市川猿之助と市川笑也が語る“澤瀉屋の宙乗り”とその美学、7月は「當世流小栗判官」で会いましょう

“ゆるりと歌舞伎座で会いましょう”をキャッチコピーに、コロナ禍でも工夫を凝らし、毎月多彩な演目を上演している歌舞伎座。7月は、三代猿之助四十八撰の内 通し狂言「當世流小栗判官」に注目。小栗判官とその許嫁・照手姫を巡るスペクタクルは、スーパー歌舞伎「オグリ」やスーパー歌舞伎Ⅱ「新版 オグリ」としても上演され、多くの観客に愛されてきた。中でも忘れがたいのは、小栗と照手姫が、天馬に乗って宙乗りする場面の美しさ。そこで今回は、小栗役の市川猿之助、照手姫役の市川笑也に「當世流小栗判官」の見どころ、さらに澤瀉屋の宙乗りについて話を聞いた。

※澤瀉屋の「瀉」のつくりは、わかんむりが正式表記。

取材・文 / 川添史子

見どころあふれる、「三代猿之助四十八撰」の人気狂言

──歌舞伎座「七月大歌舞伎」第一部は、多彩な見どころにあふれた「當世流小栗判官」が登場します。中世の語り芸「説教節」で語り継がれ、日本人に愛されてきたヒーロー「小栗判官」を主役にした物語です。

市川猿之助 「三代猿之助四十八撰」(※)の中でも人気で、(市川)猿翁の伯父が上演を重ねた狂言です。僕は1983年7月の歌舞伎座で二代目亀治郎を名乗って初舞台を踏みましたが、その月の夜の部で上演されたのが「當世流小栗判官」の初演でした。

※2010年[復活通し狂言十八番][猿之助新演出十集][華果十曲][新作・スーパー歌舞伎十番]の計48作品を撰した澤瀉屋のお家芸。

──荒馬を颯爽と乗りこなす小栗のカッコよさ、小栗に恋心を寄せる娘お駒と小栗&照手の三角関係、忠臣浪七の壮絶な最期、天馬で飛び去る宙乗り……個性的な登場人物たちによるコミカルな場面もあり、ワクワクする見せ場の連続です。

猿之助 将軍家の重宝を巡るお家騒動が軸になっていて、スーパー歌舞伎Ⅱ「新版 オグリ」(参照:猿之助と隼人、タイプの異なる小栗判官が誕生「新版 オグリ」本日開幕)をご覧になった方は、また違う趣の“小栗もの”にびっくりされるでしょうね。三部制での制約がありますので、上演時間は約2時間半。見どころは押さえつつ、約半分に縮めるわけですから裏はさらに大忙しになります。

「當世流小栗判官」より、市川猿之助演じる浪七。©松竹

「當世流小栗判官」より、市川猿之助演じる浪七。©松竹

──猿之助さんが同作に初めて出演したのは1993年、お駒役でした。

猿之助 紀伊国屋(九世澤村宗十郎)のお槇(お駒の母)でやらせていただいたのは、今でも宝物のような経験です。本当に素晴らしい大先輩でした。あのとき、紀伊国屋は矢橋の橋蔵との2役で、こちらも大評判。橋蔵は道化役、ふざける面白さではなく、芝居の中に溶け込んで個性で笑わせる役柄でしょう? 藤山寛美さんみたいな、“大阪にわか(即興喜劇)”の味わいですよね。今回は(坂東)巳之助さんが面白くやってくれると思います。お駒は(尾上)右近さん。情熱的な女方で、こちらもぴったりです。

──猿之助さんが同作の小栗判官を演じるのは、市川亀治郎時代の2011年(小栗判官 / 浪七 / お駒の3役)、新橋演舞場公演以来2度目。今回は浪七との2役で、風を操る浪七の大立廻り(檀風の立廻り)は迫力です。

猿之助 小栗判官は二枚目の立役で、熱っぽくやるわけでもなく、風情でお見せする役柄。うって変わって浪七はしどころが多い、派手な役だと感じます。

──笑也さんの照手姫は、三代目猿之助(現・猿翁)時代から長きにわたって演じる役ですね。

市川笑也 11年前に演舞場で四代目(猿之助)が小栗判官をなさったときは、師匠そっくりで正直、涙が出ました。……でも実は僕、この作品で演じた役としては(アクロバティックな馬術を見せる)馬の脚役も多いんです。

市川猿之助が小栗判官を演じた「當世流小栗判官」より。©松竹

市川猿之助が小栗判官を演じた「當世流小栗判官」より。©松竹

──馬の脚と照手姫、守備範囲が広すぎます!

笑也 初演で前脚をなさったのは(立師として期待されながら四十代半ばで早逝した市川)猿十郎さんでした。当時の一門の立師だった(市川)段猿さんに「馬、来い」と呼ばれて立廻りの流れは聞きましたが、いざ本番、馬に入ってみたら後ろ足の視界が狭くて胴体の下しか見えない。立てた襖をジャンプするくだりがうまくできなくて。猿十郎さんが「じゃあ、俺が飛んだらお前飛べ」と言うから「わかりました」と言ってはみたものの、どうしてもタイミングが合わないんです。でも初日から5日目の朝、馬が鉄砲立ちをしたあとにゆっくりと垣根を飛ぶ夢を見て「あ、これはいける」とひらめいた。楽屋で猿十郎さんに「今日は飛びましょう」と段取りを口立てだけして、いきなり本番にのぞんで無事成功……なんてこともありました。

猿之助 それがそのまま、型になっているんですよね。

──照手姫の思い出はいかがですか?

笑也 小栗と再会する場面のセリフに「会いたかった、会いたかった、会いたかったわいなぁ」とあるのですが、あるときからここで客席がワッと笑うようになったんです。「おかしいなあ」と思って人に聞いたら、当時ヒットしていたAKB48「会いたかった」の歌詞「会いたかった、会いたかった、会いたかった、Yes!」に似ているからでは?と教えていただいて。翌日から縮めて「会いたかったわいなぁ」にさせていただきました。

「當世流小栗判官」より、市川笑也演じる照手姫。©松竹

「當世流小栗判官」より、市川笑也演じる照手姫。©松竹

一同 (笑)。

猿之助 笑也さんは前回公演の照手姫で(猿翁から)“シンデレラ賞”をもらったんですよね?

笑也 はい。“奇跡の52歳”としてガラスの靴のトロフィーをいただきました。7月は“奇跡の63歳”です(笑)。

猿之助 (還暦で生まれた年の暦に還り)もう一度赤ちゃんに戻って、“奇跡の3歳”でいいんじゃない?

一同 (笑)。

“小栗”に始まり “小栗”で宙乗り1000回達成

──ここからは「澤瀉屋の宙乗り」について伺って参ります。まず猿之助さん、最初の宙乗りにまつわる思い出を伺えますか?

猿之助 僕にとって一番最初の宙乗りは、「菊宴月白浪(きくのえんつきのしらなみ)」(1984年10月歌舞伎座)での遠見(筆者注:登場人物と同じ扮装をした子役を登場させ、人物が遠くにいる遠近法を表現する手法)です。忠臣蔵の後日譚で、大川の花火の向こうを定九郎女房加古川が宙乗りで横切っていく場面があり、その遠見を7歳のときに勤めました。「宙乗りができる!」と喜んだのに、実際は舞台上をふわふわ行くだけじゃないですか。ものすごく不満で「だったらやりたくない、あんなのは宙乗りじゃない」と、とても不機嫌だったことを覚えています。

──さすが澤瀉屋の子ですね。

猿之助 そのあと、やっと3階まで飛べたのが「雙生隅田川(ふたごすみだがわ)」の松若丸。でもこれも、天狗と班女御前と3人で飛ぶでしょう? 1人で飛ぶことに強い憧れがあったので、やっぱり不満でしたね(笑)。そのあと、だんだんと自分にとって宙乗りは当たり前になってしまいましたけれど……余談ですが、宙乗りがある芝居が掛かるたびに安全祈願があるんですよ。「一生分いっぺんにできる祈願がないものかなあ」と思っています(笑)。

市川猿之助

市川猿之助

──その昔、宙乗り安全祈願で悪霊も退散するような大声量の祝詞を聞かせる伝説的宮司さんがいらしたと聞いたことがありますが……安全第一、お手間でも毎回ご祈願ください! 笑也さんは今回の「當世流小栗判官」初日、7月4日に宙乗り1000回目を達成されます。人生初の宙乗りも、(1987年の)「當世流小栗判官」だったとか。

笑也 そうなんです。あのときは照手ではなくお駒(当時の役名はお槙)で、恨みを残して死んだあと、生首になってピンスポットを浴びながら浮かぶ……という宙乗りでした(笑)。現在その演出はありませんが。あの頃は、照明を吊り下げるバトンにレールを渡して、ブランコ状態で動く仕組みだったんです。電動式で、ガン!と強い衝撃で動くので、それはそれは怖かった(笑)。でも考えてみれば“小栗”に始まり“小栗”で1000回達成、感無量です。ほとんどが師匠と四代目への便乗乗り(笑)、お二人のすごさに引っ張っていただいています。

市川笑也

市川笑也

──宙乗り1000回は女方では1位、すごい数字です。999回目の宙乗りは、歌舞伎とフィギュアスケートの融合「氷艶 hyoen 2017 -破沙羅-」(参照:滑る、見得切る、宙を舞う!仕掛け続々「氷艶」で歌舞伎とスケートがコラボ)で、松本幸四郎(当時:市川染五郎)さんにお姫様抱っこされながらの宙乗りでした。

笑也 ずっと腕で支えていただくのはさすがに無謀なので(笑)、かつての「新・三国志」の関羽と劉備の宙乗りと同じ形、バスケットに座り、上から吊り下げられるスタイルでやりました。「氷艶」は、ものすごい高さだったんですよ。僕も幸四郎さんも高所恐怖症なので「高い!」「怖い!」「なのに、なんでこの演出にしたの!」「しょうがないでしょ!」なんて言い合いながらリハーサルをした記憶があります。本当に幸四郎さんって面白い方です(笑)。