藤田麻衣子のニューアルバム「necessary」が3月18日にリリースされる。
来年CDデビュー15周年を迎える彼女が、これまで手にしてきた自分自身のセオリーを壊し、原点に立ち返ることを意識して生み出したという本作。そこにはシンプルな感覚でナチュラルに音楽と向き合う瑞々しい姿が収められている。
新章の始まりを感じさせる風通しのいいアルバムは果たしてどんな思いで作り上げられたのか。本人に話を聞いた。
取材・文 / もりひでゆき 撮影 / 星野耕作
掃除をきっかけに殻を破った
──ニューアルバム「necessary」からは、藤田麻衣子さんが音楽家としての原点に立ち返っているような印象を受けました。
うん、確かにここ数年、ずっと原点回帰をしたいなと思っていたんです。でも、そのやり方が自分ではいまいちわからなくて、もどかしさを感じながらトライし続けていたというか。それがようやく今回できたような気がするんです。別に藤田麻衣子として方向転換をしたわけではないんだけど新鮮な感覚がある。だから今、すごく気持ちがスッキリしていて、早くみんなに届けたいという気持ちが強くなっているんです。
──活動の中で原点回帰を求めるようになったのはそもそもどうしてだったんでしょう?
ここ2、3年、来年のデビュー15周年を迎えるときにどんな自分でいたいかということをずっと考えていたんです。そこで浮かんだのが、昔のように書きたいことがあふれてくる状態で曲作りをしたいという思いで。メジャーデビュー以降はありがたいことにすごく忙しくさせていただいて、インディーズ時代よりも確実に曲をたくさん書いている状態ではあるんです。でも、それはある意味、職業的な意味合いで技術が上がったからできていたことのような気がしていて。
──求められて作ることも多くなったでしょうしね。だからこそ、ご自身から曲を作りたいという欲求があふれていた昔の状態に立ち返りたいと思ったわけですか?
そうなんです。もう一度原点に戻って、曲作りに対する衝動に火を点けたいなと。結果、このアルバムの制作において、1つ殻を破れたとは思っているんですけど。
──その殻を破るために何が必要だったんですか?
いろいろあると思うんですけど……掃除かな(笑)。去年の5月に2度目のオーケストラコンサートをやったあと、デビュー以来初めて半年くらいライブがない時期があって。ちょっとゆったりとした生活を過ごすことができたんです。何もせずボーッとしたり、本をたくさん読んだり、とにかくその日にやろうと思い立ったことができる日々。その中で、部屋の片付けをしたほうがいいという本を読んだこともあって、今の自分の家はもちろん、実家にも帰って思い切り掃除をしたんですよね。突然帰ってきていろんなものをどんどん捨て始めた私を見て、両親はビックリしてましたけど(笑)。
──そうしたことで気持ちに変化が訪れたと。
そうそう。いろんなものの循環がよくなったからなのか、日々の生活の中で自分が無理していた部分であったり、知らず知らずのうちに背負っていたさまざまなものが見えてきたというか。で、それらについても「あ、捨てていいものもあるな」と思えるようになってきた。そうしたら、曲として書きたいことが自然とあふれてくるようになったんですよ。書きたいことを一生懸命探したりしなくてもどんどんひらめくから、去年の11月には一気に10曲くらい作れてしまって。それはどこか目の前の靄が一気に晴れたような感覚でもあったし、「昔の感覚が戻ってきた!」という気持ちにもなれたのですごくうれしかったですね。
自分にとって何が必要か必要じゃないか
──身の回りの掃除をきっかけに、ご自身にとって必要なものとそうじゃないものが明確になったからなのかもしれないですよね。物理的なことはもちろん、精神的な面においても。
あー、なるほど! そうなのかもしれない。だから「necessary(=必要)」っていうアルバムになったんだ(笑)。確かに自分にとって何が必要か必要じゃないかがしっかり見えた状態で制作できていた気がしますね。
──そういう気付きが影響しているんでしょうけど、今回のアルバムはすごくシンプルになったような気もしていて。それは音数が少ないといったサウンド的なシンプルさというよりは、音楽に向き合う思考のシンプルさ。グッドメロディに乗せた言葉たちを、ナチュラルに歌として届けるという、音楽に対しての根本的な姿勢を感じるんです。それが原点という部分にもつながるような気もしましたし。
あー、すごくうれしいです。これまで自分の中でトライしながらもなかなか形にできなかったことの1つに、シンプルな歌を書きたいという思いもあったんですよ。例えば、私の曲には4分台後半から5分くらいの曲が多いんですけど、書き方をシンプルにすることで3分台後半くらいの曲を作りたいなとずっと考えていて。でも、歌詞に情景描写を込めたり、言いたいことをしっかり表現していこうとすると、どうしても長くなってしまいがちなんですよね。
──尺が短いほうが曲作りの難易度が上がるわけですね。
私の場合はそうなんです。でも今回はシンプルに思っていることをズバッと言った歌詞がサラサラーっと書けて。で、私は詞先なので歌詞の分量が少なくなれば必然的に曲も短くなっていったという。今回はBメロがなくて、Aメロとサビだけで構成されている曲がけっこうあったりしますからね。目指していたシンプルな曲がちゃんとできているなって、強く実感しながらの制作でしたね。
──それはキャリアの中で生まれたセオリーを壊せた感覚ですか?
そうですね。自らの意志で曲を長くしていたわけではなく、知らず知らずのうちに歌詞が多くなっていた感じだったので、半ばあきらめていたところもあったんですよ。でも今回は、そこをちゃんと壊すことができた。それによって今後は、今までのように歌詞がたっぷり入った曲とシンプルに短い曲のどっちもできるようになっていくんだと思うんですよね。それを選べるようになったのは自分としてすごく大きいことではありますね。
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