「下北沢にて'19」特集THEラブ人間インタビュー|ばらの坂道を駆け抜けた10年とこれから

10年続いた秘訣

富田 あ、1個聞きたかったんですけど、「下にて」は1回目を成功させて、すぐに「来年もまたやろう」という話になったんですか? そもそも毎年やろうと決めて始めたものだったんですか?

金田 いや、毎年やるものだとは思ってなかったね。ただ単にツアーファイナルを3会場でやったというだけだったし。来年とかじゃなくて、「次いつやろうかな」という感じで。

富田 なんか最初は「やぐらを建てたい」と言って始めたんですよね?

金田 ツネと俺がTHEラブ人間を始める前に下北で面白いことできないかな、やぐらを立てたいなって話したのがきっかけ。それは前にナタリーのインタビューでも話してる(参照:THEラブ人間決起集会「下北沢にて'14」特集)。話はちょっと戻るけど、もともと「僕の愛した女たち」という自主企画を定期的にやっていて、その第5回を2010年に東京・新宿MARZでやったの。その日をツアー初日として、ファイナルが「下にて」の第1回。その一連のライブは俺の中ではいいワークだったんだよね。

富田 2回目をやろうという話はいつ頃持ち上がったんですか?

金田 俺は同じことを繰り返したくない期だったから、ツネがやりたいと言ったときに「やらなくていいよ」って言ったの。でもそこでツネが「休まずに続けることが大事」って俺を説得したのが10年続いた秘訣だったんだろうね。

苦悩の2013年

2011年のTHEラブ人間。

谷崎 2011年は初めてフェスにも出たよね。

金田 そうだね。そして自分たちも「下にて」の規模を拡大して5会場で開催した。

富田 翌年の2012年はどうだったんですか?

金田 2012年は3月11日に渋谷CLUB QUATTROでワンマンライブを開催して、5月に1stアルバム「恋に似ている」をリリースした。

2012年のTHEラブ人間。

谷崎 いろいろあってアルバムの発売が延期になって、謎のタイミングでのワンマンになっちゃった日。

金田 そうそう。この年もフェスにたくさん出させてもらったね。(おかもと)えみ、(服部)ケンジもまだバンドにいた頃……このあたりはTHEラブ人間にとって青春みたいな時代だったなと思う。年末に2ndシングル「アンカーソング」を出した。そしてこの頃からメンバー同士の仲がめちゃくちゃ悪くなる。

富田 えー。

金田 体制がいろいろ変わったこともあって、みんな意見がぶつかってたんだよね。当時はもうディレクターの渡邊さんとも心が通じなくなっちゃってたし。俺がやりたいことと渡邊さんが提案してくれることにズレが出てきちゃったんだよね。

ツネ ビクター内でレーベル移籍もして、0からチームの信頼関係を築いていくのが難しかったのもあるね。

2012年のTHEラブ人間。

富田 いろんな事情が絡んだんですね。

金田 俺は移籍先のSPEEDSTAR RECORDSのチームには「いい音楽を作ってなんぼだよ」という心意気があったから大好きで。でもメンバーとの意見の食い違いはいろいろあったし、ディレクターともうまくいかないし……皮肉にもそんな中でできたアルバム「SONGS」はとてつもなくいいアルバムになった。

谷崎 まあつらかったよね。とにかく空気が悪くて。

2013年のTHEラブ人間。

金田 そうだね。つらい時期だった。「SONGS」をリリースして、eastern youthと対バンしたツアーがメジャー期の最後。それ以降は自分たちだけでバンドを動かすようになって、自然とメンバー間の仲も回復してきて。そこでえみが辞めるって言い始めてさ。12月23日のワンマンライブで、えみは卒業。ラストワンマンの前にはツアー形式の「下にて」をやったよね。

ツネ だってさ、レーベルも事務所も辞めてどうしようっていうときにえみが辞めるって言い始めたからもう全然「下にて」どころじゃなくって。えみが辞めることになって、「THEラブ人間、これからどうする?」って話に初めてなった。

金田 それまでは誰かが脱退するときには基本的に新しいメンバーを入れるビジョンがあったから。でもさ、えみはきっと俺らの仲が回復するまで待ってくれたんだよ。「SONGS」を作った時期はすごく仲が悪かった代わりに、俺らは音楽で語り合えたと思う。そのあとに出したライブ会場限定盤「彼氏と彼女の24時」は、そうやってリスペクトし合えた関係で作れたいい作品になったしね。