ナタリー PowerPush - 野宮真貴
30周年インタビュー&真貴とレキシのおしゃれ対談
野宮真貴のデビュー30周年記念アルバム「30 -Greatest Self Covers & More!!!-」がリリースされた。1980年代、1990年代、2000年代をさまざまなスタイルで駆け抜けた彼女の足跡に、今改めてスポットが当たっている。ナタリーでは野宮の30年を振り返る単独インタビューに加え、アルバムに書き下ろし曲を提供したレキシの池田貴史を迎えた「おしゃれ対談」を行った。
取材・文 / 臼杵成晃 撮影 / 中西求
野宮真貴 単独インタビュー
最初に憧れたのは「ステージ101」
──「30周年」って、なんだかものすごい響きですよね。「芸能生活30周年」という大きな看板はあまり野宮さんに似合わない気がしますけど。
うん、気付いたら30年経ってたっていう感じ。自分でも驚いちゃうくらいですけど。
──元々はアマチュアバンドでオーディションを受けていたということですが、子供の頃からアーティストになりたいという願望はあったんですか?
ありましたよ。子供のころから歌を歌うのが好きで、最初に憧れたのは、NHKの「ステージ101」。オーディションで選ばれた人たちが、洋楽を日本語で歌ったり踊ったりする番組があって、それにすごく憧れてました。その前から、すごく綺麗なお洋服を着て好きな歌が歌える職業になりたいって子供心に夢見てたけど。「ステージ101」はメンバーになれそうな年齢に達する前に終わっちゃって。そうこうしているうちにロックを聴き始めて、高校生ぐらいから自分でバンドを組んだり。だからプロになりたいっていうのは子供の頃からずーっとありました。
──ソロデビューはどういうきっかけで?
最初は女の子バンドでデビューしようと思ってがんばっていたんですけど、スカウトされたのは私ひとりだけで……。でもチャンスを逃したくなかったので、友達もいずれわかってくれるだろうという感じでごめんね、みたいな。ムーンライダーズの鈴木慶一さんプロデュースでデビューして、最初のシングルが資生堂のタイアップだったんですけど、そのあとはアルバムを1枚出してそれで終わっちゃった(笑)。そのあとに8 1/2とかPRICEをやってた鈴木(智文)くん、FILMSの中原(信雄)くんと「一緒になんかやろう」と3人でスタジオに入ったんです。慶一さんの自宅にスタジオがあって、弟の博文さん(ムーンライダーズ)が「買ったばかりの機材を勉強したいから、うちでデモテープ録らない?」って。そこに毎日のように通って曲作りして。
──それがポータブル・ロックに。
そう。ポータブル・ロックではアルバムを2枚出したんですけど、それもあんまり売れなくて。CMソングを歌ったり、バックボーカルをやったりしていたんですけど、その中のひとつがピチカート・ファイヴで。「女王陛下のピチカート・ファイヴ」にコーラスで参加したのをきっかけにツアーも参加したり。田島(貴男)くんがオリジナル・ラブに専念するということで、小西(康陽)くんから「メインボーカルになってくれ」って。
──そこまでがデビューから10年ぐらいの出来事ですね。
デビューしたもののなかなか売れず。だから最初の10年間はあんまりお仕事って感じじゃなかったですね。
最後は「歌わなくていいから入ってくれ」って
──ピチカート・ファイヴへの加入は、やはり大きな転機だったと思うのですが。
うん。その頃はポータブル・ロックで3枚目のアルバムを作ろうとしていて。小西くんに歌詞をつけてもらって2曲レコーディングしたんですね。今回のアルバムにボーナストラックで入ってる「スウィート・ルネッサンス」は当時の音源です。そんな時期だったから、小西くんに誘われたときはちょっと悩んだんですけど、ピチカートは好きだし、小西くんからは毎日電話かかってきてたし(笑)。最後は「歌わなくていいから入ってくれ」って言われて(笑)。
──ピチカートは野宮さんの加入により、改めて言うまでもなく、大きく加速して“渋谷系”と呼ばれるカルチャーを代表するグループになりました。その時期からの約10年間、ファンとしてはずーっと楽しかったという思い出しかないですね(笑)。
楽しかったですね。ピチカートは私が加入したときにコロムビアに移籍したでしょ。新生ピチカート・ファイヴをアピールするのに、とにかく面白いビジュアルをどんどん打ち出して。メンバーも元々私のことをわかってくれていたから、おしゃれが好きだっていうのも知ってたし、好きなものが似てたんですよね。まず最初に5カ月連続で新作をリリースしたのも、ビジュアルを毎月見せるため。
──ピチカートが打ち出したような60'sファッションやデザインのリバイバルが、その後の渋谷系のビジュアルイメージを決定付けるものになったと思うのですが、あのビジュアル戦略には確信があったんですか?
小西くんも高浪(慶太郎)くんも、デザイナーの信藤(三雄)さんも、単純にみんな60年代のファッションや映画や音楽が好きだったので、自然とそうなった感じですね。私が普段から着ているものもビンテージだったりしたし。いろんな時代のテイストが入ってたと思うけど、でもやっぱり60'sの印象が一番強いですよね。
──音楽はもちろん、ファッションやデザインなどビジュアル的な部分でも、あの時期のピチカートが日本中のカルチャーに及ぼした影響は大きかったと思います。
あの頃からCDジャケットがみんなおしゃれになりましたよね。本当に良かった! ピチカートというか、信藤さんのアートディレクションと、小西くんのセンスですね。
CD収録曲
- マキのレキシ -OPENING- / Produced by レキシ
- 東京は夜の七時 / Produced by DJ FUMIYA(RIP SLYME)
- 私の知らない私 / Produced by テイ・トウワ
- ベイビィ・ポータブル・ロック / Produced by ヒャダイン
- スーパースター / Produced by 雅-MIYAVI-
- スウィート・ソウル・レヴュー / Produced by DAISHI DANCE
- マジック・カーペット・ライド / Produced by コーネリアス
- トゥイギー・トゥイギー / Produced by □□□
- 皆笑った / Produced by 高橋幸宏
- ウサギと私 / Produced by 鈴木慶一 & 曽我部恵一
- 悲しい歌 / Produced by 大橋トリオ
- メッセージ・ソング / Produced by カジヒデキ
- 陽のあたる大通り / Produced by YOUR SONG IS GOOD
- マキのレキシ -ENDING- / Produced by レキシ
<BONUS TRACK>
- スウィート・ルネッサンス / Performed by ポータブル・ロック
野宮真貴(のみやまき)
1981年7月にソロ歌手としてデビュー。その後、中原信雄、鈴木智文らとともにポータブル・ロックを結成する。1990年にはピチカート・ファイヴに加入し、その完璧なスタイルと美貌を武器に世界中の音楽シーンを席巻した。2001年のピチカート解散以降はソロ活動を再開。おしゃれな生き方を指南する「おしゃれ手帖」などの著書もあり、ファッションのみならずライフスタイルの面でも幅広い世代の女性から絶大な支持を集めている。2012年1月25日にはデビュー30周年記念アルバム「30 -Greatest Self Covers & More!!!-」をリリース。