この秋、浅草寺境内に平成中村座が建つ。平成中村座は、十八世中村勘三郎が「江戸時代の芝居小屋を現代に復活させ、多くの方々に歌舞伎を楽しんでいただきたい」という思いから2000年に誕生した歌舞伎公演。江戸時代の芝居小屋を模した仮設劇場で観る芝居は、劇場で観るのとはまた別のワクワク感があり、人気を博している。
3年ぶりの開催となる今回は、なんと2カ月連続での上演となる。さらに宮藤官九郎が脚本・演出を手がける新作歌舞伎「唐茄子屋~不思議国之若旦那」が上演されるとあって、歌舞伎ファンならずとも必見の公演だ。
ステージナタリーでは、「唐茄子屋~不思議国之若旦那」の稽古が始まった9月上旬、宮藤と中村勘九郎、中村七之助へのインタビューを実施。平成中村座の歩みを肌で体感してきた勘九郎と七之助、中村屋と長く親交が続いている宮藤が、忘れがたきエピソードを振り返りつつ、大笑いで“平成中村座愛”を語った。
取材・文 / 川添史子撮影 / 平岩享
宮藤官九郎&中村屋、積み重ねてきたヒストリー
──新作歌舞伎「唐茄子屋~不思議国之若旦那」のお話を伺う前に、まずは宮藤さんと中村屋さんの“関わりヒストリー”をざっと追って参りたいと思います。
中村七之助 「ニンゲン御破産」(2003年、松尾スズキ作・演出)で、父(十八代目中村勘三郎)と宮藤さんが共演されたのが一番最初ですかね?
宮藤官九郎 勘三郎さんが大人計画の舞台を観たり、僕が歌舞伎を観に行ったりと、その前から交流はありましたが、確かにガッツリ作品で関わったのはあれが最初ですね。「ニンゲン御破産」の本番が2月で、稽古は1月だったんです。年明けすぐの稽古に参加した勘三郎さんがあまりに完璧で、座組み全員でビビったんですよ(笑)。
七之助 でもそれ、父も同じようなことを言っていました。その稽古初日の夜、僕がお風呂に入っていたら急に父が入ってきて「みんなセリフが入ってて、すごいんだよ」ってしゃべり始めて。劇場じゃなくて、自宅のお風呂ですよ?
一同 (笑)。
七之助 慌てて出ようとしたら「いや、お前まだ湯船に浸かってないじゃないか」と止められて、「なんだ、この時間?」と思いながら入り直しました(笑)。
中村勘九郎 約20年前だけど、もうお互いにいい大人(笑)。よっぽどだよね。
七之助 「松尾さんは稽古中に台本が変わっていくから、覚えるのは8・9割で大丈夫」と言われて、父としてはその通りにしたらしい。でもふたを開けてみると全員が完璧にセリフが入っているわ、演技もすごいわで、ショックだったらしく。完璧主義者だったから、かなり落ち込んでいました。
勘九郎 それであのときの舞台裏での様子を、星野源さんが「化物」って曲にしてくれたんだよね。
宮藤 ああそうだ、聞いたことある。「ニンゲン御破産」は源ちゃんが大人計画関係の舞台に初めて出演した作品じゃないかな。
七之助 舞台裏でしゃべったことや、「もっと面白くするにはどうしたら良いか?」と悩む父の姿を歌にしてくれたと、ご本人から聞きました。当時、カーテンコールで父と一緒に出てくる相手に、なぜか源さんを指名してたんですって。
宮藤 (勘三郎や七之助が出演した)映画「真夜中の弥次さん喜多さん」(2005年)は「御破産」の翌年が撮影でした。お父さんがアーサー王役を快諾してくださって、アリゾナの別荘から国際電話で「夜でもアーサー! 撮影よろしくお願いします」って電話をもらった思い出もあります(笑)。
──その後、「大江戸りびんぐでっど」(2009年歌舞伎座、宮藤作・演出)、コクーン歌舞伎「天日坊」(2012・2022年シアターコクーン、宮藤脚本、串田和美演出)といった歌舞伎、ドラマ「うぬぼれ刑事」(2007年、七之助ゲスト出演)、NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」(2019年、勘九郎主演、七之助出演)と、映像でも宮藤さんの脚本作品に次々とご兄弟が関わります。
宮藤 振り返ると、まあまあやってますね。
──客席の宮藤さんをめざとく見つけた勘三郎さんが、舞台から指差して「俺は(いつか)この人に書いてもらうからな!」と言った、なんて逸話も残っていますが(※)……そうして夢のタッグが実現した「大江戸りびんぐでっど」は、特に思い出深いのではないでしょうか?
※松本幸四郎(当時市川染五郎)、市川猿之助(当時亀治郎)、勘九郎(当時勘太郎)らが出演していた「決闘!高田馬場」(2006年PARCO劇場、三谷幸喜作・演出)のカーテンコールに、同時期に近くのシアターコクーンで「四谷怪談」に出ていた勘三郎が衣裳を着たまま飛び入りゲスト参加したときのエピソード。
宮藤 勘三郎さんとの打ち合わせで「ゾンビが出る歌舞伎ってありますか?」「ないね」「どうですかね?」「いいねえー」とあっという間に方向性は決まったんですけど、今思えば同席していた松竹の方の表情が固まってたんですよね。
一同 (笑)。
──勘九郎さんと七之助さんの当時の反応はいかがでしたか?
勘九郎 僕たち兄弟は(ゾンビ映画マニアの片岡)亀蔵さんの影響で「ゾンビ映画4本立てオールナイト」に足を運ぶぐらい大好きでしたから、もうワクワクしました。稽古場でも「最近の走るゾンビは邪道だ!」とか、みんなで盛り上がって(笑)。
七之助 そうそう、あのときのゾンビ演技指導は亀蔵さん担当で、「どのタイプのゾンビにしよう」という話から真剣に盛り上がりました。楽しかったなあ(笑)。
宮藤 ちょい下ネタの場面を勘九郎さんが稽古するのを、後ろでお父さんが爆笑してたり(笑)、あのときの稽古場は自分が今まで経験したことがない、忘れられない思い出ばかり。みんな歌舞伎座の公演が終わってから稽古に来てましたよね?
七之助 前の月が「忠臣蔵」の通しで、僕たちは昼の部が終わってからの稽古だったんです。懐かしいですね。
宮藤 さらに同時に別の演目の稽古もやってたし、すごい集団だな……と思いながら眺めてました。
勘九郎 あ、確かに同じ稽古場で「操り三番叟」の稽古をした記憶があります。
七之助 12月は昼が「操り三番叟」「野崎村」「身替座禅」、そして「大江戸りびんぐでっど」、夜が「引窓」「雪傾城」「野田版 鼠小僧」で、フル回転。再演とはいえ野田(秀樹)さんの作品と宮藤さんの新作が、昼夜でかかるなんてすごい月でした。
宮藤 初日、僕ロビーの様子を見に行ったんですよ。ご年配の方とか、着物姿の上品な方が目に入って……「あれ、なんか違うかもしれない」と不安になって速攻楽屋に戻って。
一同 (笑)。
七之助 うちの父親は「大江戸りびんぐでっど」が大好きでした。あのあと何度も自宅でお酒を飲みながら映像を見返してましたよ。
勘九郎 「やっぱ面白いんだよ」って言いながらね(笑)。
宮藤 うれしいです。僕も見直すたび、つくづく「面白い」と思う(笑)。ただ今思えば「歌舞伎座に初めて新作を書き下ろすぞ!」って、ものすごく肩をぶん回しながら、内心は武装して挑んでたなあと思います。だから今回はもう少し、歌舞伎の世界に身を委ねて、丸腰で入っていきたいと思っていて。なんせ前は燃え尽きすぎて、終わったあとは「何も考えられない」状態で2カ月ぐらい廃人でしたから(笑)。今思い出したんだけど、あの数カ月後にラップが入った歌舞伎もやってませんでした?
勘九郎 「佐倉義民伝」(2010年6月コクーン歌舞伎、串田和美演出、大勢の農民たちが唄う場面をいとうせいこう作詞のラップで構成した)ですね。
宮藤 もう、すごすぎるよ!
勘九郎 でもあの頃のタフな筋力は、今コロナでちょっと失われつつあるかもしれません。この間、久々に大阪松竹座で朝から晩まで劇場にいたら、息切れしましたから。そろそろ状況が戻ってくれないと。
七之助 コロナは1日も早く収まってほしいし、出る舞台があることはうれしくてすごくありがたいことだけど……正直「あそこまでハードじゃなくていいかも」とも思います。やっぱり普通じゃないですよ。
一同 (笑)。
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