「め組」のおかげで、統一した“火消し像”が残っている気がします
──「め組の喧嘩(以下、め組)」はまさに江戸の魅力が詰まった作品ですが、紗久楽さんは2012年の上演を実際に平成中村座でご覧になっているそうですね。いかがでしたか。
こんなに観たかった江戸っ子が目の前にいる感動ってないです。当時、「かぶき伊左」という、まさに猿若町に江戸当時あった「市村座」という芝居小屋の話を描いていたので、めちゃくちゃテンションが上がって観たのを覚えています。江戸人が芝居を観た地で、自分も江戸の芝居を観られたわけですから。一瞬の江戸旅行、タイムトラベル気分ですよね。元気な火消しのお兄ちゃんたちの足音が、狭い小屋に地鳴りのように伝わってきて、照明も暗いし、お客が座って舞台を観る目線も、役者との距離感も近い。それになんと言っても中村勘三郎さんの、血気盛んな若者たちをまとめ上げる、格好いい頭(かしら)が衝撃でしたね。ほかの頭を演じられた役者さんと比べて何が違うんだろうとずっと考えていたら、勘三郎さんってすごく演技に身振りが多いんですよ。首に手を当てたりとか、懐手で手を弄んでいたりとか。その手数の多さが、本当にマンガを描くときの参考になりましたね。肝の据わった頭そのものです。
──そういった歌舞伎のエッセンスが紗久楽さんのマンガにはちりばめられているので、読んでいてワクワクします。“義兄弟の契り”とか、“放生会”などもマンガの中に出てきますが、歌舞伎を観たことのない方が「三人吉三」(※4)や「引窓」(※5)を観たときに「マンガで読んだ!」と引っかかってくれそうですよね。
説明を入れ過ぎると本筋と離れてしまうので難しいのですが、気付いてもらえたらうれしいです! 私はファンタジー的というか、ドラゴンがいたらいいなとか、実際いないものを創造する空想力はないんですよね。実際あるものを見て、想像するのは好きなんですけど。火消しについてもいろいろ調べていますが、鳶の火消し衆は職人なので伝え聞きがほとんどというのもあり、統一された資料がないですね。本によって書いてあることが違う。映画や映像作品で、形ばかり観ることはできますけど。でもこの演目のおかげで、ある程度統一した“火消し像”が残っているというのはわかりました。例えばある本に、火消しのことを「仕事師(しごとし)」と言ったらしいと書かれていたのでマンガに取り入れたかったんですけど、確証がなかったんですよ。でも「め組」の中で、火消しに殴られた職人が「俺が殴られたのはあの仕事師の野郎だ」と言っていて……感動しました! あと、鳶たちが鳶口(火消したちが使う樫の棒の先に鳶のくちばしに似た形の鉤をつけた道具)を拭いているシーンがあるんですけど、そういうものを使うというのは本を読めばわかるけれど、やっぱり彼らにとって大事なものだからお手入れするんだ!という、生活感については芝居を観て初めて気が付きました。隣に小瓶みたいなものがちゃんと用意されてあって、それには油が入っているんだろうなとか。そういうものは見ないとわからないし、そしてちゃんと残っているのが、歌舞伎のいいところだと本当に思います。
──江戸に心を奪われた紗久楽さんならではの、マニアックな視点ですね! ちなみに「め組」の中で一番のお気に入りのシーンはどこですか。
やっぱり最後の喧嘩のシーンですね。火消しは刀を使わない人たちなので、屋根の上に上って瓦を落として喧嘩相手を攻撃したりするし、お相撲取りのお兄さんは大きい丸太の棒を持って戦っていたりする。それに15歳くらいの若者から50歳くらいの役者さんまでいて、皆さん舞台で生き生き演じているのが印象的だったので、マンガでこういうシーンを描いたんです。チーム男子の良さが詰まりまくっていますね。あと喧嘩の前に、水盃を年齢の若い順から飲んで足にかけて、最終的にかわらけをバンって割るところ。あれも初めて観たとき「カッコいいー!」ともう痺れました。あそこが観たくて行ってるところもあるくらい。
江戸っ子にとって“いき”は“息”であり“命”である
──紗久楽さんの連載中のマンガ「百と卍」の主役の卍さんも元・火消しですが、この設定を選ばれたのには理由があったんですか。
作品を考えていく中で、絶対に混じりっけのない、ブレが1つもないほど典型的な江戸のカッコいい男、色男の象徴として登場させたいという気持ちがあり、それで火消しかなと。私の中ではもうそのときから、「め組」とか「加賀鳶」(※6)などに出てくるカッコいい、理想の火消しのイメージがあったので、それをとにかくマンガで描きたいと思ったんです。おかげで江戸をよく知らない読者さんでも、“火消しの卍”をマンガ1巻の中で少しだけ描いたら、そこから想像を羽ばたかせて萌えてくれているようで、それがとてもうれしいですね。
──「め組」もそうですが、火消しは江戸の“いき”の象徴のような存在と言われます。紗久楽さんにとって“いき”とはなんでしょうか。
「め組」で書かれている“いき”って“意気地”で、みなさんが一番に思い浮かばれるであろう“粋”と書くほうとは違うものです。“粋”は、「吉田屋」(※7)の伊左衛門と花魁みたいな、遊廓で女性と遊ぶ、駆け引きや洒落っ気の中に生まれるもの。め組のお兄ちゃんたちの“いき”は、“意気地を張る”で、要は“元気と勇気と根性”のことなんです。頭の辰五郎が喧嘩に向かうシーンで示されている美学も“意地を張り通す”ことです。そしてそれを、女房のお仲も称賛します。“いき”には掛詞でいろんな意味があるんですが、吸う“息”という意味も含まれているらしいんです。江戸っ子のいき(息)は“吐く”ものだから、何も持たなくても身軽が一番。つまり宵越しの銭は持たない。着物はスッパリ1色黒がいい。一方、上方は“粋(すい)”、つまり息を“吸う”ほうで、お金をいっぱい貯めたりとか、五色の着物を着たりとか、真逆の美学になるんですよね。“いき”は“息”で“命”なんでしょうね。江戸期の中でも意味がいろいろ変容してきているものなので、現代ではきちんと説明しないと分からなくなっていると思います。でも今聞いても、魅力的な考え方だなと、本当にあこがれを抱いて思えます。
シネマ歌舞伎を観るときは絶対に“推し”を作って帰ってほしいです!
──そんな“いき”の魅力がぎっしり詰まったこの作品がシネマ歌舞伎で上映されますが、おすすめポイントはありますか。
見た目のことで言うと、「め組」に出てくる火消しの子たちってほかの典型的な歌舞伎の化粧拵(こしら)えと違って、白粉を塗らず、紅をささないんですよね。みんな地肌ふうに目尻に茶色をさすんです。これがとにかく引き締まったカッコよさを出してる。これの真似をして、卍さんにも茶色のアイラインを入れてみたらこの時代の男性っぽくなったんですよ。そして逆に、関取の四つ車は、白粉の肌に目じりに濃い朱色の拵えがされていて、色っぽさが炸裂しています。お相撲取も火消しと並ぶ江戸を代表するカッコいい男性像ですからね。この江戸の美のバランス感覚、たまらないです。
──シネマ歌舞伎だとアップの場面も多いので、化粧のように細かいところにも気付けますよね。
そうですね、編集も入るのでテンポがいいですし、あと音がいいですよね。舞台を作っていたときに、「ちょっと人をびっくりさせたり心を打つときは、若干音響を大きめにしたほうがいい」って言われたのを思い出しました。耳に響くだけでなく、身体全体に感じる音量があるらしくて。最後のみんながドタドタしているところも、劇場でもすごくよく聴こえたんですけど、より臨場感がありますしね。あと最後の場面は、一緒に観に行った担当さんと2人で気付いたら泣いていました。お神輿が出た瞬間、それまで対立していた役の人たちも、勘三郎さんの表情も柔らかくなって。
──あのクライマックスは涙なくしては観られないですね……。最後にこれからご覧になる方へ一言いただけますか。
この演劇は江戸時代のカッコいい人しか出てきてないんです。喧嘩はするけど悪い人もいないですし。あと、絶対1人“推し”を作って帰ってほしいです! 1人の役者さんを好きになって、もっと観たいと思っていくと何回も劇場に足を運べるので。誰か1人、推しを見つけてエンディングで名前を覚えて帰ってください。
──歌舞伎未見の読者の方に向けて、紗久楽さんが面白いと思われる鑑賞ポイントを教えていただけますか?
歌舞伎って、まず女方さんと立役さんがいるという時点で倒錯感があるものですが、私は役者さんっていうよりも、芝居の役同士で「この2人って……もしかして?」って思うことがよくあるんです。「髪結新三」(※8)を観ていても、あの弟子(勝奴)と新三の関係って……よくよく考えたらなんなの? とか。そういう関係性を見付けるのは面白いですよ。特にシネマ歌舞伎は、勉強しようと意気込まなくても、自然に視線をナビゲートしてくれるし、歌舞伎はどなたにも何かしらのフェチが見つかる要素が満載だと思います。シネマ歌舞伎は全国の映画館で観られるうえに料金も安いですし、本当に何回も観てほしいです!
文中で紹介された作品ガイド2
- ※4「三人吉三(さんにんきちさ)」
- 河竹黙阿弥作。運命に抗いながら懸命に生き抜こうとする、同じ吉三という名を持つ3人の若者たちの物語。女装の盗賊・お嬢吉三、元侍のお坊吉三、坊主上がりの和尚吉三が血盃を交わし、義兄弟の契りを結ぶ「大川端の場」が有名。[↑戻る]
- ※5「双蝶々曲輪日記-引窓-(ふたつちょうちょうくるわにっき ひきまど)」
- 科人となった兄、それを召し捕る役目となった義弟、更にその母との複雑な心理を描いた作品。明りとりの役目をする「引窓」と、「放生会(仏教の殺生戒に基づき、生き物を野に放す儀式)」がカギとなり物語が展開していく。[↑戻る]
- ※6「盲長屋梅加賀鳶-加賀鳶-(めくらながやうめがかがとび かがとび)」
- 河竹黙阿弥作による、「め組」と同じ火消したちを描いた明治期の作品。粋でいなせな鳶たちの名乗りや、小悪党の按摩・道玄を鳶頭の松蔵が追いつめる様子が爽快な芝居。[↑戻る]
- ※7「廓文章-吉田屋-(くるわぶんしょう よしだや)」
- 大阪の若旦那でありながら、扇屋の夕霧太夫に入れあげ金を散財し勘当の身となった伊左衛門。それでも夕霧に会いたさに紙子(紙の着物)を着てまで店にやってくる。美男美女がイチャイチャしたり、痴話喧嘩をしたりする様子をひたすら堪能できる演目。[↑戻る]
- ※8「梅雨小袖昔八丈-髪結新三-(つゆこそでむかしはちじょう かみゆいしんざ)」
- 河竹黙阿弥作。髪結を営む新三という男が、純情なカップルをそそのかしてある誘拐事件を企むものの、最終的に長屋の大家に一泡吹かせられるというストーリー。新三の弟分の勝奴は髪結の弟子であり、住み込みで身の回りの世話もしているため確かに“嫁”のような存在と言えるかもしれない。[↑戻る]
- シネマ歌舞伎「め組の喧嘩」
- 2017年11月25日 公開
- あらすじ
- 2012年5月に上演された平成中村座「め組の喧嘩」を、シネマ歌舞伎として上映。町火消の「め組」鳶頭の辰五郎(十八世中村勘三郎)は、品川の盛り場で、喧嘩っ早い鳶たちと相撲力士たちの小競り合いを収める。が、武家のお抱えの力士たちより鳶は格下だと言い放たれ、怒りを胸の内に押し殺す。面子を汚された辰五郎は、兄貴分から諭されるも、密かに仕返しを決意。愛する妻と幼い子供に別れを告げ、命知らずの鳶たちを率いて、力士たちとの真剣勝負に乗り込んでいく。
- 配役
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※出演者名は上演当時の表記
め組辰五郎:中村勘三郎
辰五郎女房お仲:中村扇雀
四ツ車大八:中村橋之助
露月町亀右衛門:中村錦之助
柴井町藤松:中村勘九郎
おもちゃの文次:中村萬太郎
島崎抱おさき:坂東新悟
ととまじりの栄次:中村虎之介
喜三郎女房おいの:中村歌女之丞
宇田川町長次郎:市川男女蔵
九竜山浪右衛門:片岡亀蔵
尾花屋女房おくら:市村萬次郎
江戸座喜太郎:坂東彦三郎
焚出し喜三郎:中村梅玉
- 紗久楽さわ(サクラサワ)
- 大阪府出身、平成生まれのマンガ家。インターネット上で自主公開していた、江戸の浮世絵師たちを描く「猫舌ごころも恋のうち」が書籍化され、幕末の歌舞伎を題材に取った「かぶき伊左」で連載デビュー。江戸風俗や時代描写に定評がある。これまでの畠中恵原作の人気シリーズ「まんまこと」のコミカライズや「江戸浮世絵師漫画・猫舌ごころも恋のうち」など。現在は江戸時代BL「百と卍」を、on BLUE(祥伝社)にて連載中。
- 関亜弓(セキアユミ)
- 俳優、ダンサー、歌舞伎ライター。 5歳よりクラシックバレエを始めたことにより、演じることに興味が湧き俳優を志す。映像を中心に活動する傍ら、学習院国劇部にて三代目市川右之助(現・斎入)に師事し歌舞伎に傾倒。実演をきっかけに研究を始め、現在は歌舞伎俳優へのインタビューやコラム執筆など、ライターとしても活動中。2013年に木ノ下歌舞伎のメンバーとなり、15年に歌舞伎俳優と現代劇俳優とのコラボレーションを試みる、架空の大学・歌舞伎女子大学を立ち上げる。