松田正隆×長島確「フェスティバル/トーキョー18」|演劇は今、抵抗できているか

今年2018年、長島確がディレクターに就任し、共同ディレクターの河合千佳と共に新たなスタートを切った「フェスティバル/トーキョー」。「脱ぎすて跨ぎ越せ、新しい人へ」をキャッチコピーに掲げ、10月13日から11月18日までの37日間、国内外のアーティストが多彩な作品を繰り広げる。マレビトの会・松田正隆は、09年に「フェスティバル/トーキョー」がスタートして以来、毎年東京にて新作を発表してきた。00年以来、さまざまな形で親交を深めてきたと話す松田と長島が、16年に始まった3年がかりのプロジェクト「福島を上演する」を軸に、表現について、また東京について語り合う。

取材・文 / 熊井玲 撮影 / 川野結李歌

身を置いて、スケッチを描く

──2016年に始動した「福島を上演する」は、複数の戯曲により福島の今にフォーカスを当てる、3年がかりのプロジェクトです。本プロジェクトの前には、13年から16年にわたって上演された「長崎を上演する」があり、そこですでに“複数の戯曲”“現地取材”“3年”“1度きりの上演”というシリーズの土台はできていたわけですが、松田さんの中で確信のようなものがあったのでしょうか?

松田正隆

松田正隆 そもそも「長崎」の前の12年に「アンティゴネーへの旅の記録とその上演」という公演を上演していまして(編集注:戦死した兄の死をめぐる理不尽な出来事に遭遇した、ギリシャ悲劇の王女・アンティゴネーを巡って、東日本大震災と原発事故のメディアと“私たち”の関係性に焦点を当てた作品)、それには2つの上演があったんですね。第1の上演では、街中でいくつかの物語を展開させつつ東京から福島への旅を見せるもの、第2の上演ではその行程を想起している俳優たちの身体を、にしすがも創造舎(当時)の体育館で展示的に見せるというものでした。正直、観客にはよくわからなかったかもしれないんですが、俳優は“今・ここ”に立ってはいるんだけれども別の世界に入っていくような身体になっている。こことは違う場所のことを想起している最中に、思わずやってしまう身振りとか動きとかはあるとしても俳優はほとんど突っ立っているだけ。そういう実験的な上演をやってみたんです。

──第1の上演は立ち会えなかったのですが、第2の上演は拝見しました。スポットライトの中で俳優たちがそれぞれの時間を追憶している、とても不思議な公演でした。

松田 自分としては割と確信があったんですけど、それをやったときに、分離しすぎたと言ったらいいのかな。何をやってるのかわからないっていう批判も受けたし、自分としてもあそこまでやったらそこからどう展開したらいいか、ということもあって、その後の展開を考えあぐねていたんですよ。で、切れ切れになった身振りとか、想起の中で俳優が思わず口にした声とか、そういうものをもう少し演劇の上演空間の中に総合する方法はないかと思って始めたのが「長崎を上演する」シリーズ。そのときに考えたのは、「アンティゴネー」以前の作品では俳優が自ら経験したことを思い出すというやり方だったけど、近代演劇の上演の流れに従って、つまり誰かが戯曲を書いてそれを稽古して俳優が演じる、というドラマ演劇の方法をもう1回なぞってみようということでした。ただ、テキストは複数にしたほうがいいという予感と、コントというか、“短編スケッチ”的なテキストがいいんじゃないかという思いがあって。そこで俳優じゃなく書き手が長崎に行って、実際に長崎に身を置いた印象でスケッチを書くということにしました。というのも、長崎には原爆にまつわるストーリーがたくさんあるんですよ。それを取材して再構成するんじゃなくて、現代の長崎にある風景を作家にスケッチしてもらい、それを俳優が上演するのがいいだろうと。長崎の時間がテキストに変換され、長崎に潜在している原爆の時間が舞台に表出し得るんじゃないかという期待があったわけですね。ということを、「アンティゴネー」からのリハビリのようにやったんですけど(笑)、そこから生まれたのがあのマイムを駆使した身振りでした。あらゆる舞台美術や照明による効果などを排除して俳優の身体だけで見せようと。

──3年という区切りは結果的に3年になったのか、当初の目論見から3年だったのか、どちらでしょう?

松田 3年ずつ3つの被爆(曝)都市を描くという目論見は最初からありましたね。最初は正直難しいんじゃないかと思いましたが、この3年間は「フェスティバル/トーキョー」と協働することでここまでやってこられました。

無対象のマイムに驚いた(長島)

──長島さんは「長崎を上演する」シリーズはご覧になっていますか?

長島確 僕は「長崎」3年目のときに名古屋の愛知県芸術劇場の地下の小ホールで上演された、総集編的な公演を拝見しています。実はマレビトの会に対しては僕、ブランクがありまして、「アンティゴネー」も観られていませんし、「長崎」シリーズの試演会が(松田が教師を務める)立教大学で行われているのも知ってはいましたけど、まったく行けないままで。だからその総集編を観てものすごく驚きました。「それ以前とすごく変わった!」と思って。

松田 「長崎」の前って何を観たの?

長島確

長島 2012年に墨田区の街中でやられた「マレビト・ライブ 東京編」は全部観てますね。それ以前の「HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会」や、山口のYCAMでは「PARK CITY」を観てますし、「フェスティバル/トーキョー09」で上演された「声紋都市」も拝見してます。

松田 模索してたときですね。

長島 そうだったんですか?(笑) それらと「長崎」の総集編はすごく変わったと感じて、びっくりしたんです。小さなホールに客席が普通に組んであるんだけど、サイドの扉が開け放ってあって、ホワイエの空気と繋がっているのがよくわかる。そこに俳優たちが静かに入ってきては、短いシーンをやって出て行くっていう、その見せ方も含めてものすごくよかった。

松田 ありがとうございます。

長島 びっくりしたことはほかにもいくつかあって、やっぱり徹底的な無対象のマイムは驚きました。小道具一切なしで、箱馬とパイプ椅子だけでバーのシーンをやってみせるとか。異化効果なしですんなりやってしまっていることに驚いて。

松田 異化効果が“ある”とどうなるんですか。

長島 “なんちゃって”ってもう死語かもしれませんけど(笑)、やってるほうが「これは嘘ですから、わざとですから」って、恥じらいも含めた提示をする。小劇場ではある時期から、その異化効果を当然の前提として、そのうえで何をやるかということになってきたと思うんです。無対象の演技はその最たるもので。でも「長崎」シリーズでは非常にストレートに演じられていたのが逆に新鮮でした。

松田 あんまりそういうことを考えたことがなかった。

長島 しかもそれが全然いやな形じゃなかったことにも驚きました。

「アンティゴネー」がなかったらやってなかった(松田)

松田 それ、「長崎」が始まった頃の観客も言っていた。当時はその人が正直何のことを言ってるのかよくわからなかったけど、長島さんの今の発言を聞いていたらピンと来ました。僕らはあんまり異様なことって思わなかったけど……。

長島 いや異様でした(笑)。だって無対象でマイムをやるってことは、ある意味、もういまさらない、恥ずかしくて異化せずにはできないことだと思っていたけれど、すごくナチュラルに出てきたので。

松田 でもそれは、「アンティゴネー」がなかったらやってなかったと思う。つまりもう1個の、ここにあるのとは別の時間に行くというのが演劇の面白いところだから、その面白さをもうちょっとよく考えたほうがいいって思い始めたんです。それともう1つ、「皆さんこんにちは」って言いながら私たち観客に話しかけてくる、現在の状況を保ちながらやる演劇と、観客がいないものとしてやる演劇って2つあると思うんだけど、その間(あわい)をもう少し考えられないかなっていうのもありましたね。例えば登場人物を演じる俳優たちが、今ここには誰もいないのに頭の中では別の時間の誰かと一緒にいる、それを演劇の方法として上演に取り入れられないかなと。だから、マイムをすると言っても、まるでここにエスカレーターがあるようにものすごく上手なパントマイムをするということとは全然違う。私たちは“疎かなマイム”をキーワードの1つにしてたんですけど、ないものの形状を示してここにそれを再現するのではなく、そこにない場所にその人が行ってしまっていることを示すほうが重要と考えているので。

長島 「これは引き算の結果なんじゃないか」とあとで思ったんです。「長崎」以前の作品でも、マレビトの会の俳優は、いわゆる“第4の壁”を開けなかったですよね。観客と同じ場所にいるのに、(居方として)閉じている。正直に言うと、その壁を「松田さんはいつになったら開けるんだろう?」と思っていました(笑)。

松田 なるほど。

長島 例えばチェルフィッチュはとてもわかりやすい形でプレゼンテーションを始めます。舞台に現れた俳優が「じゃあ始めまーす」と言って、そこからだんだんフィクションに入っていく……というやり方が出てきたあとで、観客との間の“第4の壁”を閉じたまま舞台を進行させるやり方がいまさら通用するのかなって僕は思っていて、でも松田さんもマレビトも、その壁は頑なに開けないなあって……ごめんなさいね。

松田 いや、その通りだと思う。

左から長島確、松田正隆。

長島 観客の近くに俳優が立ってるんだけど、俳優は絶対に観客と目を合わさない。

松田 それは絶対に禁止してましたね。

長島 ですよね。で、以前、岡田利規さんと松田さんのトークでも岡田さんが松田さんに「どうして俳優は観客と目を合わせないのか」って質問してたと思うんですけど。でも街中で上演する作品でも、松田さんは頑なに“第4の壁”を開けなかった。街を歩く俳優の後をお客さんが30人ぐらいゾロゾロついて歩く、異様なことになってても(笑)。

松田 観客がいないっていう体(てい)にしてね(笑)。

長島 なので、松田さんは“第4の壁”を閉じたままで行き続けるんだなって思ってたんですけど、「長崎」シリーズを劇場でやり始めたときに、街中で繰り広げていたリアルな行動……例えば改札を通ってホームに行き電車に乗って、降りて、コンビニに寄って喫茶店に入るっていうリアルな行動を、劇場の中でも繰り広げていた。ただし街は劇場に持ち込めないから全部それを差し引いちゃって、でも身体だけはまだ街がある体(てい)でやってると言うか。しかも街は持ち込めなくても小道具くらいは持ち込めるはずなのに、小道具すらない状態でやってる!って。

松田 そうそう! 初めてそういう観点で話す人がいた!(笑)

長島 (笑)。そのことの不思議さと異様さが、あとで考えたときにすごく面白かったなって。だから異化効果前提で「ここはバーですよ、これはエレベーターですよ」って説明しながら表現するのとは、全然違う立ち位置でできた作品で、「長崎」は街やバーやグラスが全部差し引かれちゃってるのにまだ体だけがやってるという。

松田 そうそう、身体は戯曲の要請している環境、空間に合わせようとしてやっているからね。戯曲に寄った体でやってるんです。だからパッと見てもそこがどこなのか何をやってるかとか、わからなくてもいいんじゃないかと。それよりも俳優がテキスト上に書かれた、長崎なら長崎という場所に引きずられていることのほうが重要で、その状態を観客と一緒に経験することが大事と言うか。なので福島の情報を伝達すると言うよりも、福島に行った経験のある作家が書いたテキストに引っ張られた俳優を観ることで、観客に同様の経験が起こるんじゃないかと思ったんですよ。

「フェスティバル/トーキョー18」
「映画作品タイトル」

同時代の舞台作品の魅力を多角的に紹介し、舞台芸術の新たな可能性を追求する舞台芸術祭。2009年のスタート以来、11回目の開催となる今回は、18年10月13日から11月18日に東京・東京芸術劇場、あうるすぽっと、南池袋公園ほかにて37日間にわたり開催される。

マレビトの会「福島を上演する」
マレビトの会「福島を上演する」

2018年10月25日(木)~28日(日)
東京都 東京芸術劇場 シアターイースト

作:アイダミツル、神谷圭介、草野なつか、島崇、高橋知由、松田正隆、三宅一平、山田咲

演出:関田育子、寺内七瀬、松尾元、松田正隆、三宅一平、山田咲

出演:アイダミツル、生実慧、石渡愛、加藤幹人、上村梓、桐澤千晶、酒井和哉、佐藤小実季、島崇、田中夢、西山真来、三間旭浩、山科圭太、弓井茉那、吉澤慎吾(※「吉」の字は土に口が正式表記)、米倉若葉

松田正隆(マツダマサタカ)
1962長崎県出身。マレビトの会代表。立命館大学在学中に演劇活動を始め、1990年に京都で劇団「時空劇場」を結成。97年の解散まで全作品の作・演出を手がける。96年に「海と日傘」で岸田國士戯曲賞、97年に「月の岬」で読売演劇大賞作品賞、98年に「夏の砂の上」で読売文学賞を受賞。2003年より拠点を京都に移し、演劇の可能性を模索する集団・マレビトの会を結成。12年に再び拠点を東京に移した。主な作品に「cryptograph」、「声紋都市—父への手紙」、写真家・笹岡啓子との共同作品「PARK CITY」、「HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会」、「アンティゴネーへの旅の記録とその上演」など。また13年から16年に「長崎を上演する」、16年から「福島を上演する」と、それぞれ3年がかりのプロジェクトを実施している。
長島確(ナガシマカク)
1969年東京生まれ。立教大学文学部フランス文学科卒。同大学院在学中、サミュエル・ベケットの後期散文作品を研究・翻訳するかたわら、字幕オペレーター、上演台本の翻訳者として演劇に関わる。その後、日本におけるドラマトゥルクの草分けとして、さまざまな演出家や振付家の作品に参加。近年はアートプロジェクトにも積極的に関わる。参加した主な劇場作品に「アトミック・サバイバー」(阿部初美演出、TIF2007)、「4.48 サイコシス」(飴屋法水演出、F/T09秋)、オペラ「フィガロの結婚」(菅尾友演出、日生オペラ2012)、「効率学のススメ」(新国立劇場、ジョン・マグラー演出)、演劇集団 円「DOUBLE TOMORROW」(ファビアン・プリオヴィル演出)ほか。主な劇場外での作品・プロジェクトに「アトレウス家」シリーズ、「長島確のつくりかた研究所」(共に東京アートポイント計画)、「ザ・ワールド」(大橋可也&ダンサーズ)、「←(やじるし)」(さいたまトリエンナーレ2016)など。訳書にベケット「いざ最悪の方へ」、「新訳ベケット戯曲全集」(監修・共訳)。東京藝術大学音楽環境創造科特別招聘教授。中野成樹+フランケンズのメンバーでもある。18年度よりF/Tディレクター。