「かさなる視点」宮田慶子&上村聡史「城塞」 / 小川絵梨子「マリアの首」|世界と自分の結びつきを、演出家たちの舵取りで感じ取って

知らなかったことで、余計な苦労をしているかもしれない

──また今回、宮田さんは演出家だけでなく観客も若い方を視野に入れていらっしゃると思います。シリーズを通して、上村さんと同世代、あるいはそれより若い観客にどんなことと向き合ってほしいと考えていらっしゃいますか。

左から上村聡史、宮田慶子。

宮田 若い演劇人に対しては、もしかすると知らないことによって余計な苦労をしているってこともあったりするんじゃないかと思っていて。実はすでにあの人がやっていたよ、ちょっと昔の戯曲を読んでごらんってことを、ときどき若い演劇人に言ったりという、おせっかいをしますね(笑)。例えばこんな奇妙奇天烈なことを昭和30年代にもうすでにやっていて、時代の閉塞感も、日本人のアイデンティティがないままグローバル化の波に飲み込まれそうになっていてちょっと不安っていう感覚も、今と似ている。今から50年も60年も前にこんな作品がやられていたとわかれば、同じ苦労をもうすることはないし、もっと先に進めるんじゃないかと。私は「JAPAN MEETS…-現代劇の系譜をひもとく-」(「日本の演劇がどのように西洋演劇と出会い進化してきたか」をテーマに、西洋の名作戯曲を新翻訳で上演する企画)ってシリーズを新国立劇場のラインナップの中でやってるんですけど、日本人っていろんなことをどんどん吸収して新しい演劇を生んできたんですよってことを知ってほしいし、今、自分の部屋でパソコンに向かってネットから流れてくる情報だけで世界とつながったような感じになってものを書いてる劇作家たちには、「もったいないよ、過去にもっと、正面から世界や日本に向き合ってる作品があるよ、パソコンの前からちょっと出ておいで」って思います。「誇りを持とうよ、日本の演劇人はみんな、いい仕事いっぱいしてるんだよ」と思っていて。日本では古い作品ってなかなかやられませんけど、世界ではリバイバルやリニューアルって当たり前ですし。

上村 そうですね。僕も演劇を始めた頃は観る作品が偏っていたんですが、初めて井上ひさしさんの作品を観たときに、昭和の話でわからないこともたくさんあるんだけど、ぐっと引きつけられる楽しさがありました。それは井上さんの言葉や言葉を紡ぐ俳優・スタッフたちの力であって、そういう魅力が昭和の戯曲にはある。僕より若い人たちは、さらにわからないこともあるかもしれませんが、そのわからないことにこそ魅力が詰まっていて、そこに演じ手もスタッフも取り組んでいるのですさまじいエネルギーの集合体なんじゃないかと思います。クラシック音楽で、マエストロによって古い楽曲が再評価されたりするように。

宮田 そうなのよね。文学だって、例えば芥川賞を受賞した又吉直樹さんが太宰治が面白いって言うと、「この人がこんな昔の作品を読むんだ」って若い子が興味を持つように、私たちもどんどん言っていきたいと思ってるんですよね。

上村 「城塞」は、今時の舞台芸術から見ると渋いかもしれませんが、僕の感覚からするとある意味とても正攻法な、これぞお芝居って感じの演劇じゃないかと思うんです。僕は決して難しいことをやりたいわけではないんだけれど、これぞ演劇っていうものをこれからも提示していきたいと思っていて。意外と新劇は面白いよって、思っています。

宮田 ふふふ、育ちが出ますよね、私もそうなんだけど。演劇の面白さはたった1人の自分が世界とつながってることを実感できること、世界の中に自分がいるってことを実感できることだと思うんです。優れた戯曲は、自分と世界がどうつながっているのか、その考え方を提示してくれる。今回は30代の、文字通り現代を生きる演出家たちが、そういった、“世界の中の自分の見つけ方”の舵取りをしてくれるので、そこにどっぷりハマってみると、時代と自分の結び付け方とか、自分と世界の関係性の捉え方が見えてくる、そんなふうに思いますね。

「古さを感じない、むしろ今だからこそ通じる作品」

山西惇

「男」役:山西惇

「城塞」は、僕が生まれた年に初演された作品なんですよね。ジャンルで言うと新劇に入るのかもしれませんが、小劇場とかアングラ作品に通じるような破天荒な部分もあるし、相当肉体を使う芝居です。この間出演させていただいた「陥没」(ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出)も同じ時期の日本の話ですが、戦争が終わって17年しか経っていないのにすでにイケイケの感じになっている、これからはオリンピックもあるし、もうあんなにひどいことは起きない、明るい未来しかないんじゃないかと日本全体が思っている中で、僕が演じる男は、戦争に加担してしまった父と自分自身が許せず、「戦争で儲けやがって」と常に誰かに見られている気がしています。その男の父役を、辻萬長さんは本当に世の中のためを思って自分が信じることをやってきた企業家として作っている。露悪的な感じにはしてないのがいいなと思っているところです。

この戯曲は、最初に読んだときから古さを感じないというか、むしろ今のほうが通じると言ってもいいくらいではないかと思っていて。当時、戦争が終わって17年しか経ってないのに、ここまで日本人の戦争責任について辛辣な作品をちゃんと書こうとした人がいて、それを演劇にして、実際に観た人がいるということがまずすごいし、それを今、国立の劇場でやることで日本人に問いかけることができるのはすごく大事なことなんじゃないかと思います。ただテーマ性もさることながら見た目的にも非常に面白い芝居になるはずなので、まずは楽しく観てもらい、最終的に何かすごい問いかけをもらってしまったなと、そう思ってもらえたらと思いますね。

プロフィール

1962年京都府出身。劇団そとばこまちを経て、現在は舞台や映像で活躍。7月はcube 20th. presents音楽劇「魔都夜曲」に出演する。

「人と人との絡み合いを面白がってもらえたら」

辻萬長

「男の父」役:辻萬長

稽古前は、拒絶症がどういうものかをいろいろ考えていたけど、今はそれはあまり重要ではないと思っていて。むしろ僕が演じる「男の父」が、発作が起きて終戦直後の1945年に戻る、あの瞬間に男とどう対峙するかがテーマではないかと思うんです。この2人は親子といっても、普通の家族愛でつながっている感じは受けませんね。財産や事業を託す人としては子供を信頼しているのかもしれないけど、ちょっと僕の頭にはない家族愛だな。息子役を演じる山西とは、今回が3本目。山西に毎回感じるのは、とにかくきちんと作ってくるヤツだということ。僕もどちらかというときっちり作るほうだけれど、山西はもっと知性あふれる作り方と言うか。だから信頼が置けます。一番心配したのは年齢でね、親子に見えないんじゃないかと思ったけど、みんな親子に見えるって言うので(笑)。演出の上村は、サルトルの「アルトナの幽閉者」(2014年)で一緒でした。稽古場で何をやっても「大丈夫」って言ってくれたのがうれしかった。「アルトナ~」にしても「城塞」にしても、俳優としてはできればこんな本はやりたくないっていう難解な作品だけど(笑)、上村のもとだったら楽しくやれるだろうと思ったので、心に決めました。それにメッセージ性の強い作品は好きなんです。こまつ座の井上ひさし作品でも戦争責任は作品テーマとしてずっとありますが、本作でもそれは同じ。しかも“企業家の立場での戦争責任”は初めてのテーマなので、やらなければならない作品という思いもあります。セリフが難解ではありますが、わかりやすく演じたいですし、お客様にはその瞬間ごとの人と人との絡み合いを面白がってもらえたらうれしいです。

プロフィール

1944年佐賀県出身。俳優座付属俳優養成所を卒業。こまつ座所属。6月から10月にかけて「NINAGAWA・マクベス」に出演。

かさなる視点―日本戯曲の力― Vol.2
「城塞」
「城塞」

2017年4月13日(木)~30日(日)
東京都 新国立劇場 小劇場

作:安部公房
演出:上村聡史
出演:山西惇、椿真由美、松岡依都美、たかお鷹、辻萬長

上村聡史(カミムラサトシ)
上村聡史
1979年東京都出身。2001年に文学座附属演劇研究所に入所。2005年にアトリエの会「焼けた花園」で初演出を手がけ、2006年に座員に昇格。2009年より文化庁新進芸術家海外留学制度により1年間イギリス、ドイツに留学。受賞歴に、第22回読売演劇大賞最優秀演出家賞、第56回毎日芸術賞・千田是也賞ほか。演出を手掛けた主な作品に「アルトナの幽閉者」「ボビー・フィッシャーはパサデナに住んでいる」、「信じる機械」、「弁明」、「対岸の永遠」、「マーダー・バラッド」、第69回文化庁芸術祭大賞を受賞した「炎 アンサンディ」など。2017年は、6月から7月に真船豊「中橋公館」、9月に三好十郎「冒した者」と日本戯曲の上演が続く。
宮田慶子(ミヤタケイコ)
宮田慶子
1980年、劇団青年座 文芸部に入団。83年青年座スタジオ公演「ひといきといき」の作・演出でデビュー。翻訳劇、近代古典、ストレートプレイ、ミュージカル、商業演劇、小劇場と多方面にわたる作品を手がける一方、演劇教育や日本各地での演劇振興・交流に積極的に取り組んでいる。主な受賞歴に、第29回紀伊國屋演劇賞個人賞、第5回読売演劇大賞優秀演出家賞、芸術選奨文部大臣新人賞、第43回毎日芸術賞千田是也賞、第9回読売演劇大賞最優秀演出家賞など。2010年に新国立劇場 演劇部門の芸術監督に就任、16年4月より新国立劇場演劇研修所所長。また公益社団法人日本劇団協議会常務理事、日本演出者協会副理事長も務める。