岡田利規×山口遥子×関田育子が語る、舞台芸術祭「秋の隕石2025東京」 / 菊川朝子と花形槙の“隕石”対話 (2/3)

菊川朝子(うたうははごころ)と花形槙の“隕石”対話

「秋の隕石」14の上演プログラムには、広く募集された2つの“隕石”もある。1つは菊川朝子が代表を務める“ママさんコーラス演劇”ユニット、うたうははごころと、メディアアートと現代美術の分野で活動するアーティストの花形槙。一見すると正反対の表現活動を行う2つの“隕石”は、どんなやり取りを繰り広げたのか。聞き手を、「秋の隕石2025東京」プロデューサーの1人である半澤裕彦(東京芸術劇場)が務めた。

文 / 熊井玲

「秋の隕石」で“いつもと違ったこと”を

半澤裕彦 「秋の隕石2025東京」で「隕石」を募集しようということになり、でも自分たちにもまだはっきりとわからないものを募集するにはどんな枠組みを考えたらいいのかを考えるところから、この企画は始まりました。結果、演劇なのか音楽なのかわからないうたうははごころと、普段はギャラリーでパフォーマンス活動をされている花形槙さんを採択させていただけたのは、すごく良かったなと思っています。お二人はなぜ応募しようと思われたのでしょうか?

菊川朝子 ある人に「こういう募集があるよ」と聞いたのがきっかけです。うたうははごころではこれまで劇場でやったことがなくて……というのも、常に傍に子どもがいるので、何日間も劇場で公演するということが条件として難しいし、劇場の機構は危険で子どもが安全に動ける場所ではないので、劇場でやることをしばらく考えずにいました。でも「隕石を探しています」という募集のフレーズにピンときて、既存の演劇の形態とは違ったことを劇場でやれる可能性があるのかな?と思ったんです。うたうははごころはよく、「演劇なの? 音楽なの?」と言われることが多いのですが、私個人としては演劇だと思っている部分と「ジャンルなんてなんでもいい」と思っている部分があります。でもそんなジャンルがはっきりしないものを、あえて劇場で見せるのは面白いんじゃないかと思い、応募しました。

うたうははごころ

うたうははごころ

花形槙 僕も最初は「秋の隕石」についてよく知らなくて、でも制作をやっている知り合いに「絶対出したほうがいい」と激推ししてもらったんです。僕はもともと美術やメディアの領域でパフォーマンスをやっていたのですが、ギャラリーでやると視線が分散するというか、観客が撮影したり歩き回ったり、雑然とした中でやることが多くて、それはそれで好きなんですけど、1回、観客が凝視する環境で人間の体から別のものに変異していく状況を劇場で作ってみたいと思っていました。それで今回、応募しました。

半澤 この取材に先がけて、お互いのパフォーマンス映像を観てもらいました。どんな感想をお持ちになりましたか?

花形 いや、マジで感動しました! 公演の記録映像のようなものを観たんですけど、子どもたちがいる中で公演していて、人生讃歌みたいな感じがあってめちゃくちゃ眩しかったし、現在と未来に続いていく人類の物語っていうか、続いていく世界を賛美している真っ直ぐさみたいなものを、母親という存在を介して感じて、タイトルにもある「輪廻」の話につながるなと思いましたね。

最初は会話のフックなんてないんじゃないかと思っていたんですけど、映像を観るうちに共通点というより、僕と全然違う世界観で真っ直ぐにやっている方たちだと感じました。

菊川 (照れながら)そんな、真っ直ぐって言われるなんて思わなかったです(笑)。逆に私は本当にアナログ人間なので、花形さんのパフォーマンスに驚きました。

半澤 菊川さんには、花形さんの“椅子になる”パフォーマンスの映像を観ていただきました。ヘッドマウントディスプレイをつけた出演者が、AIによって“椅子化”された自分の映像を見て、それに合わせて椅子に変容していくという実験の映像です。

菊川 いろいろな種類の椅子になるのはどうしてですか?

花形 うーん、AIが何を考えてそうするのかはよくわからず、「こうしたらこう」みたいなことではないんですけど、「この画像は椅子ですよ」とAIに指示すると、なんでも無理やり椅子に変換しようとするんです。ただやりすぎると、どんな風に動こうと椅子になってしまい人間の身体が入らなくなるので、人間の身体でありながら椅子であるイメージが残るようにしたほうが面白いです。

これは隕石の面談のときにも話したんですけど、手をちょっと動かしただけで、映像上は手が椅子の背もたれになったり、肘掛けになったりする。その感覚が自分の身体感覚に入ってくるのを感じたとき、すごくゾクゾクしたんですよね。僕は赤ちゃんが初めて身体を使うときの感覚を大切に考えていて、成長すると脳と腕の筋肉が同期していることは当たり前にわかるけれど、赤ちゃんって多分、腕の筋肉を動かしてみたら急に手が目の前に現れた、というようなことを日々感じているんじゃないかと思うんです。その感覚を僕もパフォーマンス中0.1秒ごとに感じて、喜びが押し寄せて来ました。

菊川 へえ……(感心の声)。

劇場空間で取り組む、新たな挑戦

半澤 菊川さんは先ほど、うたうははごころの活動を「私個人としては演劇だと思っている部分と『ジャンルなんてなんでもいいじゃん』と思う部分もある」とおっしゃいました。菊川さんは、うたうははごころのどういう点が演劇だと思いますか?

菊川 うたうははごころは“ママさんコーラスをやっている”という体で活動している団体で、歌も楽器も踊りも、表現の道具の1つに過ぎず、すべてを含めて演劇だと思っています。ただ、さっき花形さんがお話しされていた観客との距離については、私には常にお客さんを想定して作品を作っていて、どうやったらお客さんと近づいたり離れたりできるかということを考えているので、結局そこが演劇ということなのかなとも思います。

半澤 そしてそこに、お子さんたちも要素として入ってくるわけですね。

菊川 そうですね、子どもたちも作品の一部というか。例えばこの夏休みの間に私はいろいろ作品のことを進めなきゃいけなかったのに、びっくりするぐらい時間が取れなくて泣きそうになったんですけど(笑)、子どもがいると作品を作っている最中も稽古も本番もずっとそういう状態で、でもそれも含めて面白さになったらいいなと思っていますし、生活すべてが演劇になればいいなと思っています。

半澤 一方で花形さんは、観客も含めた他者との関わり方についてどう考えていますか? たとえば今回の作品は「椅子になりたい」という自分の欲求から生まれている作品なのか、それを他者に観てほしいという気持ちからなのか……。

花形 僕が椅子になりたい、と思う感情は、実はみんなにも内在しているんじゃないかって思っています。もちろん「椅子になりたいですか?」と聞かれたらほとんどの人は「なりたくない」って答えると思うんですけど(笑)、僕は自分が椅子に座ることで制度に巻き込まれた身体になると考えていて。たとえば病院の椅子、学生なら教室の椅子に座った瞬間に、制度の中にモジュールとして配置されるということがあって、そこからどうしたら抜け出せるのか、どうしたらそういう身体をぶち破れるのか!と思っているんです。だから僕自身がまず椅子になって、それが観客にも憑依してしまうぐらいの強度で見せられたら最高だなと思っています。

菊川 それって、椅子側の気持ちになってみたい、ということですか?

花形 そうですね。これはけっこう論理的な飛躍はあるんですけど、椅子を使っていたら椅子のモジュールになっちゃうという制度のシステムに取り込まれてしまうと考えたら、椅子に座れなくなる、みたいなこともあると思うんですよ。だから椅子になることで世界を反転させちゃうというか……そうやって今のシステムではないところにいった副産物として、椅子の気持ちがわかるみたいな感覚が生まれるんじゃないかなという気がします。

花形槙

花形槙

半澤 それを実現するため、今クリエーションの中では椅子と人間が対等になる仕掛けを考えていらっしゃいますよね。

花形 はい。椅子の意見は聞けないので、でもどうやったら椅子の意見を引き出せるかを考えています。それは人間社会でアフォーダンスと呼ばれるものかもしれないけれど、椅子になろうとしたときに見えてくる椅子の存在感、みたいなことかもしれません。ちなみに最近、道を歩いていて看板がビッと立っていたり、人工物が佇んでいる様を見かけると「ああ、コイツらいるな」って感じるようになってきたんですよ。

菊川 (笑)。歩いていたら道にいっぱいあるから、怖いんじゃないですか?

花形 いや、うれしいですね。すごいいい感じで佇んでいたらかわいいし、鎖でつながれていたら奴隷みたいでかわいそうだなって思うし。でも別に擬人化して見ているわけではなくて、それをそのものの存在として認知するというか……新たなチャンネルが作られていく感じがします。

同じ世界にいるのに、あまりに違う

半澤 うたうははごころは今回、「劇場版☆歌え!踊れ!育て!ははごころの庭~子供服は輪廻です~」というタイトルで、初の劇場公演を行います。秋の隕石のWEBサイトには「母/女優の悲哀と現実を歌に乗せる『ママさんコーラス演劇』。劇場が、おさがり服を介した共有空間になる。彼女たちの日常のすべてが演劇になる」とコピーが記されています。

菊川 今回はフェスタが開催されている中で、うたうははごころがライブをやるという内容で、フェスタの一環として工作のワークショップをやっていたり、似顔絵コーナーがあったり、紙芝居をやっている人がいたり、というようなことが舞台上で展開します。その1つにフリーマーケットもあって、お子さんのお下がり服を持ってきていただいたら、お子さん1人のチケット代がわりになり、かつ「そこから好きなおさがり服を持って帰ってくださいね」という感じで、子供服の輪廻を生むということを考えています。

半澤 「輪廻」という言葉はタイトルにも入っている重要なポイントですね。

菊川 それこそ、小さいときの物って本当に全然汚れないままサイズアウトしちゃったり、使えなくなるものがあって、でもそれは別の子だったら使えるものもけっこうあります。最初は自然と稽古場であげたり交換したりしていたのですが、徐々に自分たちの小さいコミュニティの中だけじゃなく、来てくださったお客さんともやり取りしたいなと思っておさがり服の共有を始めました。

半澤 うたうははごころは、子どもに鑑賞してもらうプログラムというより、親子、あるいは子どもを育てている保護者の方に楽しんでほしいという思いが強くベースにあるのだなと、菊川さんのお話を聞いていて感じます。

菊川 そうですね。私がもともとそうしたかったから、ということがあると思います。というのも、うたうははごころのメンバーはもともと演劇をやっていた人たちで、だから自分がやりたい作品もあるし、観に行きたいものもある。でも子どもをどこに預けるのかを考えると親子連れでは難しいことも多くて……。だから「私たちが楽しい」ことを大前提に考えつつ、子どもにとってもその場にいることが苦痛ではないものを考えてきましたし、お子さんがいない大人はもちろん、お子さん連れでも何か楽しみたい、面白いものを観たいと思っている方々にとって、子どもが泣いたり騒いだりしても周囲に「ごめんなさい」と言わなくても大丈夫な、ストレスがない状態で一緒に楽しめる場所を作りたいなと思っています。

半澤 うたうははごころ「劇場版☆歌え!踊れ!育て!ははごころの庭~子供服は輪廻です~」は10月25・26日に東京芸術劇場 シアターウエスト、花形槙さんの「エルゴノミクス胚・プロトセル」は11月1日から3日まで東京芸術劇場 アトリエウエストにて上演されます。

菊川 本番は花形さんも椅子になるんですか?

花形 あ、なります。椅子になるために仲間を集めて……でも誰でもいいというわけでもなくて、入り込めそうな人に声をかけて。

菊川 選ばれし人が出演するんですね。なんか花形さんのお話を聞いていると、全然関係ないけど、好きな食べ物なんだろうと思っちゃう(笑)。

花形 めっちゃいい質問ですね!(笑)

菊川 同じ世界にいるのに、あまりに違うから。

花形 さっき、うたうははごころさんに“続いていく世界”を感じたと言いましたけど、僕は世界が断裂しているような感覚を当たり前に感じていたので、「ああ、世界が続いている!」と思ったんですよね。だから共通点っていうのとは違うんだけれど、「全然違うところで、めっちゃ正直にやってる人たちだなあ」と思って、それがすごく良かったと思っています。公演、楽しみにしてます!

菊川 あははは! 私も楽しみにしています。

プロフィール

菊川朝子(キクカワアサコ)

1980年、鳥取県生まれ。2000年より俳優活動を開始。2001年、演劇ユニットHula-Hooper結成。2004年より自身での作・演出・振付活動もスタート。「部活動の『鱈。』」、二人静などの派生ユニットでの活動や他劇団への客演・脚本提供も行う。2017年にうたうははごころを結成する。2022年より鳥取県在住。

花形槙(ハナガタシン)

1995年、東京都生まれ。パフォーマンス、メディアアート、現代美術などの領域で活動。主な発表に「技術的嵌合地帯-CHIMERIA」(WHITEHOUSE, 東京, 2025)、「MOTアニュアル」(東京都現代美術館, 東京, 2023)、「Taipei Arts Festival」(Taipei Performing Arts Center, 台北, 2023)など。