雨のパレード|蔦谷好位置共同プロデュースで描く新たなポップスの世界

背景と“この先”が見えるような歌詞

──今回の「Ahead Ahead」は作曲、編曲も蔦谷さんと共同名義ですね。どんな発見がありましたか?

メンバー以外の人と1曲を仕上げていく行為自体がすごく新鮮で。僕らが蔦谷さんに送ったデモからいろいろ変わって戻ってきて、それを受け取ってからスタジオでアップデートしていく作業を何度か繰り返したんです。メロについてディスカッションすることがそれまではあまりなかったし、作詞面も最近考えていなかったようなこと……例えば語尾や文字のおしりだけ合わせたら、全体にグルーヴが出てくるとか。そういうアドバイスをもらいました。

──韻を踏むということ?

そうですね。僕は韻を踏むのをあまり気にしてなかったんですけど、蔦谷さんに言われて、「あ、確かに洋楽とかめちゃくちゃ韻を踏んでるな」と思って、ちょっとがんばってみて。なのでこの曲はわりと韻を踏んでる。それだけじゃなく、DTM作業のうえでもいろんな刺激がもらえた。蔦谷さんと一緒に作業させてもらって「プロデューサーに入ってもらうことって、楽曲制作の可能性を広げたり、作業自体を活性化させる意味があるんだ」と感じました。素晴らしい方で、人柄もすごくよくて。僕らが意見を言えるような隙を会話の中に作ってくれるというか。

大澤実音穂(Dr)

──この曲は、今福永さんがおっしゃったように、ちゃんとみんなに聴いてもらいたい、共有したいという意識が歌詞に強く出ているように感じました。

これは3人になってから書き始めた歌詞なんですけど、今まで以上に自分たちの思いが反映されていると思います。あと、この曲を聴いた人が一歩前に進むことができたらと思っています。

──歌詞ではいつも自分自身のことを語るほうですか?

わりとフィクションは書かないようにしていますね。それこそ「/eɔː/」とかそうなんですけど、言葉にできない感情みたいなものを形にしたいという思いが音楽作りの肝になってます。

──言葉にできない感情を歌にする……なかなか難しそうですけど。

かなり難しいです。作詞のときは鏡花水月(感じ取れるものの言葉でうまく言い表せないような趣の例え)、をテーマにしているんですけど、そういうものを楽曲として落とし込みたいという思いがバンドを始めた頃から強くあって。「Petrichor」という曲は特にそういう感覚が強かったんです。それと「Ahead Ahead」でいろいろ学べたことが、「/eɔː/」で生かせたかなと僕は思ってます。あと意識しているのは、物語を感じるような歌詞。絵本みたいな物語じゃなくて、その人の人生というか。

──世界観?

うん。だったり、背景と“この先”が見えるような歌詞は心がけています。それを共有することによって、音もよく聞こえてくると僕は思っていて。例えば幼なじみが初めてライブをしますというときに、めちゃくちゃ下手くそなギターソロを弾いたとしても、なんかすげーいいと思う気がする。それって、彼との人生を共有して感じる音のよさだと思うんですよ。そういうものを歌詞でも感じてもらえたらと思っています。

──歌詞で語り切れない物語の背景みたいなものもサウンドで表現する。

はい。今回は「Ahead Ahead」の歌詞を作るときに、蔦谷さんと僕、ディレクターでいろいろディスカッションして、いい形になるまで試行錯誤したんです。この歌詞は実は3稿目ぐらいなんですよ。けっこうガラッと変わった部分もあったし。

──そういう経験は初めてだったんですか?

そうですね。曲作りって歌詞も含め1人とか少ない人数でずーっとやっていると、どうしても凝り固まっちゃうというか、自分たちで作った方程式に頼ってしまうから。

──得意のパターンというやつですね。

うん。そのパターンにずっと入ってしまうと、少し悪いほうにいってしまうような意識が僕にはあるんです。洗練されてどんどんいい音になっていくこともありますけど、歌詞は別のことでちょっと煮詰まっちゃいがちというか。

──それが自分の個性であり、持ち味であるとは考えられませんか?

変化を付けていったほうがいいと僕は思っているので、変わることに対してはあまり躊躇していないんです。バランスは考えますけど。

──意識しないでも出てしまう雨のパレードらしさとか福永さんらしさみたいなものも当然あったりするわけじゃないですか。それがいわゆる隠しきれない個性みたいなものだと思うんです。

そうですね。どんなに僕らががんばって変えたとしても出てしまう個性がある。僕はそれもいいことだと思うんです。例えば、僕が人の曲を歌っても僕の曲のように聞こえてほしいと思っているし。そこがカラーとして残ることは絶対だと思っていて。だからこそ少し外れたことに挑戦できるという。

──何やってもどうせ自分たちの音になっちゃうんだからという。

そうそう、そういうことです。それは「/eɔː/」を作ってるときにも、思いましたね。

古びることを恐れない

山﨑康介(G, Syn)

──では、自分たちの個性であったり持ち味というのは言葉にして言うとなんだと思います?

インディのR&Bやエレクトロとか、アイスランドの音楽だったり……そういう自分たちの好きな音が意図せずとも反映されているのが特徴かなとは思います。

──海外の音楽も流行り廃りがありますが、何か特定のサウンドに思い入れがあるというよりは、新しいものに常にアンテナを張っていたいほうですか?

僕は完全にそれですね。新譜ばっかり聴いているので。時代と向き合って、やっぱり新鮮味を感じる音色、アレンジ、アプローチみたいなものを貪欲に吸収して、僕たちの中でポップミュージックとして昇華していくことは大事だと思ってます。

──ちょっと意地悪な質問をすると、最新の音色や手法を取り入れていくと、いずれは古びていくわけじゃないですか。つまり雨のパレードの音楽も時間が経つにつれて古びてしまうことになっちゃう。それについてはどう考えていますか?

うーん、これはもう、日本に限らずどの時代もそうだと思うんです。だからこそ、古びることを恐れていないっていうのもそうだし、さっき言ったみたいに、メロと歌詞の普遍的なよさがあれば、僕はいつの時代でも最高の曲に聞こえるのかなと思いますね。

──アレンジとか音色はどうであれ。

うん。やっぱり単純に、曲を聴いている人が、僕らのこだわっているディテールを理解しているかと言われたら、たぶん一部の人しか理解していない。単純に歌とメロ、歌詞がいいことが大事だと思うんです。それに一旦古びても、何十年後かにまた波が来たり、オケ的にその音が最高に聞こえる時代が来るかもしれないし。

──今最高の音はもしかしたら5年後にはすごく古びてるかもしれないけど、10年後にはまた“新しい”と言われているかもしれない。

そうですね。20年周期、30年周期とかだと思いますけど。

──自分たちの音楽が長く残って聴き続けられることに対しては自覚的ですか?

ポップスをやっていくうえではそうであるべきだと思います。それを意識したうえで最高の曲が作れたら、決して廃れることはないかな。

──私の取材したあるアーティストが、「20年後、30年後に自分という存在が忘れられたとしても曲だけでも生き残って聴き継がれてくれれば、それで本望だ」と言っていたんですけど福永さんはいかがですか?

確かに30年後、僕の歌だけが残ってればいいみたいな思いはあります。でも、やっぱり音楽を作ることに対しての喜びもすごくあるので、僕は30年後も作っているほうが幸せですね。ただ、100年後とか死んだあとに歌が残っているのはうれしいでしょうね。

ツアー情報

ame_no_parade RELEASE PARTY "Ahead Ahead"
  • 2019年4月24日(水)東京都 LIQUIDROOM
雨のパレード