雨のパレードが福永浩平(Vo)の30歳の誕生日である10月14日に配信シングル「ESSENCE」をリリースした。
「ESSENCE」は今年3月にメジャーデビュー5周年を迎えた雨のパレードが、“バンドの本質”を見つめ直して制作した楽曲。不安や迷いを振り払って前に進む意思が込められたダンスナンバーだ。
音楽ナタリーでは楽曲の配信を記念して、福永と同い年でプライベートでも親交の深い椎木知仁(My Hair is Bad)との対談をセッティングした。2016年、「スペースシャワー列伝TOUR」をきっかけに出会った当初からシンパシーを感じていたという2人。音楽性もバックグラウンドもまったく違う彼らは、お互いのどんな部分に惹かれたのか? そしてこのコロナ禍を経て、今改めてそれぞれのバンド活動に対して思うこととは? 熱くて真面目な話はもちろん、聞いている側が恥ずかしくなるような仲よしエピソードもてんこ盛りで語り合ってもらった。
取材・文 / 小川智宏撮影 / つぼいひろこ
全然福永のほうがパンクス
──ファンであれば2人の仲がいいことは知ってると思うんですけど、こうやって対談するのは初めてですか?
福永浩平(雨のパレード) それこそ「列伝ツアー」前の取材で……あれが初対面じゃなかったかな?
椎木知仁(My Hair is Bad) ああ、そうだったのかな。
福永 1回、2人で対談をさせてもらったんです。それ以来ですね。あのときは、お互いに畑というかバックグラウンドが違ったし、バンドを始めた理由も違うし、なるほどなあ、みたいな(笑)。そういう考え方もあるんだなというのを知った気がする。
椎木 そうだったんだ。なんだかんだ言って、もう6年近く前でしょ。
──そうですね。2組が出演した「列伝ツアー」が2016年の春のことだから。
椎木 僕はあんまりその対談のときの記憶がないんです。むしろ福岡で「列伝ツアー」が始まったあたりから福永との関係が始まってるような気持ちがあって。
──あの年の「列伝ツアー」は雨パレ、マイヘアに加えてフレデリックと夜の本気ダンスの4組によるものでしたね。
椎木 僕としてはその4バンドの中でも、雨のパレードが一番謎だったというか。バンド名もはっきりとは知らなかったし、MVを観ても人柄がわからなくて、無機質な印象だったんですよね。だから最初はちょっと怖いんじゃないかと思ってた(笑)。でも会ってみたら同い年で、意外とラフにいろんなことを話してくれて、すぐに柔らかい印象になりました。
福永 あのときの4バンド、雨のパレード以外は本当にライブで叩き上げられてきたという感じで。刺激だらけのツアーだったんですけど、その中でも僕に一番刺激を与えてくれたのはMy Hair is Badだったし、椎木知仁だったなと思います。確かツアーのどこかの場所で、椎木がホテルの部屋に呼んでくれたんだよね? じゃがりこを食べた日。
椎木 いや、逆だったと思うなあ。高松かどこかで俺が福永の部屋に行ったんだよ。福永がラブホの跡地みたいなところに泊まってて。
福永 あれ? そうだったか。「列伝ツアー」のときに「ここ、めちゃくちゃラブホだな」というところに僕が泊まってたんです。
──ああ、ラブホを改装したみたいな安いホテル。ありますね。
椎木 ツアーが始まって、僕らは「爪痕を残さなきゃ」という気持ちがすごく強くて。ちょっと嫌な立ち回りというか、嫌なステージをやってたんです。対バンと仲よくしようと表面上ではみんなニコニコしてるんですけど、特に序盤はちょっとうまく仲よくなれないところがあって。それでも福永は1日目の福岡公演のあとから「めちゃくちゃカッコよかった」と言ってくれて。すぐ僕のことを理解してくれたんです。そこで懐いて、ホテルで2人でしゃべったりしてましたね。
福永 それで、次のツアー先で……マイヘアのステージでは、曲中に椎木がしゃべることがよくあるんですけど、そのときにじゃがりこのくだりを言ったんですよ。
椎木 ああ、「ホテルでじゃがりこ食べてた」という。
福永 それがすごく印象的で。椎木は自分たちの生活をちゃんと曲にする人だと思うんです。自分もその物語の一部になれた感覚があって、よりマイヘアの音楽にのめり込めたというか。
──確かにあの頃、マイヘアはバチバチやってましたね。
椎木 音楽をやりたいというより、人に印象を残したい時期だったんですよね。それまで自分たちがやってきたことが「列伝ツアー」につながって、初めてオーバーグラウンドに出てきたという気持ちがあったので、「ここでダメだったら、もう一生ダメかもしれない」みたいな追い込まれ方をしていて。そのときに同い年の福永がいてくれて……ここまでの話だと僕だけがおかしくて、福永がちょっとまとめてくれてる感じに聞こえると思うんですけど、2人で話してたら、全然福永のほうがパンクスだったんですよ(笑)。それにもちょっと救われたような気持ちになったりして。
福永 椎木にはずっとそう言われてましたね。
椎木 「お前が一番尖ってる」って(笑)。
福永 ちょっと攻撃的なこともちょいちょい言っちゃうタイプなので。それがそういう印象になってたのかもしれない。
椎木 でも嫌なことを言うというよりは、ちゃんと自分にこだわりがあって、自分の作品に自信を持ってやってるという尖り方だったよ。それはカッコよかったですね。
最初の福岡公演でマジで喰らった
──音楽的な部分ではお互いをどういうふうに感じていたんですか?
椎木 僕らはずっとギター、ベース、ドラムだけでやってきて。それが一番カッコいいと思ってたし、信じてたんですけど、2015年、2016年あたりはほかのいろんな音が含まれてるバンドがどんどん世に出てきて、時代を作り始めてるような時期で。ちょっと悪い言い方をしますけど、「BGMみたいな音楽がすごく増えてるな」と感じてたんです。まあ、BGMでもいいんですけど……それで雨のパレードも最初は耳心地がよかったし、遠くから聴いてたらそういうふうに聞こえたんですけど、移動中に車で聴いたりライブを観たりする中で、もっと人の気持ちを動かすような歌詞とか、福永の人柄とか、そういうのをすごく感じて。ただおしゃれなことをやってるだけじゃない、力強さやメッセージ性を強く感じてましたね。
福永 僕らは「列伝ツアー」のときに「変わらなきゃ」ってめちゃくちゃ思ったんですよ。「何かを変えなきゃ」というのはもともとずっと思っていて、だからこそ僕はMy Hair is Badのライブに圧倒的な衝撃を受けたんです。最初の福岡公演でマジで食らって、若い頃に聴いてたら自分の音楽性が変わってたんじゃないかというぐらい衝撃的だったんですよね。それまで僕は音源を聴くのが大好きで、自分が曲を作るうえでのアウトプットとして一番身近にあったのがバンドだったという理由でバンド活動を始めたんですけど、やっぱりライブってすごいなとあのツアーで感じたんです。その人がどういう人生を生きてるのか、ライブを観ることによって感じるし、1つひとつのライブの内容が場所によっても違ったし……すごい体験だったなと思います。のちの楽曲作りにも影響を受けました。
──それでその後も交友を深めていった、ということなんですね。素朴な疑問なんですけど、2人は会うとどんな話をするんですか?
福永 なんの話をしてるんですかね?
椎木 互いの近況を話し尽くして、最近見た面白いものについても話し尽くして……。
福永 自分たちが学生の頃に聴いていたようなアーティストとも少しずつ会えるようになってきて、以前はそういう感動を電話して共有したりしてました。1回、3日連続ぐらいで電話をしてしまったときがあったんですけど、その次の日に電話がなかったことを椎木がツイートしてくれて。「そうやって惚れさせる作戦なのか」と思いました(笑)。
椎木 (笑)。ちょうど自分たちにとって新しいことばっかり起こる時期に仲よくなったから、そういうことを共有した思い出はいっぱいあるかもしれないですね。全部が初々しくて新しかった。
──音楽の話もする?
福永 音楽の話も意外としますね。
椎木 うん、意外とするかも。
福永 できた音源を送って「どうかな?」みたいな。いまいち最後の自信が持てないとき、椎木に送って感想を聞いたりしますね。
椎木 必ず感想は書いてます。どの作品に対してなんて言ったか、覚えてるような気がしますね。
福永 でも、こいつは音源を送ってこないんですよ(笑)。
椎木 聴かせてはいるよね?
福永 完成してからはね。俺はデモとかもけっこう送るから。
次のページ »
まさか泣くとは思わなかった