オーディション企画「0年0組 -
セルフプロデュース作品第1弾となる「OSHIBAI」は、心の葛藤から自己を解放する過程をストイックに描いた楽曲。作詞にはメンバーの齋木春空、KEIGO、ITARUがクレジットされている。
これまで“オルタナティブ歌謡舞踊集団”というコンセプトを掲げてきた龍宮城が、改めて“オルタナティブ”というジャンルに向き合った1曲となっており、力強い説法のようなバースセクションから優しく繊細なサビのメロディックな展開へと、めまぐるしく人物が変わっていくような多様性を表現している。
龍宮城 / OSHIBAI -Music Video-
「OSHIBAI」セルフライナーノーツ
齋木春空
弱い自分に打ち勝てるように、弱い自分を鼓舞する為の原動力を形にしたのが「OSHIBAI」という曲です。
誰しも持ってる2人の自分。
いつの間にか持ってる人もいれば、
自分を守る為に、自分をコントロールする為に心に宿してる人もいるでしょう。
そんなに深く考えないでも良かったあの頃。
いつからか責任感が伴い「大人」へとなる。
なりたくてなった訳じゃなくても、
成らないといけなかった。
成らざるを得なかった。
そんな誰かにならなきゃやっていけないほど
誰かが守ってくれなきゃ生きていけないほど
辛くて、時には自分をせめたくなるけれど自分を嫌いにならないで欲しい。
「憎悪」よりも「慈愛」から希望を見出して
明日の自分を好きであれる今日を生きるために
この曲と共にいつの日も
前向きに、ひたむきに進めますように。
KEIGO
人と違うから優れている
人と違く在ろうとする
そうではなくて、
「自分らしく在る」ということ。
何よりも強く、美しいと、僕たちは信じてる。
龍宮城の音楽を受け取ってくれる人の背中を、
少しでも後押しできると願って、僕らは常に踠き、進み続ける。
常に新しいものと巡り合い、変わりゆく中で、
時を忘れ、心から音楽を楽しいと感じる、
美しいと感じるライブを届けるのは元より、
これから先も、龍宮城の音楽、表現に抱く熱い想いは変わらない。
これだけは確かなこと。
音楽に誠実に向き合って
終わりのない表現を突きつめて
この先の出会いに、いつまでも胸を膨らませて
龍宮城を生きる
ITARU
「芝居」
この言葉には様々な意味があると思います。
誰かを演じる 誰かになりきる
調べると、語源は「芝の上に居てみる」
というものからきたとのこと。
そんな芝居というものが
どのように自分達と関わりがあるのか。
それはほんの目の前にあって。
毎日を戦っていると
1人の自分では、
扱いきれない
逃げたくなる
そんな時があると思います。
けれど
そこで戦い抜くために
新しい自分を見出したり
勇気をだして
いつもは躊躇っていることに挑戦してみたり。
そうやって
何度も何度も
自分を更新していって
自分という層を厚くしていく。
それが日常にある芝居であり、
新曲「OSHIBAI」に込められた思いです。
リンク
さくら🐴🐉 @umauma_sakura
この圭吾さんの言葉通り個性というのは「人と違うことをする」のではなくてとことん「自分自身の深掘り」からしか生まれないと思う
どれだけ忠実に模倣しても漏れ出てしまうのが自分の手グセ、個性
個性を追求する過程で何かに似てしまったとしてもそれもその人の個性だから☺️
長い目で応援したい☺️ https://t.co/A2bUAcrkYS