“ゆるりと歌舞伎座で会いましょう”をキャッチコピーに、コロナ禍でも工夫を凝らし、毎月多彩な演目を上演している歌舞伎座。5月は、ずらりと若手俳優がそろう、第三部「弁天娘女男白浪」に注目する。
4月某日、歌舞伎座の稽古場で行われた「弁天娘女男白浪」ビジュアル撮影には、坂東彦三郎に、「四月大歌舞伎」各部への出演を終えた坂東巳之助、尾上右近、中村米吉、中村隼人が順々に姿を現し、それぞれ日本駄右衛門、南郷力丸、弁天小僧菊之助、赤星十三郎、忠信利平の装いになって撮影に臨んだ。令和の“白浪五人男”はどのようにして立ち上がっていったのか? なおこの日撮影されたビジュアルはポスターとして、歌舞伎座で販売される予定だ。
取材・文 / 川添史子スチール撮影 / 永石勝
「弁天娘女男白浪」ビジュアル撮影レポート
妖しく咲き乱れる悪の花。盗賊たちによる祝祭的舞台
スチール撮影が行われたのは、歌舞伎座の稽古場。機材が組まれた撮影現場に足を踏み入れると、すぐ目に飛び込んできたのは鮮やかな赤の背景シートだ。スタッフは準備万端、あとは撮影開始を待つばかり。役者の皆様の到着を待ちつつ、まずは作品の背景とあらすじを押さえていこう。
時は文久二年(1862年)、春の市村座。河竹新七のちに“最後の歌舞伎作者”と呼ばれる河竹黙阿弥が、19歳の美しい役者のために書き下ろした「青砥稿花紅彩画(白浪五人男)」が初演された。女ものの長襦袢の下は白い肌に桜の刺青、髪は横に崩れた島田髷という弁天小僧を演じたのが、十三代目市村羽左衛門のちの五代目菊五郎。妖しい魅力は、またたく間に江戸っ子の評判を呼んだ。タイトルにある「花紅彩画(はなのにしきえ)」からもわかるように、発想元は歌川豊国の役者絵だったと菊五郎の自伝に記されている。黙阿弥が両国橋で見かけた振袖姿の美青年がアイデアになった……という説もあり、弁天小僧の異形美には幕末の退廃的な雰囲気も漂う。
本来は全5幕の作品だが、上演頻度が高い人気の場は「浜松屋」。舞台は呉服屋の店先、武家の娘に化けた弁天小僧が、これまた若党のフリをした南郷と共にゆすりを働く。正体がバレ、うつむいた顔をキッとあげる瞬間、目は燃え、そこにはもう先程までの慎ましい娘の姿はない。「もう化けちゃあいられねえ」と開き直り「知らざあいって聞かせやしょう」……片肌脱いで「弁天小僧菊之助たあおれがことだ」と名乗る瞬間の、胸がすくカッコよさ。まだ幼さの残る不良が若者らしい虚勢を張り、命に未練がない様には危うい魅力が漂う。
ここに続く「勢揃い」は、桜咲く稲瀬川に舞台が移る。日本駄右衛門、弁天小僧、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸といった大盗賊たちが揃いの衣裳に“志ら浪”と書かれた傘を差して集結。着物の柄、髪の形、揚幕を出る下座の伴奏までもが1人ひとり違っており、それぞれのイメージで拵えられているのも心憎い演出だ。
いよいよフォトセッションスタート、五人五様の撮影スタイル
余計なおしゃべりの間に、にわかに現場が動き始めた。今回の撮影は稲瀬川の勢揃いよろしく、時間を少しずつずらしながら役者が1人ひとりやってくるスケジュール。“まず第一が日本駄右衛門”……トップバッターの坂東彦三郎が到着した。パーテーションで仕切られた即席楽屋の中で拵えをし、ラフなTシャツ姿からあっという間に千人余りの子分を持った盗賊団の大親分に変身! 「身の生業も白浪の 沖を越えたる夜働き」の生活を続けてきたことを表す白浪の裾模様の着物、肩の方位磁石は流浪の義賊人生を物語る。肩に手拭い、足元は高下駄、手に傘を持って、カメラの前で悠然と動きをキメていく様は、あちこちから「音羽屋!」の大向うが掛かりそうな貫禄。傘の握り方、足や顔の角度、目線の向き……まるで動く錦絵、ゆったり堂々と大きく、すべての瞬間がグッとくるシャッターチャンスだ。カメラマンからリクエストが入ると、舞台同様の響く美声で「こういうこと?」と動いてみる様子は大人の風格。撮影した写真はリアルタイムでパソコンに表示され、全員で食い入るように確認していく。
お次は漁師の息子で浜育ちの船盗人、南郷力丸を演じる坂東巳之助の撮影。「浪にきらめく稲妻の 白刃に脅す人殺し 背負って立たれぬ罪科は その身に重き虎ケ石」──首に手拭いを巻き、荒くれものを表す赤い稲妻と黒雲からのぞいた雷獣の着物をまとった巳之助南郷が、大きな目で力強くカメラを睨み付けると、それはそれは大迫力。バン!と勢いよく足を踏むと、部屋中に音が響きわたる。躍動的、ダイナミック! キレのいい動きを見つめていると、見ているほうの心がスッと晴れわたるよう。傘をパッと開いて頭上高く持ち、閉じて右手に持って胸を張り……水が勢いよく流れるように無駄のない所作にもワクワクと心が躍った。
「さてその次は江ノ島の 岩本院の稚児あがり」──弁天小僧菊之助を演じる尾上右近が、「よろしくお願いします、今日は頑張ります!」と賑やかに登場。江ノ島で南郷と義兄弟として育った弁天小僧の着物は、江ノ島神社にまつわる白蛇と琵琶、そして大輪の菊模様だ。トレードマークである額の傷の位置を調整し、いざカメラの前へ。前にのめって生きるよう、やんちゃで血気盛ん、イキイキとした弁天小僧がすぐ目の前でエネルギッシュに存在する姿に目が離せない。江戸前で歯切れのいい動き、右近弁天はその場の空気を華やかでゴキゲンにする。
「今日ぞ命の明け方に 消ゆる間近き星月夜」──肩と裾には暁を告げる尾長鶏、災難を知らせる言い伝えの凶星をあしらった着物は赤星十三郎。初役で演じる米吉が撮影に到着すると、その風情、柔らかい動き、いかにも儚げな美青年でホゥーとため息が漏れる。その場が桃色に染まるようだ。この役に桜を散らした着物を考えた昔の人、ありがとう、堪能してます。腰に刺した刀が寝ているのは、武家小姓上がりの証だとか。傘の意外な重さに米吉が「箸より重いもの持ったことないのに」と言えば、スタッフからどっと笑いが。ここで右近が、帰り際に様子を覗きにひょいと再登場。それに気づいた米吉が「(赤星を)やったことあるでしょう、教えてよ」と声をかけると、親指を立てたらいかが?と傘の握り方を優しくアドバイスする微笑ましい場面も。撮影中ふと後ろを見ると、稽古場の外からお父上中村歌六も静かに見守っていた。
この日最後にやってきたのは、忠信利平を演じる中村隼人。「盗んだる金が御獄の罪科は 蹴抜の塔の二重三重 重なる悪事に高飛びなし」──雲間から暴れ龍がのぞく着物の柄は、雲に達するほどに重ねた悪事の数を象徴しているとか。カメラの前でクールに、時に不敵な笑みを浮かべる様子にはどことなく影ある色気が漂う。モニターを見つめるスタッフ陣から、思わず「カッコ……イイ……」と声が漏れ出る場面も。「なんでも言ってくださいね」と隼人が言うと、スタッフがいくつか体の向きをリクエスト。右へ左へ身体を振れば、全部の角度が男前。すべてのカットを撮り終えた瞬間、稽古場は拍手に包まれ、ここでスチール撮影がオールアップした。
表方と裏方、1枚のポスターに人々の思いが重なる
撮影の拵えのために、現場には裏方さんの姿も。休憩時間を狙って、床山さんと小道具さんにも話を伺った。まず、撮影現場の片隅で日本駄右衛門のカツラをくしで丁寧に撫でつけていた梅田さんに、この髪型の特徴を質問。「これは(浪人・病人・盗賊などの役に用いる)五十日鬘というカツラです。最初に目がいくのは豪快に毛が伸びた頭頂部だと思いますが、駄右衛門のカツラは、左右側面の髪に少ーし、もしゃもしゃっと“シケ”のようなものを出していて、これには髱(たぼ。後頭部の下に張り出した部分)とつなぐ役割もあり、左右を淋しく見せないための工夫でもあるんです。先輩たちに教えてもらったもので、これがあるのとないのとでは、雰囲気や味わいが違います」。梅田さんは今回、先輩でもあるお父上の厳しいチェックを受けながら、髱の形や髷の角度に至るまで、ギリギリまで微調整されたそう。
続いて小道具の近藤さんに、5人が持つ莨(たばこ)入れを見せていただいた。「役のためにあつらえた物かはわかりませんが、古くからある、それぞれ役の名前や着物の柄に合わせたものを準備します。根付は本物の象牙細工で、現在ではこれほどのものは作れません。袋の皮は、長く使っているとくたびれてくるので定期的にリニューアルしますが、これも職人さんの仕事です。侠客の持つ莨入れは大きく、鎖で下げるつくり。江戸時代も現代も、ヤンチャなお兄さんたちは鎖をじゃらつかせているんですね(笑)」。弁天小僧の一本差の鍔(つば)は菊の形で、こちらも名前と掛けてシャレてある。客席からは確認不可能かもしれないが、この見えないおしゃれこそが歌舞伎の心意気。そして白浪五人男のトレードマークのような和傘。和傘に欠かせない“轆轤(ろくろ)”というパーツを作ることができる職人は今や七十代のベテランお1人とか(とはいえ現在、技術を受け継ぐべく、学んでいる若者がいるそう)。つくづく歌舞伎は、さまざまな技と工夫の結晶であることよ。
撮影中、それぞれの一門の方が着物の乱れをすっと直しに入ったり、拵えや動きについて疑問点が発生すると即座に回答したりと、真剣に撮影を見つめていた様子も印象深い。横にあるテーブルには撮影資料として、そうそうたる顔ぶれによる、過去の舞台写真やブロマイドもセットしてあった。表方と裏方両方に受け継がれるプロフェッショナル魂、そして情熱が詰まった舞台。5月、稲瀬川堤に咲き乱れる満開の桜花に、今年2度目の春が味わえそうだ。
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5人が語る「弁天娘女男白浪」への思い