成河、METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》」に興奮「絶望感を感じるくらい素晴らしい」

現代の作曲家による新作オペラが積極的に上演されている、世界三大歌劇場の1つであるアメリカ・ニューヨークのメトロポリタン歌劇場(以下MET)。4月10日に初演された「チャンピオン」は、晩年まで自身のセクシャリティを隠し続けた、実在のアフリカ系アメリカ人のボクサー、エミール・グリフィスをモチーフにした新作オペラだ。グラミー賞作曲家で、アフリカ系アメリカ人のテレンス・ブランチャードのジャズ由来の音楽と、ジェイムズ・ロビンソンによるカラフルで躍動感あふれる演出は、演劇ファン、ミュージカルファンをもワクワクさせること間違いなし。劇中では、実力派ぞろいのキャストによる歌声に乗せて、性的マイノリティへの差別意識や人種問題など、現代的な社会テーマが、深く掘り下げられていく。

そんな“今”を感じさせるオペラ「チャンピオン」が、6月にMETライブビューイングに登場する。上映に先駆け、一足早く本作を鑑賞したのは、数多くの演劇・ミュージカル作品に出演し、自身も大の舞台ファンである成河。「めちゃくちゃ感動しました!」と瞳を輝かせる成河は、パフォーマーとしての視点、演出家としての視点、そして現代を生きるひとりの人としての視点で、本作の魅力を熱く語ってくれた。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 藤田亜弓

METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》」プロモーション映像公開中

METライブビューイングって?

METで上演されるオペラ公演の舞台映像を、日本全国の映画館で楽しむことができるコンテンツ。驚くべきはそのスピードで、METでの上映からわずか数週間後に、日本語字幕付きの舞台映像を映画館で観ることができる。音響は5.1chサラウンドで、撮影は10台以上のカメラが用いられており、まるで作品を劇場の特等席で観ているような、METライブビューイングならではの観劇体験を味わうことが可能だ。幕間には、出番を終えたばかりの出演者へのインタビューや、バックステージ映像が上映される。「チャンピオン」上映期間終了後は、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出のモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」、サイモン・マクバーニー演出のモーツァルト「魔笛」と、古典オペラを人気演出家が新演出で立ち上げたプロダクションが控えている。

成河が語る、
METライブビューイング
「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》」

作品に懸ける熱量がうらやましい

──本作は、1960年代から70年代にかけて活躍したプロボクサーで、元世界2階級制覇王者エミール・グリフィスをモチーフにした現代オペラです。エミールは112戦85勝という驚異的な実力を見せますが、ライバルであるベニー・“キッド”・パレットにゲイであることをからかわれ、その後の対戦でベニーを死に至らしめます。本作では、そんな彼の苦悩の日々が、過去の回想とともに描かれます。成河さんは作品をご覧になって、まずどんなことが印象に残りましたか?

めちゃくちゃ感動しました。その意味はいろいろありますが、真っ先に感じたのは、この作品を作るのにどれだけの時間とお金と熱意が懸かっているんだろうということ。それが純粋にうらやましかったです。現代オペラが、これだけの規模で作られることの豊かさを感じましたし、「我々には、これはできないなあ」と絶望感を感じるくらい、素晴らしいものでした。

また、僕は古典的なオペラをあまり観ていないのですが、現代的な演出のオペラは比較的観てきたと思います。ピーター・ブルックから始まり、サイモン・マクバーニーなどが演出したもの。近年の日本では、岡田利規さん、上田久美子さんもオペラを演出なさってましたね。ただどれも古典を現代化したもので、いわゆる新作オペラは初めてだったんですね。「チャンピオン」は、老いて認知症になったエミールが、すべてを回想するという描かれ方で、舞台上には老エミールと青年期のエミールが同時に存在します。形式はあくまでオペラですが、構成が具体的でスッと入ってくるので、僕が普段観慣れている現代演劇と何一つ変わらないなと思いました。

またこの作品は“赦し”の物語ですが、一体どれだけの業界の慣習を打ち破ればここにたどり着けるんだろうと思って、途方に暮れました。日本ではそもそも慣習を破るということが一番不得意ですから。人種やセクシャリティの問題がアメリカはもっと複雑でしょうから、こういった問題を取り扱った作品が、世界三大オペラハウスの1つでかかるまでの道のりたるや、僕らの想像の比じゃないんじゃないかなと思います。それだけ作品を支える人たちの存在を強く感じましたし、作品の前後やインターバルでのインタビューでも、そのことは強く語られていましたね。

成河

成河

技術があっての心、心があっての技術

──成河さんはパフォーマーとして多数の作品で活躍される一方で、2021年には演出家デビューもされました。また公共劇場の芸術監督によるトークでは司会を務め、ご自身の文化芸術に対する思いも明かされるなど、舞台芸術に対する幅広い視点をお持ちです。そんな成河さんに、まずはパフォーマーとしての目線から本作の見どころを伺いたいです。

僕は先にお話しした通り古典的なオペラをそんなに観ていないので、そういった定石では話せないのですが、逆にヨシ笈田さんのように、古典的なオペラに対抗するような現代オペラを作っている人たちの話を聞いてきました。まず、老エミールを演じたエリック・オーウェンズさんが、幕開きからずっと目に涙を浮かべながら歌っていることに驚きました。彼の目が涙で光っていることはアップになるから気付く、まさにMETライブビューイングだからこそわかることですが、泣き叫んだり声がぶれたりすることはなく、でも彼はずっと泣いています。それって、演者としてはちょっと高ぶるようなことなんですよ。つまり、超絶技巧の歌唱技術と内面をつなげつつも過剰に表現せず、むしろ(感情を)圧縮する演技を見せている。現代演劇はリアリズムで感情をあふれさせていく作業ですが、お能や歌舞伎、オペラは、あふれそうになるものにしっかり蓋をしたうえで演じます。彼の演技は、何十年間の訓練の賜物だなと感じましたし、オペラという形式だからこそなせる技だなとも思いました。

成河

成河

──確かにストーリーの展開に合わせて感情を作っていくのではなく、彼は冒頭からラストまでずっと“過去を回想し続ける老エミール”の心境で歌い、演じていますね。

でも役に入り込んでしまってはダメで、俳優は役に入り込みながらも次に何をするかを考えて、それをまっとうしないといけない。例えば歌舞伎俳優のように何十年も鍛錬してきた人は、演技と技術が兼ね備わっているので、それらが自然とぶつかり合いエネルギーが生まれるわけです。しかもオペラは、当然マイクなしでしょう?(笑) 4000人近く入るあの空間で、マイクなしで声を届かせるオペラ歌手の技術には、やっぱり戦慄を覚えます。技術があってこその心だし、心あっての技術。舞台はその結晶なんだなと改めて教えられました。

また、青年期のエミールやライバルのベニー・“キッド”・パレットを演じられた歌手さんにもびっくりしました。METの舞台に立てるほどの歌唱技術を持っている人、というだけでも狭き門だと思いますが、ボクサー役を演じるうえで体型的にも完璧で!(笑) 声楽をやる人はあまり筋肉を鍛えると声に影響すると聞いたことがあったのですが、そんな次元じゃないのかなって思うくらい素晴らしい肉体でしたね(笑)。

METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》MET初演」より。©Ken Howard / Metropolitan Opera

METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》MET初演」より。©Ken Howard / Metropolitan Opera

──エミール役のライアン・スピード・グリーンさんは、役作りのために30kg近くダイエットしたそうです。

え、30kg? でもそんなにすぐに30kgなんて落とせないだろうから……ということはやっぱり、この作品のためにどれだけ時間を注ぎ込んでいるのか、を感じてしまいますね。彼はエミール役に大抜擢だったそうですが、少年院にいたこともある彼が、そこからどういう道筋をたどってあそこにたどり着いたのかを考えると、想像の域を超えます。

成河

成河

──彼自身の努力はもちろん、実際に多くの人の支えがあったのでしょうね。

幕間に行われたインタビューがライブ感があって面白かったんですけど、ライアンさんは、インタビュアーもたじろぐぐらい興奮した様子で、いろいろな人に対する感謝を述べていましたね。それだけ彼がこの作品に思い入れがあるということだし、作品を支える人がそれだけたくさんいるということは、本作の上演には切実な必要性があるんだろうなとも思います。と同時に、翻って僕たちにとって切実なものってなんだろう?とも考えさせらました。

──歌唱力、演技力を兼ね備えたキャスト陣の中で、幼少期のエミールを演じた子役も大活躍でした。

METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》MET初演」より。©Ken Howard / Metropolitan Opera

METライブビューイング「テレンス・ブランチャード《チャンピオン》MET初演」より。©Ken Howard / Metropolitan Opera

素晴らしかったですね、あの声量! でもちゃんと子供らしいあどけない演技も残っていて、すごかったですね。ラスト、赦しというテーマに対して、3代のエミールが並ぶところは、現代演劇的にはある意味、王道な演出ではありますが、一貫したテーマの描き方に泣かされますし、とても良いシーンだと思いました。あと、新作だからかもしれませんが、オペラにしてはセリフがけっこう多くて、それも観客の入り込みやすさになっていたと思います。

また4000人に声を届けるには、口の開け方を変えたり、早くしゃべらないようにしたりするんですが、それは英語も同じなんだなと思いました。楽曲的にも同じフレーズを繰り返しながら、少しずつ歌詞を変化させていく形になるんですが、1回聞いただけではよくわからなかったフレーズも繰り返すことで意味が豊かになっていくのが、オペラという形式の一番の強みなのかなと思いました。僕の仲間内ではよく、“リアリズム病”って言葉を使うんですけど(笑)、我々はどうやってもリアリズムに意識が侵されがちで、でもオペラは、オペラという形式を守りつつ新たな表現を模索しているところに感動します。「チャンピオン」も、現代的なテーマを据え、現代的な演出と構成を用いていますが、それでもなおオペラの形式を守っているところが素敵です。やっぱり演劇って形式のことですし、形式を探している過程こそが現代演劇だと思います。