ナタリー PowerPush - TRF
祝20周年!今明かされる革新的ユニットの歩み
日本人の曲だと思われてなかった
──KOOさんは、小室さんの作り出すTRFのサウンドをどのように感じていましたか?
KOO 最初スタジオで作ってるときは、単純に「M1」「M2」みたいなコード番号で曲がいっぱい並ぶような作業だったんで、どのトラックがどのアーティストの曲かっていうのは割とわからなくて。そのコード番号に途中から「TRF」って付き始めて、「EZ DO DANCE」の流れになっていったと思うんです。その頃にはサウンドが完璧に、1枚目のアルバムでやっていたレイブっぽいテクノサウンドから日本のダンスミュージックに切り替わってましたね。
──というと?
KOO 1枚目のアルバムは当時のディスコミュージックらしいリフがあって、トラックがあって、サビが来るっていう、2 UNLIMITEDとかT99とかUKのトラックメイカーたちのやってたようなことを割とそのまま小室さんがやってたんだけど、「EZ DO DANCE」ではそこに従来のJ-POPのような歌モノの展開の上にサビがあるっていう形式を持ち込んで。かつ、レイブのノリとかサビの盛り上がりをちゃんと残して作っていったのが2枚目のアルバムだと思います。
YU-KI だから1stアルバムは相当実験的なことをしてますよね。サビしかないような曲とか、全編ラップだけの曲とか、あと日本語より英語の歌詞のほうが多いですし。だって「EZ DO DANCE」がヒットしてから、この1stアルバムがジュリアナとかでよくかかってたらしいんですけど、日本人の曲だと思われてなかったみたいですよ(笑)。
──それほど当時のJ-POPシーンにない新しい音だったんですね。
KOO そう。音もそうだし、ボーカルも相当海外のシーンの影響は大きいと思います。当時ヨーロッパのダンス系、テクノ系のボーカリストってすごいハイトーンだったりエッジが強かったりするのが多くて、ああいうシンセの音の中でちゃんとグワンって前に出ていくボーカルが主流だったんですよ。そこにYU-KIの声というのはすごく当てはまってて。小室さんもレコーディングとかミックスの場で、YU-KIの声と歌い方はシンセの音にすごく馴染むし、リズム乗りが日本語でもいけるということを話してました。俺もDJとして聴いていて、同じことをすごく思ってましたね。
──YU-KIさんのボーカリストとしての素質は小室さんもKOOさんも高く評価していたと。
KOO はい。彼女の歌っていうのはTRFが今まで続いているすごく大きな要因だと思いますね。
TRFのボーカルとしてやっていくんだって決意した
──デビュー2年目からは「survival dAnce ~no no cry more~」「BOY MEETS GIRL」「CRAZY GONNA CRAZY」など数々のミリオンヒットを飛ばしていきます。この時期のユニット内の状態も聞かせてください。
KOO 忙しいは忙しいけど、やっぱりとにかくレコーディングをどんどんやってた……っていう記憶があるよな。
YU-KI うん。この2人はスタジオワークがものすごい多かった。3カ月連続シングルリリースなんて私たちもスタッフも誰もやったことがなかったので。エンジニアと2人だけで歌を録ってたとか、そういうスタジオでの光景が浮かびますね、その頃は。
──それまでコアなダンスミュージックを展開していたのに対して、いきなり派手なJ-POPシーンの真ん中に躍り出たことに戸惑いなどはなかったんでしょうか。
YU-KI うーん……すごい驚いてたと思うんですけど、私の場合はまだこっちにそんなに友達がいないっていうのもあったし、なんかあまり実感がなかったっていう気がして。雑誌の取材なんかで「最近YU-KIさんの影響でショートヘアの女の子が増えました」みたいなことを聞いて、うれしいけどビックリすることばっかりでした。「私でいいのかな」くらいに思ってました。
──そうなんですね。
YU-KI ただ、私はボーカルでずっとやっていくんだなっていう気持ちはこのときもうありました。先程お話したようにメンバーが決まってないときもあったけど、私はTRFのボーカルとしてやっていくんだって決意したというか。
──なるほど。また、テレビにもバンバン出ていたわけですが、お茶の間層にとっては“メンバーにDJがいる”というだけで珍しいことだったんじゃないでしょうか。
KOO そうですね。DJって、クラブで曲を選曲して2、30分なり1時間っていうパートでその音楽性を見せるみたいな仕事でしょう。なのに1曲だけやってDJのそういう部分を見せるっていうのはちょっとできるもんじゃなかった。だからホント最初は何やってる人なんだろうなって自分でもすごく思ってたし、見え方的にも多分そうだったと思う。
YU-KI 本当ですよね。うふふ(笑)。
KOO だから曲を見せるっていう部分はちょっと難しかったかな。元々自分が現場のDJだったし、邦楽は聴かないから日本で何が流行ってるかとか全然気にしてなかったんで。それでテレビに出るとか、ライブをやるとか、どうやってやるんだろうっていう気持ちはすごくありましたよね。そのやり方をちゃんと話してやってたかどうかも定かでないし。
今のTRFにつながるセルフプロデュース期間
──1998年には、TKプロデュースから離れるというターニングポイントがありましたね。
KOO セルフプロデュースを始めたのは、ちょうどこのベストアルバムのDISC 2の途中くらいからですね。
──TRFは小室さんが作ったユニットですし、商業的にも成功を収めたタッグが離れるのはやはり大きな決断だっただろうと思うのですが、その裏には一体何があったのでしょうか?
KOO 小室さんのプロデュースでも、1996年あたりからTRFの音はすごく変わってきてるんですよ。僕は今考えると……もしかして小室さんも迷った部分があるんじゃないのかなって。
──小室さん自身が迷った?
KOO 僕が思うにですけどね。TRFを生んだ人だからこそ、先行きも考えてTRFと少し距離を置こうっていう思いもあったような気はするな。その一方でうちらは活動をしていきたいので、セルフプロデュースという形になりました。ただ、あれだけ小室さんと一緒にヒットを作ってきて、彼とじゃない形で活動するっていうのは果たしてTRFになるんだろうかって気持ちもありましたよ。でも、結局YU-KIが歌うとTRFになるんだなってわかったんですよね。というのも、この時期はバラードがあったりミディアムがあったり、試験的にいろんな曲をやったんですよ。このベストアルバムで言うとDISC 2の後半ですけど、ここは結構聴き応えがあるし、今のTRFにつながるすごい大切なパートだと思います。
──小室さんプロデュースの曲とそれ以外の曲では、テクニック的にも精神的にも違う面がありますか?
YU-KI やっぱり全然違いますね。例えば、初めてキー合わせっていうものをやり出したんです。周りには驚かれるんですけど……。
──小室さんのときはなかった?
YU-KI 小室さんの曲は決め打ちでキー合わせはないです。
──それはすごい。
YU-KI ものすごく高いときもあるんだけど、その曲の一番おいしいキーっていうのが彼はわかってらっしゃるので。私としてはもうヒーっていう感じでしたよ。でも何もわからない素人だったんで、訊ける先輩方もいないですし。で、キー合わせを始めたからこそ、出しづらい感じのメロとか、ここは低すぎるなとか、自分に合うキーっていうのがよりわかるようになったんです。あと歌詞も「こういうことを歌いたい」っていうアイデアをこの頃からよく渡すようになりました。
- 4カ月連続リリース第1弾 ベストアルバム「TRF 20TH Anniversary COMPLETE SINGLE BEST」 / 2012年11月21日発売 / avex trax
- ベストアルバム「TRF 20TH Anniversary COMPLETE SINGLE BEST」CD+DVD盤[CD3枚組+DVD] 3000円 AVCD-38635~7/B
- ベストアルバム「TRF 20TH Anniversary COMPLETE SINGLE BEST」CD盤[CD3枚組] 2500円 AVCD-38638~40
- 4カ月連続リリース第2弾 トリビュートアルバム「TRF リスペクトアイドルトリビュート」2012年12月19日発売 avex trax
- トリビュートアルバム「TRF リスペクトアイドルトリビュート」CD+DVD盤[CD+DVD] 2940円 AVCD-38660/B
- トリビュートアルバム「TRF リスペクトアイドルトリビュート」CD盤[CD] 2310円 AVCD-38661
収録曲
- BOY MEETS GIRL / IRF
- EZ DO DANCE / アイドリング!!!
- 寒い夜だから… / Dream5
- Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~ / 東京女子流
- survival dAnce ~no no cry more~ / BiS
- Love & Peace Forever / iDOL Street(SUPER☆GiRLS、Cheeky Parade、ストリート生)
- BOY MEETS GIRL -DJ KOO PARTY MIX-
DVD収録内容
- IRF~BOY MEETSしたいGIRLS達~
TRF(てぃーあーるえふ)
YU-KI(Vo)、DJ KOO(DJ、サウンドクリエイター)、SAM(ダンサー)、CHIHARU(ダンサー)、ETSU(ダンサー)の5人からなる音楽ユニット。1993年に小室哲哉のプロデュースにより、trf名義でシングル「GOING 2 DANCE」、アルバム「trf ~THIS IS THE TRUTH~」にてデビューを果たす。90年代中盤には「survival dAnce ~no no cry more~」「BOY MEETS GIRL」「CRAZY GONNA CRAZY」「Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~」など、数々のミリオンヒットを生み出す。1996年からユニット名を現在のTRFに変更。また1998年より小室プロデュースを離れ、独自のスタンスで活動。各メンバーはソロ活動や、他アーティストの振り付けなども行っている。2012年11月にはベストアルバム「TRF 20TH Anniversary COMPLETE SINGLE BEST」をリリース。これを皮切りに4カ月連続リリース企画をスタートさせ、2013年2月にデビュー20周年を迎える。
2013年2月25日更新