何だかいつも楽しそう──その印象がずっと変わらないまま、ヨーロッパ企画が25周年を迎えた。25周年と言ったら四半世紀だ。四半世紀も“楽しそうなフリ”ができるはずがない。つまり彼らは、本当に楽しんでいるのだ。
自分たちが思う“面白さ”の輪を、舞台を中心に、映画やテレビドラマ、イベントなどさまざまな形で多方面に広げているヨーロッパ企画。ステージナタリーでは、その“奇跡的な軌跡”を、旗揚げメンバーの上田誠、諏訪雅、永野宗典の3人に振り返ってもらった。また後半は、ヨーロッパ企画メンバーがそれぞれのお気に入り作品や思い入れのある作品を語っている。
取材・文 / 熊井玲撮影 / 根津菜美
25年経っても、「100%劇団」
──ヨーロッパ企画は、舞台を軸にしつつも、テレビドラマや映画など多方面で、俳優、作家、演出家、監督、イラストレーター、発明など多彩に活動されています。ヨーロッパ企画の公式サイトでは今も「劇団。京都を拠点に活動。コメディを上演している。」と自己紹介されていますが、これだけ活動の幅が広がっても“劇団”と自称されるのはなぜですか?
諏訪雅 (少し考えて)……100%、劇団だよね?
永野宗典 ですね。
諏訪 劇が中心にあるから、何を作っても結局、劇になる感じがします。
永野 僕らは「ヨーロッパ企画の暗い旅」(編集注:KBS京都とtvkテレビ神奈川で放送中のヨーロッパ企画制作のドキュメントバラエティ番組)をずっと続けてますけど、「暗い旅」も劇団活動の派生というか、「暗い旅」専門のチームになったらちょっと物足りなくなるかもしれません(笑)。あくまで劇団での関係値が土台としてあって成り立っている企画だなと。
上田誠 “劇団”に似た表現としては演劇ユニットがありますけど、演劇ユニットじゃなくてあえて劇団と言いたいっていうか。僕は言葉が好きなので、例えば音楽だったら“ロック”や“バンド”、お笑いも“芸人”って言い方があって「俺、芸人なんですよ」なんてちょっと言ってみたくなる(笑)。でも演劇ってそういったカッコいい無敵ワードがあんまりないなって昔から思っていたんですが、“劇”とか“劇団”って25年言い続けていたら「けっこういいかも」って思い始めたんですよね。“コメディ”もそうです。コメディって言うのが恥ずかしかった時期もありましたが、今は「劇団でコメディをやってます」って、誇りを持って言いたいなって感じがします。
永野 僕もあんまり劇団がカッコいいとは思ってなかったかもしれないです。劇団って言ったときの周りの印象を意識しちゃって。でもようやく履歴書に劇団員って書くようになって、今はちゃんと胸を張れるかな。もちろんヨーロッパ企画がやっていることは面白いし、独特だし、好きなんですけど。
──憧れの劇団を目指すとかではなく、「劇団」と名乗り続けることで、“劇団”がしっくりくるようになったということでしょうか。
諏訪 僕は劇団衛星さんにものすごく憧れてましたよ。ヨーロッパ企画でいろいろ変わったことを始めたのも衛星さんの影響は大きくて。劇団や劇というものに縛られていないほうが面白いと思っていたし、そう思うようになったのは衛星さんの影響です。
上田 それに今の時代、舞台上のみならず、動画でもテレビでも映画のスクリーンでもドラマを作ることはできて、そのとき劇団として活動できると考えたら、劇団って言葉はめちゃくちゃ捉え方の幅が広くて便利なんですよね(笑)。時間があるときに劇団を組んでおいて良かったなあと思います。
一同 あははは!
「ショートショートムービーフェスティバル」は大きかった
──ただ、劇団というスタイルにこだわりつつも、立ち上げ時から「ショートショートムービーフェスティバル」(編集注:2004年にスタートした短編映画祭。メンバーそれぞれが監督となり、観客投票でグランプリを決める)やラジオ番組、カウントダウンイベントをはじめとする各種イベントなど、ものすごい量のプロジェクトを実施されていました。しかも劇団員それぞれが脚本を書いたり、監督したり、企画運営したり……と、全員が表方も裏方にも携わっているのが驚異的だなと。それが実現できたのは、もともと多彩な人が集まっていたからなのでしょうか、あるいはヨーロッパ企画に所属することによってメンバーがそのようにクリエイター気質になっていったのでしょうか?
諏訪 「ショートショートムービーフェスティバル」はすごく大きくて、あれがなかったらみんな、こんなにクリエイターっぽくはなっていなかったと思います。「ショートショートムービーフェスティバル」で1人の監督として、脚本も書くし、撮影もするし、出演もするっていうことをそれぞれがやったことによって自分はこういうことを書くと得意なんだとわかってきたし、「これはめっちゃウケた!」という経験を重ねることで、どんどん物作りができるようになっていったところもあります。
上田 あれは大きかったですね。逆に「ショートショートムービーフェスティバル」に参加したことで、俳優しかやらないと覚悟を決めた人もいるし。
永野 続けるうちにM-1みたいにみんなマジになっていったんですよね(笑)。映画にのめり込む人もいたし、離れていく人もいたけど、まさか自分もここまで物作りに夢中になるとは思わなかったし、そんな作家性が自分にあるとは思わなかった。そもそもは遊びの延長のつもりで始めたものが、いつの間にか仕事になっていたという感じはすごくありましたね。
──それが演劇ではなく、ショートムービーだったことの利点はあったのでしょうか?
諏訪 演劇は1人じゃできないけど、ショートムービーはがんばれば1人で作れる。あとイベントとして競いやすいんです。そもそも僕ら、上田くんちに行って8ミリビデオを持って「今から1分くらいの面白ムービーを録ってきてみんなで鑑賞会をして遊ぼう!」というような遊び方をしてたんです(笑)。「ショートショートムービーフェスティバル」はまさにその延長だったんですよね。
上田 確かにショートムービーのほうが演劇より作りやすいですよね。短編だったとしても演劇を作るには上演する必要があり、それには稽古もする必要があるし、観客も必要だし。それに比べるとショートムービーは作りやすい単位だったので、ヨーロッパ企画の中でも作り手側の意識が強い人は、ショートムービーを経てプロデュース公演をやるようになっていったのだと思います。ただ実は悩んでいたところもあるんです。役者タイプの人があんまりヨーロッパ企画には来ないなって……。
一同 あははは!
永野 僕は自分が役者タイプだと思っていたけど。
上田 そうですね、でも永野さんとあと数人というか。ほかの劇団のインタビューを読むと、いわゆる“役者語り”みたいなのを見かけるけど、うちの人はあまり……。
諏訪 (笑)。うちはちょっと特殊で。上田の脚本で、上田の劇団でずっとやってると、よその現場に行ってまったく通用しなかったんですよね。普段やっているようなことをほかでは全然求められなくて、手応えがない時期がめちゃくちゃ長かった。
上田 それは作家も一緒です。外(の仕事)で脚本を書くと、全然ヨーロッパ企画っぽく書けなかった。
諏訪 だから外の現場でやる演技とヨーロッパ企画の演技は違うんだなって思ってたんですけど、徐々にどちらもできるようになってきました。とにかく、ヨーロッパでやったことは外ではあまり役に立たないぞっていう感覚はあったな。
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人が集まってきたことで継続する体力がついた