世界を魅了するサーカス・シルクールとは?
──サーカス・シルクールはティルダ・ビョルフォシュによって1995年に設立され、北欧の現代サーカスを牽引してきたカンパニーです。今回上演される「ニッティング・ピース」はサーカス・シルクールが2013年の初演以来、10年にわたって大切にしてきた人気作で、昨年までに14カ国63都市で上演されているそうです。田中さんは本作の魅力をすでに寄稿くださいましたが(参照:『ニッティング・ピース』 - 世田谷パブリックシアター)、改めてお二人がサーカス・シルクールに対してどんな印象をお持ちか、伺えますか?
奥澤 実は僕、今回教えていただくまで知らなかったんです。映像で拝見すると、5人のパフォーマー1人ひとりのスキルというか、できることのレベルがすごく高い。「この人がこれもできるの? あれもできるの?」という感じがしました。そしてメッセージ性がとても強い。この作品には「平和を“編む”ことは可能だろうか?」というコンセプトがありますが、そもそもそのコンセプト自体が面白いなと感じました。
──確かにサーカス・シルクールは、これまでもメッセージ性の強い作品を生み出しています。その中で、「ニッティング・ピース」はまだメッセージが“具体的ではない”くらいで、前回2018年に招聘した、欧州難民危機がテーマの「LIMITS/リミッツ」では、劇中に具体的な難民の数や死者数を投影するなど、もっとストレートでした。
田中 ストレートにテーマを表現する現代サーカス作品はわりと多いと思いますが、サーカス・シルクールのすごさは、それをショーとしてちゃんと昇華できているところだと思います。多くはメッセージ性が強すぎて、作品がメッセージを伝えるものになってしまっているのに、サーカス・シルクールは見せるものをちゃんと見せて、観客の心を掴んでいる。そういうところがサーカス・シルクールの強さであり魅力だと思います。そしてサーカス・シルクールはとにかくダントツにセンスがいい。もちろんシルク・ドゥ・ソレイユのようにあれだけ巨大な集団で、ブレーンもいて、デザインも完璧だったら、あれほどセンスがいい作品が生み出させるのもわからなくはないけれど、そこまで大きな団体ではないサーカス・シルクールがあのクオリティを保ち続けていることがすごいです。しかもフランスのように政府や公的機関の潤沢な助成があるわけでもなく、ビジネスとして成立させつつもコマーシャルに走りすぎず、メッセージ性の強い作品を発信し続けている。そういう社会を変えていく行動を、北欧のストックホルムという場所で、あの規模で実現していることに驚かされますし、ある意味、日本の現代サーカスのモデルになり得るのかなと思います。
──しかも、創設者であるティルダさんが芸術監督としてのポジションを退き、カンパニーを去った後も、若い演出家が後を継いできちんと活動が継続しているところもすごいですよね。
田中 確かに、私も2011年に瀬戸内サーカスファクトリーを立ち上げて13年になりますが、軌道に乗せるまであと10年かかると思っていて、10年後、中心の人たちが退いたあとにカンパニーが仕組みとして残れるかどうかについては考えますね。
奥澤 お話を伺っていると、サーカス・シルクールは北欧の現代サーカスの中でも特別な存在なのかなと感じますが、北欧という括りで見たとき、例えばフィンランドの現代サーカスはどんな状況なんですか?
──フィンランドにも現代サーカスのアーティストはいるしカンパニーもありますが、フィンランドの人に聞くと、活動の場がやっぱり国内には少ないそうで、国外に出て活動しているようです。
田中 それはヨーロッパの多くの国が同じ状況だと思いますよ。例えばアーティストを支える環境が整っているほうのスペインや、サーカス学校や大学があるオランダでさえ、サーカスアーティストはフランスやベルギーなどに行ってしまうそうです。
奥澤 それはなんででしょうね? 体制は整っているはずなのに……。
田中 フランスのアンテルミタン・デュ・スペクタクルっていう舞台芸術関係者のための失業制度が影響していると思います。芸術家が、出演していない日、クリエーションしているときにもお金がもらえるという制度で、あの制度があるからフランスに吸収されていく、ということもあるかもしれません。
──それとおそらく、作品を売り買いするマーケットが国内に育っていない、ということなんじゃないかと思います。それは日本も同じですが。
田中 それはそうですね。
奥澤 カナダの場合は、シルク・ドゥ・ソレイユから卒業した人が小さなカンパニーを作ったり、そこから派生してまた新たな集団が立ち上がってきたりということはよくありますが、みんなアメリカに行きますね。
田中 アメリカにはラスベガスやそれ以外にもたくさん出演の場があるということなのでしょうか?
奥澤 そうですね。シルク・ドゥ・ソレイユはラスベガスに複数の常設ショーを展開していますし、オーランドにもあります。“シルク・ドゥ・ソレイユは、カナダで生まれて片道切符でアメリカに行った”というエピソードがあるんですけど、カナダ出身ではあるけどシルク・ドゥ・ソレイユが最初にヒットしたのはアメリカで、アメリカでマーケットを広げていくことでカナダでも人気になったんです。ただ、カナダにはシルク・ドゥ・ソレイユの常設ショーってないんです。
田中 確かにそうですね(笑)。でも“シルク・ドゥ・ソレイユはカナダ・モントリオール発のカンパニーだ”というイメージがバッチリついていますよね。
奥澤 まあ、本社がモントリオールにあるし、稽古もモントリオールでやっているんですけどね。ちなみにシルク・ドゥ・ソレイユの本社がある場所って、もともとはギャングがいるような、ちょっと治安が悪い場所だったんです。でもシルク・ドゥ・ソレイユが活動拠点にしたことで治安が良くなり、会社の業績が良くなるのに合わせて税金も落とすようになって、モントリオールの人に喜ばれたという背景があります。
現代サーカスをより知ってもらうために
──お二人のお話からも、現代サーカスがまだ日本では発展途上のジャンルだということが感じられますが、今回、「ニッティング・ピース」は世田谷パブリックシアター公演のほかに山口・岡山・愛知・富山をツアーします。その点について、お二人はどのようにお感じになりますか?
奥澤 これまでシルク・ドゥ・ソレイユが来日しても、あまり「現代サーカスのカンパニーが来た!」って思われなかったと思うんですよね(笑)。カンパニーの名前すら知らず、「アレグリア」とか「コルテオ」という作品名で認識している人も多かったかもしれない。その中で、現代サーカスのカンパニーとしてサーカス・シルクールが各地で紹介されることは、現代サーカスの周知につながっていくんじゃないかと思います。
田中 そうですね。「ニッティング・ピース」が今回それだけ多くの都市に呼ばれたのは、もちろんこれまでの現代サーカスの積み上げがあるとは思いますが、何しろ作品のビジュアルが強くて、イメージや受け入れやすさがあったからだと思います。また「ニッティング・ピース」は作品の構造が、劇場の機構に吊らなくても、独立したトラス構造で構成されているので、それごと劇場に持ち込んで上演できるというところも大きいのではないでしょうか。というのも、私も最近、劇場の方とやり取りをすることが多いのですが、サーカスの大原則である“上から吊る”ということが、日本の劇場の機構だとできないことが多いんです。「ニッティング・ピース」ではその点、劇場の負担が少ないので、現実的に上演しやすい作品だということもあるのかなと思います(編集注:通常、劇場で何かを“吊るす”ときは劇場のバトンを使うことが多いが、サーカスの場合は1点にかかる負荷が大きく、バトンのさらに上にある構造物を使わなくてはならない。「ニッティング・ピース」の場合は吊るすためのトラス、つまり骨組みごと劇場に運び入れるので劇場の構造に左右されない)。
──おっしゃる通り、“自分たちのトラスで完結する”というのはすごく上手いやり方で、「ニッティング・ピース」はある意味、劇場空間じゃなくても上演できてしまう作品なんです。しかも作品の規模の割にコンパクトな作りで、彼らは大型トラック1台でヨーロッパ中を回ってツアーするそうです。
奥澤 トラック1台で? すごい!(笑) 今、未知子さんがおっしゃった“吊るす”ことの難しさは僕も感じていて、劇場の方に吊るす話をした時点で門前払い、ということはよくあります。あとはシルホイールが床を傷つけるんじゃないか、と心配されたり……。
田中 ですよね。でも現代サーカスの公演が増えていくことによって、例えばそういった不安や問題も、少しずつ解消していけるんじゃないかなと思います。
──最後に、お二人が今後について考えていらっしゃること、目標にしていることを伺えますか?
田中 たくさんありますけれど……やっぱり大事なことは“作る”ということ。創作意欲がすべての事業を動かすと思うから、いい作品、いつか世界に持っていける作品を作るということが活動の芯にあります。と同時に、13年前に瀬戸内サーカスファクトリーの活動を始めて、日本人のサーカスアーティストも少しずつ増えてきましたが、10年経つと二十代で知り合った人も三十代になっているわけで……この文化がちゃんと持続していくために、彼らがサーカスアーティストとしてずっと生き続けられる道を、ちゃんと作らないといけないな、それが私の役割だなと感じています。新しいアーティストとしての、新しい仕事の仕方をたくさん作っていけるかどうか。
例えば瀬戸内サーカスファクトリーでは“風土と作る”をテーマに、産業連携という形で、美術や芸術の領域だけじゃなくいろいろな地域産業との関わりを持ち、地域の産業や職人さんの仕事を知りながら、それを作品に落とし込んでいく形を模索しています。最初はヨーロッパのサーカスに憧れてはいたけれど、それを追ってもしょうがないということがだんだんわかってきて、日本のここでしか発信できないもの、ほかの地域からも観たいと思われるものを作る、そういった独創性が一番大事になってくるなと思ったんです。なので、日本の現代サーカスはただヨーロッパを追いかけるだけじゃなく、それを超えていくということを目指していきたい。そのうえで、自分たちが何をオリジナリティとして打ち出していくのかを、真摯に考えていきたいと思っています。
奥澤 僕は2020年にパンデミックで帰国してそこから拠点を日本に移したのですが、それによってアクトを鉄棒から別のものに変えないといけなくなり、今はシルホイールとエアリアルをやっています。ただ日本では現代サーカスがまだあまり知られていないと感じたので、今、現代サーカスの体験会を始めようと思っているんです。見るだけじゃなく実際にパフォーマンスを体験してもらうと印象に残るはずだから、そこから現代サーカスの輪が広がっていったらいいなと思っていて。またIGNIS DE ORNIS(イグニス デ オルニス)っていうユニットをパートナーと組み、現代サーカスのパフォーマンスを行っているのですが、実はそれとは別に、シルクドゥひみつきちという活動をしていまして。こちらは、映像クリエイターの古郡康聖さんが代表を務めているんですけど、古郡さんは怪我による失明経験があり、入院中お世話になった病院の子供たちのために、子供が喜んでくれるような映像コンテンツを探していたそうなんです。そのとき、僕らがやっているエアリアルを見てくれて、これを届けたいと思ってくれたらしく、僕らがやっている現代サーカスのパフォーマンスを映像に残して、病院の子供達に届けるというプロジェクトを今やっています。こういった活動を通して、現代サーカスのことをもっともっといろいろな人にも知ってもらいたいですし、今はそれをどんどんやっていくしかないのかなって。ゆくゆくは、現代サーカスの活動をしている日本のカンパニーがみんな集まって何かできたら……と思いますが、それには現代サーカスの土壌がもっと広がらないと難しいだろうなとも感じています。
田中 そうですね。十数年日本で現代サーカスをやり続けてはきたけれど、まだまだ、というのが現状かなと。ただ最近、実は現代サーカスのプロデューサーたちと現代サーカスネットワークを作ったんです。これは現代サーカスのプロデューサーたちのネットワークで、商業的な目的というよりどうやって現代サーカスを広めていくか、どうやってアーティストをサポートしていくかということを目的としたネットワークで。こういった取り組みを通して、例えばアーティストにはできないことがプロデューサーにはできたり、プロデューサーにはできないことがアーティストにはできたり……ということがあると思うので、役割分担しながらさらに現代サーカスを広めていきたいですよね。それに、“まだまだ”と思いつつも、10年前に比べたら日本で現代サーカスをやる人は増えてはいて、あちこちで芽が出てきたと感じるので、やる人が増えていくことで自然に土壌ができていくのではないか、とも思っています。
──今回の「ニッティング・ピース」ツアーが、日本各地において、そんな現代サーカスとの出会いのきっかけになると良いなと思います。
プロフィール
田中未知子(タナカミチコ)
札幌生まれ。新聞社勤務を経て、2007年にフランスに渡り、現代サーカスの取材・研究を行う。その後、越後妻有大地の芸術祭、瀬戸内国際芸術祭でパフォーミングアートの担当を務め、2011年に瀬戸内サーカスファクトリーを創設、代表理事となる。カンパニーでは“ここにしかない文化を生み出す”“育てる”“地域と世界をつなぐ”をミッションに掲げ、日本における現代サーカスの普及・発展を目指している。著書に「サーカスに逢いたい~アートになったフランスサーカス」。
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奥澤秀人(オクザワヒデト)
1981年、群馬県生まれ。小学生から体操を始める。2005年にシルク・ドゥ・ソレイユのオーディションを受け、合格。以降、14年間にわたりシルク・ドゥ・ソレイユの舞台に立ち、世界各国を回る。2020年に日本に拠点を移し、バレエダンサーの白石あゆ美とユニット・IGNIS DE ORNISを始動した。
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