音楽ナタリー Power Push - 「SATANIC CARNIVAL'15」開催記念インタビュー 世代を超えて集える空間

松本健太(WANIMA)、横山健、キヨサク(MONGOL800)

6月20日に千葉・幕張メッセ 国際展示場9-11ホールで、PIZZA OF DEATH RECORDS主催のライブイベント「SATANIC CARNIVAL'15」が開催される。音楽ナタリーでは昨年に続き、今年も出演アーティストを迎えた特集を展開。横山健、キヨサク(MONGOL800)、松本健太(WANIMA)の3名に登場してもらい、それぞれが出会った際のエピソードや互いの音楽観、そして「SATANIC CARNIVAL」への思いを語ってもらった。

取材・文 / 小野島大 撮影 / 西槇太一

パンクに影響を受けた3世代

──今、横山さんが45歳でキヨサクさんが34歳。松本さんはおいくつですか?

左から松本健太(WANIMA)、横山健、キヨサク(MONGOL800)。

松本健太(WANIMA) 僕は今27歳です。

──見事に3世代ですね。

キヨサク(MONGOL800) 普通にハイスタ(Hi-STANDARD)をコピーしてましたから。モンパチのバックボーンはたぶん、ハイスタとTHE BLUE HEARTSじゃないかな。その2つのバンドを主にコピーしていたから。

松本 僕はハイスタもモンパチもずーっと聴いてました。もろに世代です。「AIR JAM」はまだ自分が小さかったので生では観れてないですけど、映像でずっと観てました。モンパチのコピーも中学高校の文化祭でやってました。

──松本さんの年齢くらいだと、周りのバンドもみんなハイスタやモンパチあたりをコピーしてたんじゃないですか?

松本 本当に周りはみんなハイスタとモンパチばっかでした。対バンでも曲がかぶるくらい(笑)。

キヨサク 俺らのときもありましたよ。ハイスタやったら、次のバンドもハイスタのコピー(笑)。だからセットリストを突き合わせて、曲を分けようって話して……。

──ハイスタをコピーしていたモンパチと、モンパチもコピーしていたWANIMA。それぞれ同じようにパンクに影響を受けた3世代が集合してると。

キヨサク この3人でこういう場所で話すのは初めてですよね。

横山健 一緒に取材受けるのはね。キヨサクとは1999年に出会って、もう16年になるけど。

──99年というと、まだハイスタをやってる頃ですか。

横山 「Making The Road」(1999年に発表されたHi-STANDARDのアルバム)のツアーで沖縄に行ったんですよ。キヨサクが持ってきたメモによると99年9月にナムラホール(旧ダンスクラブ松下)っていうとこで。

キヨサク 後にも先にもあれが唯一の沖縄公演ですよね、ハイスタの。

横山 1500人ぐらい入る大きい場所で2DAYSやって。そのうちの1日のオープニングアクトを……。

キヨサク(MONGOL800)

キヨサク ウチらがやったんです。結成してすぐで、まだ1stアルバム(1999年12月に沖縄 / 2000年4月に全国で発売された「GO ON AS YOU ARE」)も出してない頃。

──じゃあ大抜擢だったんですね。

キヨサク うれしかったですねえ。

──緊張したでしょう?

キヨサク いやもう、緊張どころか……夢みたいなもんですからね。ハイスタと対バンするなんて。しかもバンドの人たちが沖縄までライブしに来るって当時なかなかなかったんで。

横山 うん。俺らもすごい手間かけて行ったよ。鹿児島からフェリーで27時間とかかけて。丸1日以上かかるんですよ。

キヨサク そんな中あのハイスタがわざわざ来てくれるって、沖縄中パニックでしたよ。

横山 すごいなあ、ハイスタ(笑)。

キヨサク 俺、バレーボールやってたんですよ、でもケガで挫折して。それで音楽にのめりこんで。その過程でハイスタ聴いて元気付けられましたから。ハイスタの「GROWING UP」(1995年発表のアルバム)を高校時代に聴いて。青春っていうか、もうドハマりしました。「Making The Road」が18歳の頃です。

横山 俺は当時29歳かな。

パンクバンドの世代交代

横山 2000年にMONGOL800の「あなたに」が洗剤のCMでポンと出てきて話題になって。最初名前出さなかったでしょ? でも俺はこれは新しい世代のバンドだってすぐ思った。しばらくしてMONGOL800の名前が出てきて、あっ、あいつらかって。それであっという間に俺たちは追い越されていったという(笑)。

横山健。

キヨサク いえいえいえ……。

──前後してハイスタが活動休止になって。

横山 そうです。

──じゃあこう言ったらなんですが、世代交代という感じも。

横山 そうかもしれないですね。本人たちはどう思ってるのかわからないけど、モンパチを筆頭に日本語詞のパンクがガーッと広まったんで。やっぱり世代交代の時期だったんじゃないすかね。

──日本語でやってなかったのにも関わらず、ハイスタが日本語のパンクが広まるきっかけにもなっているんですかね。

横山 僕たち、日本語でやることはナシだと思ってたんです。なのに日本語でやる子たちが、1つや2つならまだしも、ものすごくたくさん次々と出てきて、「なんだろうな、コレ。俺たちがまいた種なのかな、いや違うと思いたいな」とか思ってました、正直言って。

──ハイスタが英語で歌うのはこだわりだった。でもそれを受け取った子たちは、日本語で歌うことを選んだ。なぜだったんでしょう。

キヨサク ウチら2ndアルバムぐらいまでは英語と日本語が半々だったんです。そこはあまり意識はしてなくて……英語のほうが大変じゃないですか。意味も合わせて、譜割りというか響きも考慮しつつ、と考えると日本語のほうがラクだな、というのはありましたね。

横山 (ドヤ顔で)みんながみんな、俺みたく英語しゃべれるわけじゃないしね!(笑)

SATANIC CARNIVAL'15
2015年6月20日(土)
千葉県 幕張メッセ 国際展示場9-11ホール
出演者
SATAN STAGE

OVER ARM THROW / ROTTENGRAFFTY / KEMURI / coldrain / MONGOL800 / Fear, and Loathing in Las Vegas / Ken Yokoyama / 10-FEET / FACT

EVIL STAGE

SHIMA(オープニングアクト) / Crystal Lake / BACK LIFT / BUZZ THE BEARS / WANIMA / HAWAIIAN6 / RADIOTS / G-FREAK FACTORY / locofrank / 怒髪天 / The BONEZ / 04 Limited Sazabys / GOOD4NOTHING / SHANK

Ken Yokoyama(ケンヨコヤマ)
Ken Yokoyama

1969年10月1日生まれ。Hi-STANDARD、BBQ CHICKENSのギタリスト。2004年にソロアーティストとしての活動を開始し、Ken Yokoyama名義によるアルバム「The Cost Of My Freedom」をリリースした。Ken Bandとしてライブ活動を展開して以降も、2005年の2ndアルバム「Nothin' But Sausage」をはじめ定期的に作品を発表。2008年1月に初の日本武道館公演を実施したほか、2010年10月には「DEAD AT BAY AREA」と題したアリーナライブを神戸と幕張で敢行した。2011年にはHi-STANDARDのライブ活動再開や「AIR JAM 2011」開催など、ソロ以外の活動も続々展開。2012年11月に5thアルバム「Best Wishes」をリリースした。2013年11月にはドキュメンタリー映画「横山健 -疾風勁草(しっぷうけいそう)編-」が、全国60館の劇場にて公開され、2014年9月に「Stop The World」を収めたCDが付属したDVD「横山健 -疾風勁草編-」を発売した。2015年7月には8年4カ月ぶりとなるシングル「I Won't Turn Off My Radio」をリリースする。

MONGOL800(モンゴルハッピャク)
MONGOL800

キヨサク(Vo, B)、儀間崇(G)、高里悟(Dr)による沖縄在住のスリーピースバンド。高校在学中の1998年に沖縄で結成。1999年に沖縄限定で「GO ON AS YOU ARE」をリリースするが、あまりの反響の大きさから2000年に全国発売となる。2001年に発売したアルバム「MESSAGE」は収録曲がCMソングに使用され、インディーズレーベルからの発売としては異例のメガヒットを記録。幅広い世代に響くキャッチーなメロディとストレートな歌詞でリスナーを魅了している。2015年8月に通算7枚目となるオリジナルアルバム「People People」をリリース。9月末より新作を携えてのリリースツアーを開催する。

WANIMA(ワニマ)
WANIMA

熊本出身の松本健太(Vo, B)、西田光真(G, Cho)を中心に2010年初夏に結成されたメロディックパンクバンド。2012年12月に同じく熊本出身の藤原弘樹(Dr, Cho)が加入し、現在の編成となる。Ken YokoyamaやHOTSQUALL、FOUR GET ME A NOTSなどさまざまなバンドのツアーに参加し、各地で知名度を高める。これまでに制作したデモ作品3枚は、現在までに手売りで4000枚を突破。2014年にPIZZA OF DEATHが、レーベルとして初めてマネジメント契約をしたことを発表。同年10月、同レーベルより1stミニアルバム「Can Not Behaved!!」をリリースした。


2015年7月8日更新