EPAD代表理事・福井健策が語る現在地 舞台芸術界の“アーカイブ元年、権利元年”から現在、そして未来について

2020年2月以降、新型コロナウイルスの影響により、公演中止・延期を余儀なくされ、興行的にも作り手の精神的にも大打撃を受けた舞台芸術界。世界的にも舞台映像の配信が一気に増えたこの時期、大きな期待のもと日本で産声を上げたのがEPADだ。EPADの代表理事の1人で、著作権法やエンタテインメント法、メディア法のエキスパートである弁護士の福井健策は、「2020年は日本の舞台芸術界にとって“アーカイブ元年”であり“権利元年”だった」と振り返る。舞台芸術作品のアーカイブとデジタルシアター化を目指し、権利処理の下地を整備してきた黎明期から、拡大・発展期に入りつつある現在まで、EPADの取り組みが作り手と観客に与える影響やこれからの展望について、福井に話を聞いた。

取材 / 北原美那文 / 熊井玲撮影 / 吉見崚

コロナ禍を背景にできたEPADの礎

──EPADはコロナ禍を背景に、2020年に寺田倉庫と緊急事態舞台芸術ネットワーク(編集注:2020年5月に新型コロナウイルスによる演劇界の危機的状況を受けて緊急的に組織されたネットワーク)の協働で立ち上げられました。まずはその経緯から教えてください。

2020年2月26日──舞台界での226事件と呼んでいますが、当時の安倍晋三首相がほぼ予告なく、イベントの自粛要請をテレビで呼びかけるという事態が起きました。これによって劇場は危険な場所だという風評が広がり、公演の中止や延期によって大変な損失を被った団体も多く、ライブイベントは前年比約80%も売り上げが減少して、このままではライブイベントというジャンルごと吹っ飛ぶんじゃないかという強い危機感を抱きました。それで自分でもいろいろな発信をしたり、議員連盟に呼ばれて危機を訴えたりしていたんですけど、野田秀樹さんや高萩宏さんからも「なんとかしたい」というご連絡があって。ただ当時、横断的な舞台界全体の団体がなかったので、政府としてもどこを話し合いの場に呼んだらいいのかもわからない、という話も聞いていたので、野田さんたちとは「まず舞台界の広いネットワークが集まらないとダメだ」というお話になりました。

その後、いろいろな方の助言やお力を借りて団体が集まり始め、現在では260に達する業界の主要団体が集まりました。明治以来初めてかなっていう規模の(笑)、舞台界の横断的なネットワークが出来上がったんです。そこでようやく政府と交渉ができるようになって、例えば「今の活動制限はおかしいですよ」「劇場はこんなふうに安全対策をとっています」「感染対策は何が一番効き目があるか」「今の活動支援策はこの点が不十分なのでこう改善拡充してほしい」といった話が政府とできるようになりました。

その過程で、文化芸術収益力強化事業(新型コロナウイルスの影響により収益機会が減少した文化芸術団体に対して、各分野の特性を生かした新たな取り組みを行うことで収益確保や強化を目指す事業)が立ち上がり、文化庁がそれまでにない規模の予算を用意したため、その使い道について政府に提案するタイミングが訪れました。ただその頃はちょうど公演中止がひどかった時期で、中止になると補助金も下りないし、新しい事業を起こす余力も各団体にはまったくない。では公演ができない場合でも、どうやって現場を支援するかということが大きな課題でした。同時に、世界の主要劇場では過去作品を次々と配信している中、日本ではそれが不十分だということが課題だったんですね。例えば当時、メトロポリタンオペラとかナショナルシアター、ベルリンフィルでは過去の映像が週替わり、日替わりで配信されていて、劇場に行けない人たちがその映像を自宅で鑑賞し元気をもらい、そのことによって作り手も力を得ていました。というのも、不要不急が叫ばれて、日本に限らず世界中の多くのアーティストたちが「自分たちは社会にとっていらないものなのではないか」という精神的なある種の危機に直面していた。その中で、自分たちの作品が人々に力を与えているという実感を持つことはアーティストにとって重要でしたし、実際、配信をしている海外の例では映像に副音声で解説をつけたりすることで新たな仕事が生まれるので、パフォーマーやディレクターも“がんばる先”ができていた。それは大きなことだと感じました。

日本でも、もちろん先駆的な舞台配信の活動はありました。ですが、そもそも配信以前に舞台映像が散逸・忘却されているケースが多いと、早稲田大学演劇博物館(演博)さんの調査などでも指摘されていたので、それならば過去の映像などを収集し権利処理をすることで、権利の対価という形でお支払いすれば作り手たちを支援できるんじゃないかと考えました。で、その案を文化庁に申請することになったのですが、法人格がなく困っていたところに、寺田倉庫さんが“白馬の騎士”の如く現れて……(笑)。そもそも寺田倉庫の緒方役員は、2017年に設立されたデジタルアーカイブ学会(21世紀日本のデジタル知識基盤構築のために、デジタルアーカイブに関わる関係者の経験と技術を交流・共有し、その一層の発展を目指して人材の育成、技術研究の促進、メタデータを含む標準化に取り組むことを目指す学会)にも参加していて、以前からデジタルアーカイブにも熱心だったんです。そこで寺田倉庫さんに申請団体になっていただき、この案を文化庁に提案したところ、無事採択され、EPADの活動が始まったというわけです。

福井健策

福井健策

──現場の方たちや作り手たちの経済的、精神的なダメージを支援できないか、という思いと、日本における舞台映像の保存収集を組み合わせてEPADが立ち上がったということですね。

あと、人々が観られる機会を増やしていくということも、ですね。この案が実現すれば“一石三鳥”くらいになるんじゃないかなと(笑)。しかもこのやり方であれば、新たな事業を起こさずとも過去の映像を倉庫から出してきて関係者の許諾を得れば、作り手たちに対して支援金を“真水で”支払うことができます。実際、EPADの初年度は全予算の74%程度が現場への直接対価として還元されました。

現場と法律の溝を埋めていく“権利処理”作業

──福井さんご自身は、収集された映像の権利処理部分を担当されたそうですね。非常に大変だったと思いますが……。

事務局や、弊所の田島弁護士など、権利処理チームの多くのメンバーとですね。舞台作品のアーカイブ化については、著作権法の規定があるので、実はそれを活用するとある程度までは処理できます。が、その理屈を整理し、理解してもらうためにはやっぱり丁寧な説明が必要で、僕はその部分を担当しました。2020年は舞台界にとってアーカイブ元年であり、ある意味で権利元年でしたから、例えば照明家や音響家の方に連絡すると、「で、私は権利者なんですか?」というようなことをおっしゃられたり、逆に俳優の方に「日本の著作権法にはワンチャンス主義というものが昔からあるので、実演家は自分が納得して収録した映像作品に対しては実は法的には権利がないんです」と説明すると、「そんなおかしな話は聞いたことがない!」と言われるようなことがあって(笑)。法律と現場が「多分こうだろう」と思っていることはこんなにも違う、と再実感しました。

それは両方の責任で、現場は率直に言って勉強しなさすぎだったし、法律のほうも現場に対して歩み寄りがなかったためですが、舞台作品のアーカイブ化においてはそのすり合わせと理解が必要な作業でした。当時、現場の皆さんへの説明や自分たち自身のモチベーションとしては、「このままではただ散逸してしまう舞台映像を、未来や世界に伝えたい」ということに重点を置いて、そのために権利処理が必要だ、ということを説明しました。

配信に関しては、フルサイズの権利処理が必要です。大体、1本の舞台作品で確認を取らないといけない権利者は10名程度ですが、現場ではやはり俳優さんや事務所にも話を通すケースもあり、時にはその倍もの“権利者”を探し出し、それぞれに同意をもらっていました。必要な許諾が全員分そろって、初めて配信が可能となります。ただこれは、音楽の権利を除いた人数です。音楽の権利処理はJASRACである程度なんとかなるのですが、外国曲の場合はシンクロ権(楽曲と動画を同期させて使用する場合に発生する権利)という特別な個別交渉が必要で、これがとても大変! MPA(日本音楽出版社協会)さんが協力してくださいましたが、時には、問い合わせても返事が来ない。

EPAD創設当時から、権利処理の専従チームを立ち上げて、何人ものスタッフが朝から晩まで権利処理をやっていましたが、彼らの間には、がんばったけれど連絡がもらえず配信に至らなかった案件の“無念リスト”というものがあって(笑)。これは例えば期限までに最後の1人の返事が来ず、配信をあきらめてアーカイブに留まったような作品群です。

福井健策

福井健策

──さらに福井さんは、権利処理の標準化と言いますか、それぞれの団体が自分たちで権利処理できるようなサポートもされました。

ちょうど公文協(公益社団法人 全国公立文化施設協会。国及び地方公共団体などにより設置された全国の劇場・音楽堂などの文化施設が連携し、地域の文化振興と地域社会の活性化と日本の文化芸術の発展のために各種事業を行う協会)さんも同じようなことをやろうとされていたところで、公文協さんのご希望で権利処理のマニュアルを作りました。その後、EPADで権利処理のページを作成して講演映像や、弁護士が書いた文章を載せたり、関係者の方向けの説明会をやったりしたんです。

またその後、早稲田大学演劇博物館さんがドーナツ・プロジェクトを立ち上げてくださって。ドーナツ・プロジェクトとは、舞台上で繰り広げられた演劇やダンスなどのパフォーマンスを中心と考えたとき、中心であるその時間自体は保存できないけれど、公演映像、戯曲、ポスターやフライヤー、舞台写真、劇評など、さまざまな舞台芸術のアーカイブを収集することで厚みがあるドーナツを形成することができる、という思いから、舞台芸術のデジタルアーカイブの構築と利活用を担うマネージメント人材の育成を行うプロジェクトです。このようにEPADで収集や、権利処理、利活用を、演博さんが博物館としての保存や視聴のほか、デジタルアーカイブ化のノウハウ普及をと、良い協力や分担が出来ているように感じます。

福井健策

福井健策

EPADの現在地、そして今後の展望

──立ち上げから3年経ち、現在EPADは「保存・継承」を軸に、「情報の整理・権利処理サポート」「作り手と観客の新たなマッチング」「教育・福祉などへのパッケージ提供」「ネットワーク化と標準化」という5本柱で事業を展開しています。今後、EPADはどのような展望を持っているのでしょうか?

2023年12月にロームシアター京都で行われた「EPAD Re LIVE THEATER in Kyoto ~時を越える舞台映像の世界~ 舞台映像上映会およびトークセッション」には全国の公共ホールのキーパーソンが集い、その場ではすぐにでも日本の舞台映像上映が変わっていきそうなムードになりました(笑)。が、実際には一歩一歩、という感じだと思います。ただ、皆さんとお話ししていて常に話題になるのは、やっぱりこれまで舞台人たちが築き上げてきた作品がいかに素晴らしかったかという、そのことなんですね。

例えば維新派を観ていかに自分は叩きのめされたかとか、夢の遊眠社のVHSを繰り返し観たとか、高校の頃シアターテレビジョンで観た芝居に影響を受けて今があるとか、そういう話をたくさん伺いました。つまり、作品の力ということだと思いますが、その時間を本当の意味でそのまま残すことは不可能です。でもせめて“周り”を残してジタバタしようよっていう……改めて、ドーナツ・プロジェクトっていい言葉だと思いますね。そのように、作品の“真ん中”はすぐには無理でも“周り”からでいいから観たいと思っている各地の人、未来の人々がいるならば、その人たちのために残せるものは残そう、と働きかけていくことには価値があると思います。

2023年度末の時点で、EPADには約2700作品がアーカイブされますが、戦後70数年間、日本の舞台人たちはこんなに面白いことをやってきたんだということを未来に向かって残していきたいし、作品数を5000作品、10000作品とさらに増やしていきたいです。

また私自身が実はそうなのですが、あまり耳がよくなく、セリフを聞き取るのが少し難しい人、あるいは移動が困難で劇場へ舞台を観に行くことができない人、子育てや介護をしていて舞台から離れている人などは、作り手が思っているよりずっと多いと思います。そういう人たちにいかに作品を届けるか?を考えるとき、最初は福祉活動のような文脈で考えていたのですが、需要があるところに届けるって、普通のビジネス戦略でもありますよね。そういう点で、ユニバーサル上映や各地での上映会、図書館や博物館などと連携して映像ブースを設置することなども今後大切になってくると思いますし、世界の人たちにも作品にアクセスしてもらうには多言語字幕も必要になってくると思います。

私は、10年前に亡くなった青空文庫の創始者・富田倫生と仲が良くて、彼は芥川龍之介の「後世」という文章を、よくシンポジウムなどで読み上げていました。「誰かゞ偶然私の作品集を見つけ出して、その中の短い一篇を、或は其一篇の中の何行かを読むと云ふ事がないであらうか。更に虫の好い望みを云へば、その一篇なり何行かなりが、私の知らない未来の読者に、多少にもせよ美しい夢を見せるといふ事がないであらうか」という一節にあるように、未来に向かって作品を残したいという思いは、根幹としてやはり重要だと考えています。自分自身としては、100年後に向けて時限爆弾を仕掛けるようなことができたらいいなと思っていて。ゴッホを弟のテオが、宮沢賢治を弟の清六さんが支え、彼らの作品を残してくれたからこそ、今私たちは彼らの作品に触れることができるのだし、100年後の人の心の中にものすごい爆発を起こすことがあるわけで、自分もそんなことを少しでもできたらいいなと思っています。

福井健策

福井健策

プロフィール

福井健策(フクイケンサク)

弁護士。骨董通り法律事務所 For the Arts代表。デジタルアーカイブ学会 理事・法制度部会長、緊急事態舞台芸術ネットワーク常任理事、EPAD代表理事ほか。著書に「18歳の著作権入門」「エンタテインメント法実務」など多数。