松本白鸚・松本幸四郎・尾上菊之助が語る、9月は二世中村吉右衛門を思いながら「秀山祭九月大歌舞伎」で会いましょう

“ゆるりと歌舞伎座で会いましょう”をキャッチコピーに、コロナ禍でも工夫を凝らし、毎月多彩な演目を上演している歌舞伎座。9月は、昨年11月に逝去した二世中村吉右衛門の一周忌追善として「秀山祭」が行われる。秀山祭とは、2006年にスタートした、初代吉右衛門の功績を讃えるための興行。ゆかりの演目をゆかりの俳優たちで披露する。

公演に向けて、吉右衛門の実兄である松本白鸚、甥にあたる松本幸四郎、義理の息子・尾上菊之助の3人が、作品の見どころや吉右衛門とのエピソードを明かしてくれた。なお特集後半では、吉右衛門の当り役を舞台写真で振り返りながら、名優の足跡を綴る。

構成 / 熊井玲(P1)文 / 川添史子(P2)

「松浦侯を勤めてきた弟のことを思って演じる」
松本白鸚

松本白鸚

松本白鸚

弟である二世中村吉右衛門一周忌追善興行。「忠臣蔵」の外伝物である「松浦の太鼓」(第2部)で、赤穂浪士がなかなか仇討ちを果たそうとしないことに業を煮やす大名・松浦鎮信を演じる。80歳で初役を勤めるのは「弟のため」とキッパリ語る。

「昭和39年11月大阪新歌舞伎座は父・白鸚(当時八代目幸四郎)の松浦侯で、46年12月帝国劇場は弟・吉右衛門で、51年3月南座では仁左衛門さん(当時は孝夫)で、それぞれ(笹売りに身をやつす赤穂の浪人)大高源吾を勤めています。初役で松浦侯を演じるからには、この役を勤めてきた弟のことを思って演じたいと思います」

外から聞こえる太鼓の音を指折って数え、討ち入りを喜ぶ場面は見どころ。「愛嬌と品格が求められる役」と話す。

「純粋な人なのだと思います。幼いようなユーモラスなところもあって、いわゆる“ヒーロー”とも一味違う役ですよね。器の大きさという点では、大星由良之助と通じるものも感じます」

2022年9月歌舞伎座「松浦の太鼓」ビジュアル。松本白鸚演じる松浦鎮信。©松竹

2022年9月歌舞伎座「松浦の太鼓」ビジュアル。松本白鸚演じる松浦鎮信。©松竹

1959年6月新橋演舞場「極付幡随長兵衛」より。左から二代目松本白鸚(当時・市川染五郎)、初代松本白鸚(当時・松本幸四郎)、二世中村吉右衛門(当時・中村萬之助)。©松竹

1959年6月新橋演舞場「極付幡随長兵衛」より。左から二代目松本白鸚(当時・市川染五郎)、初代松本白鸚(当時・松本幸四郎)、二世中村吉右衛門(当時・中村萬之助)。©松竹

改めて思い出される弟との印象的なエピソードを聞くと、1970年代、ニューヨークで「ラ・マンチャの男」を上演した際の記憶がよみがえった。

「弟はブロードウェイまでわざわざ観に来たんですよね。僕は当時27歳。僕からは何も聞かなかったし、弟も何も感想は言いませんでした」

兄弟・家族という甘えた関係さえも許さない、役者同士の厳しいやり取りが浮かぶ。その火花は役者人生を歩む2人にとって、エールの送り合いでもあっただろう。2歳違いの弟との別れは突然だった。劇中には追善の口上も行われる。

「たった1人の弟ですし、弟が先にいなくなるなんて考えたこともありませんでした。別れというものは寂しいもので、いろいろなことを思い出します。子供の頃、僕と弟は稽古事と舞台の連続でしたから、遊びと言えばもっぱら“芝居ごっこ”でした。『野崎村』の送りの旋律を口三味線で口ずさみながら、(最後に久松を乗せた駕籠かきのマネで)私が先棒、弟が後棒になって歩いたり、『盛綱陣屋』の首実検も弟が首に扮してマネしたり……思い出すのはそういった他愛もないことばかり。でも我々役者は、つらい気持ちも夢や希望に変えてお客様にお渡しする仕事ですから、『寂しい』『悲しい』とばかり言ってもいられません。今月は息子の(松本)幸四郎も孫の(市川)染五郎も出ますし、弟の家族(尾上菊之助と尾上丑之助)も出演します。こうやって家族そろって追善興行ができると考え始めると、沈んだ気持ちが後退し、不思議な力が湧き上がってくる感覚もあるんです。6月に出演した『信康』のセリフ、『情けを知りて、情けを越える』……そこまでいかないといけませんから。常識で収まっていては、お客様に喜んでいただけません。こうしたことに考えを至らせてくれたのも、弟のおかげだと思っております」

2006年歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」記者会見より。左から松本幸四郎(当時・市川染五郎)、松本白鸚(当時・松本幸四郎)、二世中村吉右衛門。©松竹

2006年歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」記者会見より。左から松本幸四郎(当時・市川染五郎)、松本白鸚(当時・松本幸四郎)、二世中村吉右衛門。©松竹

プロフィール

松本白鸚(マツモトハクオウ)

1942年、東京都生まれ。1946年に「助六」外郎売の伜で松本金太郎を名乗り初舞台。1949年、「逆櫓」の遠見の樋口で六代目市川染五郎を襲名。1970年にニューヨーク・ブロードウェイにて「ラ・マンチャの男」を、1990・91年に「王様と私」ウエストエンドと全英ツアーを日本人で初めて全編英語で単独主演。九代琴松の名で演出も手がける。2018年に歌舞伎座「寺子屋」の松王丸、「仮名手本忠臣蔵」七段目の大星由良之助ほかで、二代目松本白鸚を襲名した。

「演目すべてに叔父の魂が込められた作品」
松本幸四郎

松本幸四郎

松本幸四郎

第1部の「寺子屋」は「本当に大事な作品の1つ」と表情を引き締める。

「この作品を、現代のお客様に受け入れていただくことに懸ける叔父の思いを強く感じていました。敵役からモドリになることをくっきりと伝えないといけない。一切そうは見せませんが、松王丸は最初の入りから、子供のことで頭がいっぱいになっているのだと(叔父に)習いました。どれだけ叔父のことを真正面から思い出せるか──そういう思いで舞台に立とうと思っています。叔父に似せようとするのではなく、教えていただいたことをしっかり勉強し直して勤めたいです。特に教えていただいた役は、叔父に向かってと言いますか……もちろんお客様に向かってではあるのですが、そうして演じることでお客様に叔父を見ていただける、感じていただけるのではないかと思います」

第2部「揚羽蝶繍姿」は、二世吉右衛門の当り役の名場面をつづり、その面影を偲ぶ演目。

「叔父が勤められてきた役を若い役者も含め勢ぞろいして勤めます。叔父をたくさん思い出していただき、また、感動していただける作品を目指したいです。叔父がいない悲しさはいつまでも変わりません。でも、僕たちを通して、この作品を通して、今の俳優たちがこれからを継いでいくのだと、希望を持っていただけるようなお芝居にしたい。そこで初めて意味がある作品になると思います」

2019年9月歌舞伎座「菅原伝授手習鑑 寺子屋」より。左から二世中村吉右衛門演じる松王丸、松本幸四郎演じる武部源蔵。©松竹

2019年9月歌舞伎座「菅原伝授手習鑑 寺子屋」より。左から二世中村吉右衛門演じる松王丸、松本幸四郎演じる武部源蔵。©松竹

間近に見た舞台姿の魅力、大きさについても聞いた。

「叔父には、岩のようにぶれない存在感、大きさを毎回のように感じました。巡業でご一緒したときも、どこで公演をしてもお客様を持って行ってしまう芸に圧倒された記憶があります。もちろん、もともと突出したものをお持ちですが、それだけではなく、常に努力し勉強しようとする意識のあり方がお客様との信頼も生んだのではないでしょうか。これまでもこれからもずっと必要とされるものとしての“歌舞伎の力”を信じ、先人を信じ、尊敬して、それが支えやエネルギーになっていたのだと思います」

大切な役をいくつも習った。とりわけ印象的なのは「引窓」と言う。

「セリフ回しは表現方法として大事なことですが、まず第一に気持ちがある。具体的に心のあり方を思い浮かべながらこういうふうに言うんだよ、と本当に涙を流しながら教えていただきました。思いをセリフ回しの技術に乗せて伝えていく、そしてお客様の心に入り込んでいく。まさに播磨屋の情熱的な芸を、精神として受け継がれていらっしゃるのだと感じました。あの稽古は宝物ですね。また、『将軍江戸を去る』の独白の苦悩や、『一條大蔵譚』の最後の場面の稽古でも、その役の人となりを教わったことが思い出されます。叔父が多く勤めてきた役、そして作られた芝居のみで1つの興行が開くということは大変珍しいことかと思います。叔父の芸の幅の広さ、そして、これまで歴史を作って来られたことの証明。それぞれの演目すべてに叔父の魂が込められた作品だと思いますので、ぜひ多くの方にご覧いただきたいと思います」

2014年11月歌舞伎座「勧進帳」より。左から松本錦吾演じる常陸坊海尊、市川染五郎(現・松本幸四郎)演じる武蔵坊弁慶、二世中村吉右衛門演じる源義経。©松竹

2014年11月歌舞伎座「勧進帳」より。左から松本錦吾演じる常陸坊海尊、市川染五郎(現・松本幸四郎)演じる武蔵坊弁慶、二世中村吉右衛門演じる源義経。©松竹

プロフィール

松本幸四郎(マツモトコウシロウ)

1973年、東京都生まれ。1979年に「侠客春雨傘」にて三代目松本金太郎を襲名して初舞台。1981年に「仮名手本忠臣蔵」七段目の大星力弥ほかで七代目市川染五郎を襲名。古典から復活狂言、新作歌舞伎まで幅広い演目に取り組む一方で劇団☆新感線の舞台やテレビドラマ、映画などにも出演し人気を博す。2018年に高麗屋三代襲名披露公演「壽 初春大歌舞伎」にて十代目松本幸四郎を襲名した。

「得ることの多い日々でした」
尾上菊之助

尾上菊之助

尾上菊之助

「実際の一周忌は11月ですが、追善公演に私も出演できることがうれしく、また、もう1年が経つのかと思うと、まだ亡くなったことが信じられません……複雑な気持ちですね。この度の『藤戸』は岳父が作られた演目であり、それを岳父の一門の又五郎のお兄さん、種之助さん、米吉さんとご一緒することができ、また私の倅であり岳父の孫の丑之助も出演できることができ、とてもありがたく思います」

こう語る菊之助は、戦争で子供を失った親の悲しみを描く第3部「藤戸」で、息子を殺された母藤波、怨念となった漁夫の霊・悪龍の2役を演じる。同演目は、二世吉右衛門が構成を手掛け、厳島神社の奉納歌舞伎で初演された演目である。

「『藤戸』は戦の無情さがテーマだと思います。前半の、藤波が子を失った悲しみを盛綱に涙ながらにうったえるところは、母親の感情が切々と伝わるよう踊りたいと考えております。また後半は殺された漁夫の怨みがテーマです。幕外は龍神の怨みが昇華できるように勤めたいです」

2020年9月歌舞伎座「双蝶々曲輪日記 引窓」より。左から二世中村吉右衛門演じる濡髪長五郎、尾上菊之助演じる南方十次兵衛。©松竹

2020年9月歌舞伎座「双蝶々曲輪日記 引窓」より。左から二世中村吉右衛門演じる濡髪長五郎、尾上菊之助演じる南方十次兵衛。©松竹

「藤戸」には菊之助の長男であり吉右衛門の孫である丑之助が浜の童として出演。芸に厳しい吉右衛門も、インタビューなどで孫の話題に及ぶと表情が緩んだ。

「岳父は丑之助のことをとても可愛がってくれていて、いつもニコニコと接してくれていました。倅には、岳父が作った『大切な演目だよ』と伝えています。倅は天国のじいたんが喜んでくれるようにがんばってお稽古しています。倅の踊りをニコニコと観てくれるのではないかと思います」

近年、菊之助と二世吉右衛門の共演は多く、さまざまな舞台で教えを受けた。

「岳父は私に一役、一役のセリフの抑揚、動き心情、型を丁寧に教えてくださいました。舞台の上では、常に命を懸けて役に挑んでいました。頻繁にご一緒するようになったのは、妻との結婚後ですのでそう多くはございませんが、間近で役に対する思いを感じることができ、毎回得ることの多い日々でした。その瞬間は全て忘れられないですし、忘れてはいけない財産です。それを丑之助に伝えるのが使命だと思っています」

2018年6月歌舞伎座「夏祭浪花鑑」より。左から二世中村吉右衛門演じる団七九郎兵衛、寺嶋和史(現・尾上丑之助)演じる団七伜市松、尾上菊之助演じるお梶。©松竹

2018年6月歌舞伎座「夏祭浪花鑑」より。左から二世中村吉右衛門演じる団七九郎兵衛、寺嶋和史(現・尾上丑之助)演じる団七伜市松、尾上菊之助演じるお梶。©松竹

プロフィール

尾上菊之助(オノエキクノスケ)

1977年、東京都生まれ。1984年に「絵本牛若丸」の牛若丸で六代目尾上丑之助を名乗り初舞台。1996年に「弁天娘女男白浪」の弁天小僧ほかで五代目尾上菊之助を襲名。古典で幅広い役に挑むほか、2005年「NINAGAWA十二夜」、2017年「極付印度伝 マハーバーラタ戦記」、2019年に新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」など新作歌舞伎にも積極的に取り組んでいる。