半年におよんだ「one stroke」のレコーディング
──「one stroke」ではアレンジャーとして初めて蔦屋好位置さんとタッグを組まれています。もともと交友関係があったんでしょうか?
そうなんです。もう5年以上前から一緒に食事をしたりする関係ではあって、「一緒になんかやりたいね」という話をしていたんですが、今回初めてお仕事でご一緒させてもらったんです。コミュニケーションやイメージの共有もすごくスムーズにさせてもらったし、楽しくレコーディングをやらせていただきました。
──レコーディングは具体的にどのような感じで進んでいったのでしょう?
今回はちょっと変わったレコーディングの仕方をしていて。去年の10月くらいにバンドのオケは録っていたんですよ。で、同じく10月に自分のアコギと歌も仮で録っていて。なぜ仮かというと、去年の12月から行った「高橋優 LIVE TOUR 2019-2020『free style stroke』」というツアーで「one stroke」を完成させたい、ツアーをしながら歌詞を書き換えていきたいという話になって。このツアーの中で、未発表曲ということで「one stroke」をずっと歌っていたんです。約半年近く回るツアーだし、旅をしたあとの音を録ろうと。だから「one stroke」のレコーディング期間は半年近くにおよんだんですよ。蔦屋さんはツアーを見に来てくれて、「いい感じに成長していってるね」と連絡をくれました。
──特殊なレコーディングですね。
特殊ですよね。なかなかそういうことはないし、未発表曲をみんなの前で歌うのも初めてだったし。コロナの影響でツアーは途中で終わってしまったけれど、その思いも曲に込めることができた。そのときだったからこそ生まれてきた言葉もあった。最終的なレコーディングをしたのは5、6月くらいでした。
──なるほど。「one stroke」のMVは、中止になってしまった公演に対しての思いも感じられる内容で。全カ所ツアーが回れなかったのはやはり悔しいですか?
もうめっちゃめちゃ悔しかったですね。本当に。今もそれは根に持ち続けています。正しく寂しがる、正しく悲しむというか。持っていていい悲しみだと思っているので。
──MVでは高橋さんが空を飛ぶというのもインパクトのある演出でした。これはグリーンバックで撮影したのでしょうか?
そうです。ワイヤーアクションでした。あとあと大変でしたね。筋肉痛になってしまって。腰しか吊るされてないので、何もしないとだらーんとした状態になってしまうんですよ。撮影中は背筋を使って体をピンとまっすぐにして、カットがかかった瞬間にまただらーんとなって。
──大変そうですね。またMVには“虹”や“靴紐”など、これまで高橋さんが発表された楽曲を連想させるようなものも登場しますね。
僕と箭内さんで話して決めたんですけど、さらにスタッフもいろいろと盛り込んでくれたらしくて。「誰がために鐘は鳴る」(2012年3月リリースの2ndアルバム「この声」収録曲)のMVは僕が渋谷の交差点を歩きながら歌う内容なんですけど、それをオマージュさせるシーンがあったりとか。そういうのが随所に盛り込まれています。僕が気付いているのも何カ所かあるんですけど、細かいのでもっとあるらしくて。隠れミッキーみたいですね。
歌っていることは間違いないと思っていた
──そう思うと10年間を振り返るような内容にもなっていますね。高橋さんは10年前に今のキャリアや状況になっていることは想像できていましたか?
うーん。特に考えていなかったですね。ただ、歌っていることは間違いないだろうと思っていて。だから10年前にやろうと思っていたことは今もやれている。そしてそれは10年前もやっていた。やりたいことはもっと増えて、欲が出てきているんだけど、まだ振り返るという感覚はないんです。思いのほか10年前と今とで変わっていなくて。周囲の人が何かを成し遂げた人のように褒め讃えてくださるのはうれしいんですけど、自分では褒め讃えるほどまだ何かを成し遂げたと思っていないというか。素晴らしいミュージシャンの方と肩を並べるためには、自分はまだまだいろんなことを勉強しないといけないと思っています。
──高橋さんには日本武道館やアリーナでワンマン公演をされた実績などもあります。素晴らしいミュージシャンの方と肩を並べるためには何が足りていないと思いますか?
動員数や売上枚数でその人の魅力を推し量る考え方はあると思うんですけど、お客さん1人ひとりの感動は数値化できないと思うんです。アリーナで演奏したときは、お客さんと距離が遠くて難しいなと思いました。大きい会場で演奏できるのはもちろんうれしいんですけど、僕の中での最高のライブの形は、僕の部屋に呼んで「こんな曲ができたんだ」と言って目の前で歌うことなので。それがきっと一番ドキドキする。その人は自分に歌われているという実感があるし、僕もその人に向けて歌っているという実感がある。すべてがライブとして整った状態だと思うんですね。これまでのライブで、聴いてくださっている方をそういう気持ちにすることができたのかと問われれば、できたような気もするけど、まだまだ全然できてないような気もするんですよね。
──ありがとうございます。高橋さんのライブやファンの方に対する真摯な気持ちが伝わってきました。この10年間、ひと言では言い表せられないと思いますが、あっという間でしたか?
あっという間ではなかったですね。1日1日が濃密で、長く感じるような期間もあったし。過ぎてしまうとあっという間だったと言ってしまいそうになりますが、そうは言えない自分がいます。「あのときのあの人の涙も見たしな」「あのとき自分は腹抱えて笑ったしな」とか1つひとつの思い出を掬い上げていくと、どの日も濃い味の1日しかなかった気がしていて。
──10年後の自分はどうなっている、またどうなっていたいと思いますか?
できることが増えていたらいいなと思います。同時に自分のスタンスを変えないでいたいなとも思いますね。転がっていっている感じというか、次に何をしでかすかわからないキャラクターであることとか。
──冒頭でおっしゃっていた“原点”の気持ちを失わずに。
そうですね。自分がワクワクしないと相手をワクワクさせることができないと思っているので、ワクワクすることにだけは貪欲でいたい。もっとまだまだ開けてないおもちゃ箱があると思うから、その手触りを自分で確かめて「やっベー」とびっくりしたり、ショックを受けて悲しんだり。その都度経験して、それを曲にしていきたい。デビュー20周年くらいだったらまだそれをやっていてもいいんじゃないかなと。おじいちゃんになったら悟ったような顔をしてしゃべる日が来てもいいのかなとは思うんですけど。このご時世だったら40、50代になっても体のパフォーマンスもそんなに落ちない気がしているので。まだまだいろんなものを吸収しながら転がり続けたいです。