まって、意見するのが演劇ですから(笑)。という意味で、作り手の方たちがいろいろな作品を作れる環境が整えば良いなと思いますし、我々はそれを支え、応援していくスタンスをずっと取り続けられたらなと思います。そしてその輪を若い人にも広げていかないといけないと思っていて……問題山積みですね(笑)。でも解決しなければいけない問題がたくさんあるからこそ、若い人にもたくさん舞台の世界に入ってきてほしいし、入って来たいと思えるような魅力的な場を、それぞれが作るということが大事かなと思います。

──今回、成河さんにはMET作品を初めて体験していただきましたが、いかがでしたでしょうか。

オペラって歌声が綺麗過ぎて、劇場で実際に聴くと、仰天するんですよね。音はエネルギーですから、実際に歌声を浴びると「こんなにすごいんだ!」と驚きます。映像ではさらに綺麗過ぎて非現実的な感じもするのですが(笑)、「チャンピオン」を観て、映像でこれだけすごいのだから、ぜひ劇場へ行ってみたい!という気持ちになりました。しかも「チャンピオン」は、ここまでお話ししてきた通り、相当な時間とお金と熱意をかけて作られたもので、ストーリーも誰でもわかるように描かれている。それが3700円、学生は2500円で観られるわけでしょう? ある意味、日本の現代劇より安く観られてしまうなんて、こんなぜいたくな体験はないですよね!(笑) さらに6月末からはイヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出の「ドン・ジョヴァンニ」、7月中旬からはサイモン・マクバーニー演出「魔笛」もMETライブビューイングで上演されると知って、ものすごくびっくりしました! イヴォ・ヴァン・ホーヴェは、舞台好きなら当然注目している演出家だと思いますし、サイモン・マクバーニーは僕の演劇キャリアの半分くらいを作ってくれた恩人。海外では舞台の演出家がオペラの演出も多数手がけていて、日本でも徐々にオペラ演出をやる人が増えてきていますが、僕もこれからもっとオペラを観に行こうと思います。METライブビューイング、チェックします!

成河

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プロフィール

成河(ソンハ)

1981年、東京都生まれ。大学時代に演劇を始める。平成20年度文化庁芸術祭演劇部門新人賞、2011年に第18回読売演劇大賞・優秀男優賞、2022年末に第57回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。近年の主な出演舞台に劇団☆新感線「髑髏城の七人」Season花、ミュージカル「エリザベート」、「子午線の祀り」、ミュージカル「スリル・ミー」、「森 フォレ」「冒険者たち」「導かれるように間違う」、ミュージカル「COLOR」、「建築家とアッシリア皇帝」、木ノ下歌舞伎「桜姫東文章」、「ラビット・ホール」など。映像ではNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、など。6月から7月にかけて音楽劇「ある馬の物語」、8月にPARCO劇場開場50周年記念シリーズ「桜の園」、11月に「ねじまき鳥クロニクル」(再演)への出演を控えている。

METライブビューイング 今後のラインナップ

「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》」MET初演

2023年6月16日(金)~22日(木)
東京都 東劇、新宿ピカデリー ほか
※東劇のみ6月29日(木)まで上映。

指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:ジェイムズ・ロビンソン
出演:ライアン・スピード・グリーン、エリック・オーウェンズ、ラトニア・ムーア、ステファニー・ブライズ

「モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》」新演出

2023年6月30日(金)~7月6日(木)
東京都 東劇、新宿ピカデリー ほか
※東劇のみ7月13日(木)まで上映。

指揮:ナタリー・シュトゥッツマン
演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ
出演:ペーター・マッテイ、アダム・プラヘトカ、フェデリカ・ロンバルディ、アナ・マリア・マルティネス、イン・ファン、ベン・ブリス

「モーツァルト《魔笛》」新演出

2023年7月14日(金)~20日(木)
東京都 東劇、新宿ピカデリー ほか
※東劇のみ7月27日(木)まで上映。

指揮:ナタリー・シュトゥッツマン
演出:サイモン・マクバーニー
出演:エリン・モーリー、ローレンス・ブラウンリー、トーマス・オーリマンス、キャスリン・ルイック、スティーヴン・ミリング