ローソンチケットpresents「ここだけの話 ~クリエイターの頭の中~」最終回 三浦直之×北尾亘×山本卓卓|リスペクトも嫉妬もある、気になる存在

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いつか“大きな時間”を描きたい(三浦)

山本 演劇でもダンスでも既存の形式やマナーが、ある程度決まってるじゃないですか? 例えば演劇では、人と車がぶつかって交通事故が起こるシーンを映画みたいに簡単には描きづらい。それをやる場合は事故があったことを伝聞で伝えて観客に想像させたりする。でも僕はまずその表現が一番良い方法なのかを疑います。それと演劇で扱うテーマについては、インターネットやスマートフォンが物心ついたときからあったネット世代やデジタルネイティブ世代にとって、モニター越しに自分と世界が繋がっている感覚はリアルなものだし、それを「演劇にできない」と言い切るのではなく、可能性として「できないものはない」と信じてみる。「リアルを描く」と言うなら、我々が日常的に使ってるSNSなどのツールを、演劇でも扱うべきだと思う。教科書通りに型にはめて作品を作ることも、それはそれで正しいけど、そればかりにのっとってやってても面白くないよね。

三浦 そうだね。俺は卓卓くんが持ってるアンテナというかモチーフへの感度というか、先を見て捉えてる感じってなんなんだろうって思うの。「さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-」(13年)に個人で動画を投稿する青年が出てきたけど、あれは今で言うYouTuberじゃない? 個人がメディアを持って何か発信するみたいなことの感覚を切り取るのが早かったし、取り込み方も自然だった。

左から三浦直之、北尾亘、山本卓卓。

山本 それに関して言うとシンギュラリティ(編集注:人工知能が人類の知能を超える技術的特異点)を「われらの血がしょうたい」(15年)で扱ったんだけどね。行方不明になった人物が数年後に家に設置された家電製品の人工知能のような形になって現れる物語なんだけど、あの作品がスルーされたことがショックで(笑)。情報の世界、言葉の蓄積や崩壊って演劇でなかなか扱いにくいテーマだと思ってトライした意欲作だったから。

北尾 Baobabを立ち上げた当初、卓卓の影響を強く受けたところがあった。ダンス公演だからダンサーがただ舞台上で踊ることを前提にするのは気持ち悪いと思ってたし、“不安定さに宿る美”と言うか、踊るのが上手じゃない俳優が踊っているさまをどう受け止める?とか、しゃべり慣れてないダンサーがセリフを言うことに、どう立ち会うか?ということに興味があった。ダンスは言葉を使わないことが多いから、動きの一挙手一投足に意味があるんじゃないか?と思われるのが嫌で、言葉を発することでノイズを作って情報を錯乱させようとしてたんですね。でも最近は“言葉を内包している身体”というものを見たくなってきていて、言葉から身体を起こしてみるとか、作る段階では言葉を基軸にして、舞台上では言葉をなくしていくようにし始めてます。

三浦直之

三浦 なるほどね。俺はいつか自分に力が付いたら、“大きな時間”を描きたいって漠然と思ってて、そのために「何ができるようになればいいだろう?」と考えながら作り始めることが多い。例えばダイアローグ(会話)を書くのが弱かったから、それを考えられる場所を作ったのが、固定された場所とシチュエーションで見せる群像劇「いつ高」シリーズ。ダイアローグが少し書けるようになったから、「いつ高」の空気感とロードムービー的な進行の物語を合体させた「BGM」、家の中とか、もう少し場所を固定したうえで、どう空間を解き放つか?を考えた「マジカル肉じゃがファミリーツアー」(18年)を作ったり。毎回「今回はこの筋肉を使えるようになろう」みたいに発想していった。

北尾 それはすごい共感できる。僕も行き着きたい地点に向かう中で、1個ずつアプローチを変えていく。9月に上演する新作の「FIELD-フィールド-」は、テーマに“スポーツ”を選んでいて、それは多くのスポーツとそこに生まれる人々の熱狂を見ていて、最近だと平昌オリンピックやFIFAワールドカップを観ながら「アスリートとダンサーは何が違うんだろう?」という疑問を出発点にしたんだよね。例えばウサイン・ボルトとBaobabのメンバーを比べると、パフォーマンスを高めるためにトレーニングして、舞台に立ったときに最大限の能力を引き出すという、やってることは変わらないかもしれない。スポーツというレイヤーを持ってくることで、ダンスをもう少し身近にできないかな?と考えています。

山本 俺はやっぱり自分と自分の周辺、見えている視野の中で、毎回自分にとってそのとき必要なことしかやってないし、選んでない。三浦くんの言う“大きな時間”って、つまり歴史ってことじゃないかなと思った。自分は1つの作品の中で歴史を描くことより、たどってきたアーカイブを俯瞰的に見て歴史を語ることができないかなって考えてる。あとは単純にお客さんをびっくりさせたい気持ちがあって、「範宙遊泳ってこういうもの」という固定概念を持って観に来た人をちょっと裏切りたい。

もう明日から“演劇の人”じゃなくなってもいいのかもしれない(山本)

山本 実は今年の「フェスティバル/トーキョー18」で映画を1本撮る予定があるんです。最近「そもそも演劇が作りたかったのか?」と思うようになってて、もう明日から“演劇の人”じゃなくなってもいいのかもしれない……ただ、これは付き合ってる彼女に戯れで「お前のこと好きじゃない」って言うようなものかも(笑)。

一同 (笑)

山本 かけがえのない伴侶みたいな話になるなら、演劇抜きには語れないけど。そもそも自分が演劇をやり始めたのも映画を撮ることへの挫折から始まってるんです。カオス*ラウンジの展示に参加したことも大きい。美術界の若手の先端を走ってる人たちの景色とか、考えを聞いて「これは負けてられないな」と思わされた。

三浦 俺は意識的にほかのジャンルと繋がってジャンル間の風通しを良くしたい。最近はカルチャー同士を自分なりのやり方で繋げる機会も増えてきたし、曽我部恵一さんや伊賀大介さんと作った「父母姉僕弟君」(17年)もそうだけど、別の世代の作り手も巻き込むことで、横の繋がり、縦の繋がりを往復して高まっていくものがあればいいな。

北尾 ダンスだけやってて凝り固まるより、いろいろ吸収したいから演劇の活動も続けたい。それを「浮気性」と呼ばれようが本気でやってるので、全部を学びにして循環させたい。飽き性な自分にとって、結果的にそれが楽なやり方でもあるんですよね。

左から三浦直之、北尾亘、山本卓卓。
北尾亘(キタオワタル)
1987年兵庫県生まれ、神奈川県育ち。2009年にBaobabを立ち上げ、全作の振付・構成・演出を担当するほか、ダンスフェスティバル「DANCE×Scrum!!!」を主催。振付家として柿喰う客、範宙遊泳、ロロ、木ノ下歌舞伎などの作品の振付を手がけ、ダンサーとして近藤良平や多田淳之介の作品、俳優としても中屋敷法仁、杉原邦生、山本卓卓の作品に出演している。トヨタコレオグラフィーアワード2012 オーディエンス賞、第3回エルスール財団新人賞 コンテンポラリーダンス部門、横浜ダンスコレクション2018 コンペティションI ベストダンサー賞などを受賞。9月1日から4日まで東京・吉祥寺シアターでBaobab2年ぶりの新作本公演「FIELD-フィールド-」を上演し、9月16日に行われる「東京キャラバン in 高知」に参加する。
三浦直之(ミウラナオユキ)
1987年宮城県生まれ。2009年にロロを立ち上げ、全作の脚本・演出を担当。多彩なポップカルチャーをサンプリングしながら異質な存在の“ボーイ・ミーツ・ガール=出会い”を描き続けている。15年からは高校生に捧げる「いつ高」シリーズを始動。外部作品の脚本、演出、映画やMVの監督を務めるなど、ジャンルを飛び越えて活動している。「ハンサムな大悟」で第60回岸田國士戯曲賞最終候補にノミネート。8月2日から13日まで、東京・早稲田小劇場どらま館で「ロロが高校生に捧げるシリーズ いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校 vol.6『グッド・モーニング』」、8月24日から29日まで東京・オルタナティブシアターで朗読劇「恋を読む『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』」を上演。
山本卓卓(ヤマモトスグル)
1987年山梨県生まれ。2007年に範宙遊泳を立ち上げ、全作の脚本・演出を担当。投影したテキストと俳優の身体を組み合わせた演出や観客の倫理観に問いかける脚本で国内外で作品を発表。近年はマレーシア、タイ、ニューヨーク、シドニーなどで海外公演を行い、インド、シンガポールの劇団とそれぞれ共同制作の末、新作を発表した。「うまれてないからまだしねない」で第59回岸田國士戯曲賞最終候補、「その夜と友達」で第62回岸田國士戯曲賞最終候補にノミネート。10月13日から11月18日まで開催される「フェスティバル/トーキョー18」ではドキュントメント名義で映画作品「Changes」を創作するほか、11月23日から28日まで東京・吉祥寺シアターで範宙遊泳「#禁じられたた遊び」を上演。