椎名林檎×児玉裕一|映像でたどる21年間、執念の歴史

椎名林檎が映像集「性的ヒーリング ~其ノ伍~七~」と「The Sexual Healing Total Orgasm Experience」を12月11日にリリースした。

「性的ヒーリング ~其ノ伍~七~」はアルバム「日出処」の楽曲から、最新曲「公然の秘密」および「浪漫と算盤」までが初収録されたミュージックビデオ集。一方の「The Sexual Healing Total Orgasm Experience」はミュージックビデオ集「性的ヒーリング」シリーズ全作品を収録し、さらに数々のPlay Extra Time(延長サービス映像)を追加した、まさに椎名林檎ミュージックビデオ大全と言える作品だ。

今回、音楽ナタリーでは、椎名本人と、近年多くの椎名作品を監督している映像作家・児玉裕一の対談を掲載。さまざまなエピソードを交えながら、表現に向き合う両者の美学と哲学が大いに語られる機会となった。ぜひとも数々の映像と共に楽しんでほしい。

取材・文 / 内田正樹

ミュージックビデオはアトラクションみたいなもの

──児玉監督は「性的ヒーリング ~其ノ伍~七~」のほとんどの作品を監督されています。監督が最初に撮影した椎名さんのミュージックビデオは2008年の「メロウ」でした。撮影までの基本的な流れとしては、できあがったばかりの曲についてスタッフ間でディスカッションして、それを元に監督がなんらかのアイデアやコンテを出して、オッケーなら撮影に臨む……という認識で合っていますか?

椎名林檎 そうですね。基本的には監督に“お任せします”というスタンスです。すでにこれだけ実績を作り続けてくれており、信頼していますし、音を拾ってもらえたらそもそも十分です。「人生は夢だらけ」は、見事に音を拡張してもらえました。

児玉裕一 「IT WAS YOU」は「演奏家を撮ってほしいから演奏シーンがいい」というリクエストをもらった覚えが。

椎名 そうでしたね。ただ、私の曲には、おそらくジェンダーの差異で、男の方にピンと来ていただけない機微を描いた曲があるように思います。そうした際に児玉監督が通訳してくれます。男性に不可解そうな詞世界もデフォルメしてほしい。こちらにそういう自覚がある場合は言葉を尽くしています。「長く短い祭」のときなどは、黙っていられなくて、最終的にかなり核心まで具体的にお話ししました。

児玉 「今日はすごく化粧のノリもよくて、体調もばっちりで、今日が人生で一番輝いていると思える日に、なんで恋人は私を見てないのか。もう絶望を通り越して……」みたいな話を椎名さんからされた覚えがあります。「なるほど」と思って、自分の中でキャラクターを膨らませることで、あのストーリーができあがりました。

椎名 せっかくの映像なので、曲単体では素通りできてしまう箇所にも、より肉薄してもらいたい。作品によってはかなり口を出してしまいますね。「長く短い祭」「神様、仏様」はいろいろ申し上げましたかしら。ご覧くださる方へ“身に覚えのある場面”として突きつける表現をしてほしかったりして。「思い入れたっぷりに書いたのでぜひに」と。ほかには、「獣ゆく細道」「目抜き通り」は、コンテ段階で並々ならぬプレッシャーをかけてしまったと思います。

児玉 まあケースバイケースですね。

椎名 監督は監督で物理的な制約があるから、何をどのような状況で構えて撮るのかというアプローチから入るようです。でも、こちらは「この曲については絶対に何も間違えられない」と気負っているから「なんでその順番から発想するの?」と、監督の原理的な部分を疑ってしてしまう(笑)。それで、「お客さんに『宮本浩次って、こんなに男前だったの?』と感じていただければそれで成功だから!」とか「(トータス)松本さんの鯔背さが伝わって、痺れていただければいい。それだけは外さないで!」と大騒ぎしてしまって(笑)。

児玉 僕がまずレールから考えるからなんです。ジェットコースターのようなレールを敷いて、「一旦下がって、ここでいちばん盛り上げよう」というように、観たときの感情の起伏を設計していく。

椎名 シーケンスをね。

児玉 そう。僕はMVってアトラクションみたいなものだと思っていて。音楽を体感するモニタを使った装置ですね。1周して戻ったら、「楽しかった。もう1周乗りたいな」と思ってもらえるものを目指しています。

椎名 アトラクションのような時間をお客さんにご用意したいという考え方自体は、私もまったく一緒です。曲が始まるときにバタンと入った建物の中が、途中でアクロバティックに転調したとしても、そこがスロープになっているのか引率する旋律によって、いつの間にかまた視界を変え、別の気分に誘っていくという作り方です。時間を使って、お客さんの空間に幻覚をもたらしたい。ただ原作者としては、音だけの作品が可視化されるだけで、よくも悪くもとりあえず驚きますよね。

──まあ大抵の場合は新曲のリリースとほぼ同時に解禁するわけですから、すべてが急ピッチですものね。

椎名 私が曲を早く仕上げてお渡しできていれば。ギリギリですみません……。

児玉 そんな(笑)。でも、結局はすべてが想定通りにいくわけじゃないし、むしろ想定以上になる場合もあるし、もちろん僕だけが苦労しているわけでもない。どの作品も、撮影部照明部とか、仕上げるスタッフとか、そして相棒のプロデューサーとか、レーベルの皆さんとのバッチバチのやり取りから生まれています。このディスクには、そうした皆さんと僕らが削った寿命も詰まっている(笑)。

椎名 もう、毎回、みんなして命を前借りしていますよね(笑)。

暴走した「鶏と蛇と豚」

──最新アルバム「三毒史」の収録曲でいうと、直近のビデオは「鶏と蛇と豚」でしたが、何かエピソードはありましたか?

児玉 まあなんとか着地しましたけど、あれはもう監督として暴走してしまいましたね。

──確かに何から何までがCGやビジュアルエフェクトなのか考える気も起こらなくなるほど壮大な映像でした。

椎名 曲を聴いた監督からすぐに、「とにかく巨大なもので東京の街を覆いたい」という話があって。書き手冥利に尽きるアイデアだったので、「絶対実現してください。協力する」と返して。もっともこの曲自体は我々の産声を表現しているだけですし、なんでもかんでもスケール感さえ大きければいいと考えてはおりませんよ。

児玉 うん。そういうことではないよね。

──そうですね。肝心要はアイデアとセンスでしょうし。

椎名 あ、ちなみにアルバムからどの曲をシングルカットし、ビデオ制作するかも、事変作品を含め、昔から児玉監督が決めているんですよ。

──そうだったんですか!?

椎名 ええ。ですから「え、その曲!?」と驚くときもあって。

児玉 椎名さんから「三毒史」というタイトルを聴いたとき、僕はまずそのテーマそのものに感動したんです。そういうものが今の日常や東京にあふれているように、たぶん、椎名さんの目には見えているのだなと、ハッとさせられて。だったら、それをちゃんと可視化することが、今回の僕の使命だと思った。そのうえで、「鶏と蛇と豚」は、曲自体のMVでもありながら、アルバム全体が詰まっているようなビデオにしようと決めて。それで、かなり気張ってしまった。

椎名 私が「鶏と蛇と豚」で描いたのは、「赤ちゃんが産まれた」というだけの模様でした。誰もが三毒にまみれているというおそろいの条件で生まれてくる。映像でAYAがさまざまに動くのを見て、産まれてから2年ぐらい続く、子供の夜泣きが思い出されました。3種のAYAの存在が赤ちゃんの声であり、母親が「ああ、今、昼? 夜? ここ、誰? 私、どこ?」という混沌に陥っていくときの幻覚ですね。

児玉 椎名林檎のビデオは、いつの時代でも一発かますものであってほしいと思っているんですよ。まあ椎名さん自体は直接手を下さずに、出番は3カットしかなかったんですが。

椎名 不謹慎でしたよね、私の現場での在り方が。お菓子食べてて(笑)。

──(笑)。

児玉 椎名さんのMVにおいては、2、3個ぐらい企画が思い浮かんで、それを「えいっ」とまとめて1個にすると今まで見たこともない感じになるというパターンがよくありますね。だから逆に言えば、予算と時間さえ許せば、1曲について3通りのビデオを撮ることもできる。1曲に対してビデオが1つじゃなきゃいけないというルールはないので、何種類かあっても面白いかもしれない。

椎名 そうですよね。「長く短い祭」のときもそうだった。3つぐらい企画コンテを描いてくれて。それを見たときに「全部乗せって無理なの? チラッ(と児玉を見る)」と、焚き付けてしまいました。

児玉 「神様、仏様」もそうだった。東京タワーで何かというアイデアと、妖怪で何かというアイデアを全部まとめてね。

椎名 ええ。以前に音楽ナタリーでもお話ししましたけど、「一番怖いのは人間様よ」という。100年前にも100年先にも存在するはずの、人間の業のようなものを描きたかった。強調してもらえないか、相談しました。

児玉 そういった歌詞から感じる気分と、曲の雰囲気から感じる映像と、パッと頭に思い浮かぶ映像というのがまたそれぞれちょっとずつ違うので、そこの間でもいつも悩みますね。僕は曲を聴くと、最初はカメラワークを想像するところからスタートします。ここはゆっくりカメラが進んでいるなとか、ここでゆっくり横移動だなとか、ここは俯瞰だなとか。視覚の箱がいっぱい並んだ状態のところに、じゃあこの箱とあの箱にはどういうストーリーを入れたら面白くなるのかな、という考え方です。よく、歌詞の横に、箱みたいなコンテのボックスを並べたビデオの構造図みたいなものを書いているよね?

椎名 そうそう。音に合わせて絵が切り替わるタイミングがわかる。監督は、長回しをしておいて「あとからどこで切ってどう使ってもいいや」というふうには撮っていない。決め打ち、狙い撃ち。素材も市場で決まった分しか買ってこない。「その大根、先っぽのとこしかいりません」という感じで。つまり、その日たまたまその素材が市場になかったらそれまでという。

児玉 だから取りこぼすと完成しない(笑)。

椎名 それでまたケンカになったりしてね(笑)。「ヒカルちゃんなんて、何をしていてもカッコいいんだから、もっといっぱい撮っといてよ!」みたいな話になっちゃって。

児玉 そうなんですよ(笑)。