リアクション ザ ブッタ|“王道感”でシーンに切り込む3人

「TEENS ROCK IN HITACHINAKA 2009」最優秀賞受賞、「RO69 JACK 14/15」優勝など華々しい経歴を持つリアクション ザ ブッタが、1月より初の東名阪ワンマンツアーを開催する。

2007年結成のリアクション ザ ブッタは佐々木直人(B, Vo)、木田健太郎(G, Cho)、大野宏二朗(Dr)からなる3ピースバンド。10代の頃からバンド選手権で入賞経験を重ねてきた彼らは「ROCK IN JAPAN FES」「COUNTDOWN JAPAN」「ap bank fes」「ARABAKI ROCK FEST」「SUMMER SONIC」など数々の大型フェスに出演を果たし、年々その知名度を上げている。音楽ナタリーではメンバー全員にインタビューを行い、結成の経緯や一風変わったバンド名の由来、バンド初の挑戦となる東名阪ワンマンツアーに向けた意気込みなどを語ってもらった。

取材・文 / 倉嶌孝彦 撮影 / 後藤倫人

一度目にしたら忘れられないバンド名

──リアクション ザ ブッタというバンドが生まれた経緯から伺えればと思います。佐々木さんと木田さんは小中学校の同級生だったんですよね?

佐々木直人(B, Vo)
佐々木直人(B, Vo)

佐々木直人(B, Vo) 小学校、中学校と木田とは同じクラスだったんです。

木田健太郎(G, Cho) しかもずっと同じ部活(笑)。

佐々木 ずっとサッカーを一緒にやってて、中1か中2のときになんとなくお互いに楽器を持ち始めて、コピーとかをやり始めたんです。中学を卒業して、僕と木田は別々の高校に進学するんですけど、お互い軽音楽部に入部して。ただ高校生の軽音楽部って基本的にはコピーバンドしかないんですよね。オリジナル曲を作ってライブハウスでライブをするような人が部活の中ではなかなかいなくて、高1のときに同じ学校に通ってた初期メンバーのドラマー(本間風理。2015年に脱退)と、木田に声をかけて組んだのがこのバンドの始まりです。

木田 別々の高校に通ってはいたけど、佐々木とはずっと連絡を取り合ってて。お互いの状況が似てたんですよね(笑)。僕も周りにコピーをやる人しかいないって思ってたから。

──ということは高校生のときからすでにオリジナル曲を作っていたんですね?

佐々木 そうですね。当時はコードの付け方とかもよくわかってなかったから、本当になんちゃってな感じですけど、オリジナル曲でバンドをやりたいっていう思いは強かったんです。

──リアクション ザ ブッタという、ちょっと変わったバンド名を付けたのは木田さんだと伺いました。

木田 思い付きで付けたものなので、深い意味とかはないんですけど、フェスとかに行ったとき、タイムテーブルを眺めていて英語のバンド名がすごく多いことに気付いて。しかも英語のバンド名ってすぐ頭に入ってこないんですよね。自分の好きなバンドだとしても、たくさんの出演者がいる中ですぐに見つけられないことが多くて。だから自分のバンドでオリジナル曲をやるときは一目でわかるバンド名にしようって決めてたんです。それで、なんとなく浮かんできた「リアクション ザ ブッタ」って言葉をバンド名にしたんです。

佐々木 よく「一度目にしたら忘れられないバンド名だ」って言われるよね。

木田 接点のなかったバンドの方に「名前はすごい知ってる」って挨拶されることも多いんです。

──大野さんは2015年にサポートメンバーとしてバンドに加わることになりますが、リアクション ザ ブッタというバンドのことはそれ以前から知っていましたか?

大野宏二朗(Dr) それこそサポートで入るずっと前から名前を知ってたんですよ。「変な名前のバンド」っていうイメージが強くて(笑)。でも、曲を聴いてみたら変な名前のわりにはちゃんと歌を大事にしている正統派なバンドだったんですよね。そのギャップが面白いなって思いました。

リアクション ザ ブッタ
リアクション ザ ブッタ

それぞれの節目

──バンド結成が2007年なので、すでに10年以上のキャリアがあるわけですが、それぞれ皆さんが思うバンドの節目ってどのタイミングでしたか?

木田健太郎(G, Cho)
木田健太郎(G, Cho)

佐々木 2009年の「TEENS ROCK」っていうバンド選手権で最優秀賞をいただいたことですね。そのおかげで「ROCK IN JAPAN FES」に出場して、上海や韓国でもライブをやらせてもらって。当時はまだ高校生だったので、自分たちのやってる音楽がまさか大人たちに評価されるとは思ってなかったんですよね。もしかしたらバンドで音楽を発信していく価値があるんじゃないかって、本気で思うきっかけを与えてくれた「TEENS ROCK」が僕の人生におけるターニングポイントだと思います。

木田 僕は高校生の頃の大舞台ってあんまり現実感がなかったんです。僕にとって節目だと思えるのは、「RO69JACK 14/15」で優勝して「COUNTDOWN JAPAN」に出場したとき。夢の舞台だと思っていたイベントに、憧れのバンドに交じって出演することができて「ここから先の活動次第では、こういう夢のようなステージに立ち続けられるんだ」と思ったんです。

大野 僕はあんまり節目って感じたことないんですよね。常に節目と言えば節目だし、その日暮らしってわけじゃないですけど、目の前にあるライブ1本1本をバシっとやってるだけでここまで来た感覚があるんです。

佐々木 1つ明確にバンドに変化があったタイミングはプロデューサーの涌井(啓一)さんと、エンジニアの渡辺(敏広)さんに出会ったことですね(参照:リアクション ザ ブッタ、結成10周年を飾る「After drama」詳細)。自分たちが求められている音が明確にイメージできるようになった感じがあって。

──プロデューサーやエンジニアと音源を制作することで、具体的にどんな変化がありましたか?

佐々木 ざっくり言うと何もかも変わりました(笑)。最初は涌井さんや渡辺さんのスタイルを勉強させてもらう感じでレコーディングが進んでいって、ミックスを終えて音を聴かせてもらったときに衝撃が走ったんです。「これまで僕らが自分たちでやってきたものと全然違うぞ」って。

木田 僕はずっとギターを独学で弾いてきたから、初めてギターを教えてもらうという経験をしたんです。ギターっていう楽器がどういう仕組みで鳴っているのか、歌モノのバンドで佐々木の歌声に対してどういう音作りをすればいいのか、そのほかにも機材の使い方とか教わることばかりで。プレイ面で成長したのはもちろん、機材もほぼ全部新しくなりました。

大野 ドラムに関してもギターと同じかもしれないですね。僕はずっと以前から歌を立てることを意識しながらドラムを叩いていたんですけど、それってただ意識しているだけだったというか。本当の意味で歌を立てるドラムであるために、どう演奏すればいいのか。技術的な面でも精神的な面でも教わることはすごく多いです。

──サウンド面だけではなく、佐々木さんが担当している曲作りに関しても変化は生じていますか?

佐々木 変わりましたね。以前だったら作詞をするときに歌詞に向き合うのって僕1人だったんですけど、最近では歌詞のテーマや方向性を涌井さんに提案してもらって、それに応える形で詞を書くこともあります。ただ、詞の意図とか僕が歌詞に込めた思いってメンバーにさえ100%理解されるものではないと思っていて。ただ理想としてはメンバーやスタッフさん含めて全員が100%納得して生まれた曲で、このバンドは勝負していきたい。やっぱり曲ができてまず最初に聴いてくれる人には「いいね」と言ってほしいんですよね(笑)。もちろん身の回りの人のことだけを考えるんじゃなくて、その先にいるお客さんに対してどう響くかも頭の中で考えなきゃいけないし、だからと言って自分に嘘を付くようなものは書けない。今のチームで曲を作るようになって考えることが増えたのは確かなんですけど、それをちゃんと生かした曲作りができていると思います。