ACIDMAN「This is ACIDMAN」開催記念インタビュー「センス・オブ・ワンダーと向き合い続ける フロントマン・大木伸夫の現在地」

今年結成28周年を迎えるACIDMANが、10月26日に東京・日本武道館単独公演を開催する。バンドにとって7年ぶり7回目となるこの武道館単独公演。例年はワンマンライブとして、今年はツアー形式で展開されるメジャーデビュー日にあわせての恒例ライブ「This is ACIDMAN」の“総決算“として実施される。

バンドのフロントマンであり、言葉と音を通して「センス・オブ・ワンダー」と向き合い続けてきた大木伸夫(Vo, G)は、今どんな思いでそのステージに立とうとしているのか。音楽制作だけでなく、所属事務所社長、プラネタリウム番組監修や科学者との対談番組出演など、大木の表現のフィールドはますます拡張されている。しかしその核にあるのは、「誰か1人の考え方を変えられたらいい」という静かな情熱。知性と感性が共鳴する、彼の現在地に迫った。

取材・文 / 黒田隆憲撮影 / 後藤壮太郎

公演情報

ACIDMAN日本武道館公演「This is ACIDMAN」

2025年10月26日(日)東京都 日本武道館

チケット一般発売:2025年8月26日

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「This is ACIDMAN」とは?

──まずは、通算7回目の日本武道館ワンマンを開催することになった経緯を教えてください。

タイトルになっている「This is ACIDMAN」とは、2021年から行っているワンマンライブの名称です。この公演を行うことになったきっかけは、ライブの制作スタッフから「年に一度“必ずある”ライブをやりませんか?」と提案されたこと。毎年3月11日に福島で「ACIDMAN LIVE in FUKUSHIMA」を開催し続けているように、ファンにとって“必ずある”ライブには意味があるのではないかと思ったので、そこから毎年メジャーデビューの周年企画として、デビュー日前後にワンマンをやることになりました。それが好評で、4回続けるうちに「全国でも展開したい」という思いが生まれ、さらに「このスタイルで武道館でもやれたら」という話が出た。調べると今年できれば7年ぶり、しかも通算7回目というタイミングだったので、「これはやるしかない」と開催を決めました。

──「This is ACIDMAN」について、ほかのインタビューで「レ・ミゼラブル」のように、同じ演目を毎年繰り返すことに意味があるとおっしゃっていたのが印象的でした。そうした発想はどこから出てきたのでしょうか。

「This is ACIDMAN」をやるうえで、セットリストを事前に公開しようというアイデアを出しました。僕も、誰かのライブに行くとき「あの曲やるかな」とワクワクするけれど、例えば舞台や演劇のように、「今年はこのセットリストです」と明かしたうえで見せるライブがあってもいいんじゃないかと考えたんです。セットリストを見てお客さんが「観たいかどうか」を自分で選べる。それで人が集まるならバンドとして本物じゃないかという、ある種の実験でした。ただ、今回は全国ツアーになったことで、僕自身がいろいろ考えすぎてしまい、結果として毎公演セットリストを変えることに……完全に本末転倒ですね(笑)。

──とてもユニークな試みですが、ファンや周囲の反応はどうでしたか?

ネタバレを避けたい方のために、セットリストを見たい人だけ見られるようにしたので否定的な意見はほとんどありませんでした。実際セットリストを確認してから観に来てくれたのは、全体の半分ぐらいかな。「事前に知ったほうがより楽しめた」という声が多かったですね。5年目にして、この試みはかなり成功していると感じています。

大木伸夫

──ツアーのセットリストを毎回変えることにした理由は?

最初はそのつもりじゃなかったんです。基本は同じセットリストで回り、各地で微調整していく、くらいに考えていたんです。でもある日突然、「これじゃ物足りない」と思ってしまって。「This is ACIDMAN」のセットリストはいつも、シングル曲やミュージックビデオを発表している曲を中心に構成しているのですが、それでも候補が山ほどある。それを眺めているうちに、「この曲もやりたい、あの曲も入れたい」と。結局、毎回セットリストを変えることになり、今はほぼ毎日パニック状態です(笑)。

──今回は各公演で「ライブで聴きたい曲」の投票企画もありました。その中で意外な曲が選ばれたことはありましたか?

1曲だけファン投票で決めるというのを各地でやったのですが、どの会場も予想外の結果でした。もっと定番曲が選ばれると思っていたら、意外な曲に多くの票が集まっていたりして、必死に思い出しながら演奏しました。新潟と神奈川は偶然にも「カタストロフ」が1位で、「リハ1回分、助かった!」と内心ホッとしました(笑)。

──武道館では照明や映像など、何か特別な演出も考えていますか?

現在セットリストを作成しているところですが、今のところは変わったことはあまり考えていなくて。ただ、演出に頼らず音楽そのもので勝負するというのもいいなと思っています。

エンタメとビジネスは両立させるべき

──実は、大木さんが会社経営をされている点についても伺いたくて。スタッフも抱えている中、ビジネスとしての視点と表現者としてのこだわり、そのバランスはどう取っているのでしょう?

一般的には「エンタメとビジネスは両立しない」「夢とお金は別物」と思われがちです。僕も昔はそう考えていました。お金の話をするのはアーティストらしくない、カッコ悪いって。でも今は、むしろ両立すべきだと強く思っています。音楽を続けるには、生活のためのお金が必要だし、作品を作ったりライブをやったりするためにも資金がいる。それを守れなければ、そもそも音楽ができなくなってしまう。だからまず、メンバーや社員の生活を守ることが軸にあります。

──生活があってこそ、表現ができると。

もちろん、「これは人生を懸けるタイミングだ」と思えば、採算度外視で突っ走ることもあります。音楽をやるためにお金が必要だけど、お金のために音楽をやっているわけじゃない。お金を目的にしてしまったら、人生を懸ける意味なんてないと思うんです。理想はやはり、やりたいことを徹底的にやり切って、それが結果としてちゃんと収益につながり、みんなの生活が守られること。その仕組みをどう作るかが重要で、大きな責任もあると同時にやりがいもある。楽しい仕事だなと思っていますね。

大事なのは自分の命をどう輝かせるか

──そうした中、言いたいことや伝えたいメッセージも変わってきましたか?

より“濃く”なってきた感じがします。歳を重ねれば重ねるほど、子供の頃の自分の考えや感覚が合ってたと気付くんです。小学生の頃から宇宙の話をよくしていたのですが、当時は「オカルトだ」「変なこと言ってる」と散々笑われていました。でも今は、本当に宇宙時代へと近付いてきている。地球全体を1つと捉えるグローバルな視点も大事だけど、僕の考えとしては、さらにその外側にあるユニバース、宇宙視点で物事を見ることが大事なんじゃないかと感じています。

──宇宙視点ですか。

僕らの命って本当に一瞬のものじゃないですか。だからこそ、例えばお金ごときでその命を棒に振ってはいけないし、苦しんではいけないと思うんです。どんなに小さなお金でも、稼げて生活さえできていたらそれでいい。それ以上の大きなものを得ようとして命をすり減らすのは、本末転倒だと思うんですよね。それに、僕がずっとテーマにしているのは、「争い合うことへの違和感」なんです。ときには命懸けで何かをやるのはすごく大事です。でも、他者を傷付けたり殺したりしてまで守る命というのは、違うんじゃないかと思います。人間は、進化の過程で理性を手に入れたからこそ、コミュニケーションを通じて理解し合える。その力をもっとちゃんと使わないといけない。そういった意味でも俯瞰した視点で物事を見るというのは、宇宙からのメッセージだと僕は感じていて。それを多くの人に伝えたいという気持ちが、音楽を作るモチベーションになっていますね。

大木伸夫

──とても興味深いです。

そんな僕の言葉で「なんかちょっと考え方が変わったな」「少し楽になったな」と思ってくれる人が、1人でも増えたらそれでいい。もともとは、カッコつけたくて、モテたくて音楽を始めたんですけど。でも今はもう最初のような気持ちはあまりない。お金も同じで、単に稼ぎたいというモチベーションだけでは何十年も続けていけないんです。

──特にコロナ以降、世界は本当に混迷しているというか、日本の経済、社会、政治的な面でも、さまざまな問題が複雑に絡み合っていると感じています。そんな中で、ACIDMANの音楽が持っているメッセージはより切実に響くのではないかと。

僕は、コロナ前とか以降とか、そういう区切りであまり考えないです。「ずっと世界は混迷してるんじゃないか?」という感覚。でも同時に、世界はよりよくなってきているとも思います。ちゃんと目を凝らせば……例えば貧困も、世界全体で見れば実は減ってきている。紛争も、ここ数年で増えているように見えるけど、歴史的に見ればものすごく減っている。そういうよくなってきている面にも目を向けないといけない。人間、捨てたもんじゃないと。もっともっと、いいものを見て、ポジティブなほうも見て生きていこうと伝えたいです。

──ポジティブな姿勢こそが、今は大事だと。

そうですね。物事をポジティブに捉えて、自分の命をどう輝かせるかに意識を向けていく。それができたら、きっといい人生だと思えるはずです。例えば今から数千年後、僕らのような人類が地球上からいなくなり、別の知的生命体が教科書みたいなもので地球の歴史を学んでいたとしたら、僕らの項目なんてきっと1行「かつて人類という種がいた」程度の扱いだと思うんです。その“1行”の中で、僕らは右往左往しているわけです。それくらいのスケールで物事を見たら、少し楽になりませんか? でも僕らはその“1行”のために生きてるわけではない。今、この瞬間の、自分自身の人生を生きている。それは自分だけのものだし、同時に世界中すべての人のものでもある。だからこそ、誰かの人生を侵略したり侵害したりしてはいけない。お互いの心を尊重し合っていけたらいいなと思うんです。きれいごとと言われるかもしれない。だけど、僕はそのきれいごとを信じて生きています。太古の昔から誰かがきれいごとを言い続けてきたからこそ、世界は美しくなってきたはずだと。