「下北沢にて'19」 PR

「下北沢にて'19」特集THEラブ人間インタビュー|ばらの坂道を駆け抜けた10年とこれから

THEラブ人間主催のサーキットイベント「下北沢にて'19」が、12月7、8日に東京・下北沢エリアで開催される。今年で10回目を数える「下北沢にて」は、THEラブ人間の歴史と共に回数を重ねてきた手作り感あふれるサーキットイベント。音楽ナタリーでは、THEラブ人間の結成からこれまでと「下北沢にて」の歴史を振り返るべく、2017年に加入した富田貴之(Dr)に聞き手になってもらい、オリジナルメンバーの金田康平(歌手)、ツネ・モリサワ(Key)、谷崎航大(Violin)にバンドの10年を振り返ってもらった。メンバーの加入や脱退、メジャーレーベルからの離脱など紆余曲折あった彼らのこれまでと、「下北沢にて」の魅力をたっぷりと楽しめるロングインタビューをじっくりと味わってほしい。

取材・文 / 清本千尋 撮影 / 曽我美芽(過去のアーティスト写真を除く)

THEラブ人間結成時の東京インディーズシーン

──今回は年明けに12年目に突入するTHEラブ人間の歴史を振り返りつつ、今年で10回目の開催となる主催イベント「下北沢にて」についてを伺えればと思っております。まずはバンド結成当時の2009年のことを聞かせてください。

2009年のTHEラブ人間。

ツネ・モリサワ(Key) 2000年代の下北沢の音楽といえばやっぱりハイラインレコーズ(1997年5月から2008年7月まで下北沢にあったCDショップ)の名前が挙がると思うけれど、俺らはその恩恵をギリギリ受けてない世代だよね。

金田康平(歌手) 俺が高校の頃は、当時人気だったインディーズバンドの音源はそこに集まってた。BUMP OF CHICKEN、ART-SCHOOL、syrup16g……そのあとBase Ball BearとかASIAN KUNG-FU GENERATION。でも俺らの音源は一度も置かれないままにハイラインレコーズはなくなってしまった。

ツネ 俺はTHEラブ人間を始める前は、ハイラインレコーズの隣のCAVE-BE(2017年3月に閉店した下北沢のライブハウス。現在は下北沢近松)で働いてたから、ハイラインレコーズにインストアライブで来たバンドのライブをちょっと観たりもしてたな。

金田 ハイラインはチャートがなかったけれど、diskunionがインディーズバンドのチャートを始めたんだよね。でもあのチャートに俺らは1st EP「恋街のすたるじい」しか入らなかった。次に出した「大人と子供 -17才と22才-」は、オワリカラとSEBASTIAN Xとマヒルノとリリース日がかぶって入らなかったんだよね。悔しかったから超覚えてる。俺らが活動を始めた頃は「TOKYO NEW WAVE」勢を中心に東京のインディーズシーンが盛り上がってたよね。

富田貴之(Dr) トーキョーニューウェーブ?

谷崎航大(Violin) 当時関西にいたトミーはわからないよね。

金田 ハイラインレコーズがなくなってからの東京のインディーズシーンでは、個人イベンターが幅を利かせていたんだよ。「TOKYO NEW WAVE」はオワリカラの(タカハシ)ヒョウリたちが中心になって始めたプロジェクトで、オワリカラはもちろん、SEBASTIAN X、SuiseiNoboAz、太平洋不知火楽団とか、そのあたりがみんなでライブをやったりコンピレーションアルバムを出したり。あの盛り上がりはものすごくて勝てないなと思ったし、当時は交わることもないと思ってた。今では仲良くなったけどね。

THEラブ人間

ツネ 当時は下北沢よりも新宿が東京のインディーズシーンの中心だった。とにかく新宿のMARZ、Marble、motionの3つのライブハウスがすごかったね。

谷崎 下北沢のイベントでいうと「Beat Happening!」と「wild gun crazy」が流行っていたかな。

金田 うん。でも俺らの曲はどのコンピにも入らなかった。イベントに出させてもらう機会はあったけれど、コンピに入るほど回数を重ねることはなかったんだよね。どれも個人が作っているから、けっこうジャンルが偏っていて。でも俺は入れなくてもよかったと思っていて。俺らはライブ力だけでジャンルの垣根を飛び越えて、「うちのイベントとはジャンルは違うけれど、いいライブをしてくれるだろうから」って出してもらえてたんだよね。

谷崎 俺ら、イベントもそうだけど、ホームは作らず、都内だけでもいろんなライブハウスに出演していたよね。

ツネ そうだね。思い返してみれば、イベンターもそうだけど、当時はキャラが強いライブハウスのスタッフが多かったよね。

金田 なんか「この人に付いていきてー!」って感じの人が多かった。

富田 そうやっていろんなイベントに出て、そこでできた人脈で「下北沢にて」の礎を築いた感じなんですか?

金田 そうだね。バンドを始めて1年で対バンした人たちの中から好きな人を呼んで2010年に始めたのが最初の「下北沢にて」だった。だからすごく「下にて」って闇鍋感があるんだよね。俺らがいろんなところに出向いて知り合ったバンドたちを引っ張ってきて1つに集めたから。

震災の年に迎えたメジャーデビュー

金田 そんな感じで俺らは走り出して、2011年にメジャーデビューが決まって。結成して1年2カ月という早い段階でサニーデイ・サービスとかも担当するディレクターの渡邊(文武)さんと知り合ったのが大きかったと思う。

2010年のTHEラブ人間。

富田 なんでディレクターを入れたんですか?

金田 渡邊さんは俺の超憧れの人だったのよ。自分の好きなCDのディレクションはだいたい渡邊さんだったの。そんな人が俺らのディレクションをしたいと言うもんだから、そのチャンスは逃せないと思ったね。ツネは最初渡邊さんのこと相当疑ってたよね(笑)。

ツネ だってさ、3月の客入りもまばらなライブでTシャツにジーパンのスタイルで最前列で踊り狂ってるんだもん。変な人だと思うよ(笑)。

谷崎 それでさ、「一緒にやろう!」「絶対に大丈夫だから!」って言われて……。

富田 怪しい大人が言うセリフのツートップみたいな発言ですね(笑)。

2011年のTHEラブ人間。

金田 渡邊さんは最初からとにかく事務所とレーベルを探そうと言ってくれて、そこからトントン拍子でもろもろ決まっていったんだけど、2011年は東日本大震災もあってデビュータイミングがずれて。本当は2011年3月に初の全国流通盤をゲリラリリースする予定だったから。GOINT STEADYが「若者たち / 夜王子と月の姫」(2002年12月発売)をゲリラリリースしていたのに憧れて。当時はインディーズ好きはみんなCD屋に行ってたから、自分の好きなバンドの店着日に行ったときに「THEラブ人間の新譜? なんであるの?」と話題になったらいいなと思ってたの。用意してたシングルは「砂男 / 東京」で500円。ゲリラリリースに、当時はあまりなかったワンコインシングルという価格設定……いろんなワガママを水面下で進めていたから震災が起きたときは焦ったよね。震災の日、みんなで三茶のスタジオファミリアから取り扱い店舗に片っ端から電話をかけた。

ツネ あれは大変だったなあ。

金田 震災が起きた日は、スタジオファミリアを開放して帰れない人が集まっててさ、俺はそこで生音でライブをして。で、シングルの発売が5月に延期になって、新宿のタワーレコードでやったインストアイベントでメジャーデビューを発表。その3カ月後にFlyingStar Recordsからデビューした。

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10年続いた秘訣