「男はつらいよ」シリーズのさくら役などで知られる女優・倍賞千恵子の映画人生を振り返る特集上映「女優・倍賞千恵子」が、9月2日より東京・神保町シアターほか全国で順次開催される。それを記念し、映画ナタリーでは特集を展開。まずは自身もよく名画座に足を運ぶという映画監督・入江悠に、今回上映される作品の魅力をコラム形式でたっぷり語ってもらった。また名画座ファンにはおなじみ、のむみち作成のフリーペーパー・名画座かんぺの「女優・倍賞千恵子」特別バージョンを掲載。さらに映画を愛する女優・柳英里紗による神保町シアター探訪記も! 3本立ての企画とともに、「女優・倍賞千恵子」の楽しみ方をお届けする。
「SRサイタマノラッパー」シリーズで一躍その名を広め、「22年目の告白ー私が殺人犯ですー」では週末動員ランキング1位を獲得した入江悠。今でも神保町シアターをはじめ名画座に足を運ぶという彼は、もちろん“女優・倍賞千恵子”も好きで、過去には「男はつらいよ」シリーズを最終作から逆にたどっていくという独特な方法で全作鑑賞したこともあるとか。そんな入江に、今回の特集上映のラインナップから注目作品について執筆してもらった。
高校を卒業したあと1年くらいひきこもりみたいな生活をしていたことがある。
連日レンタルビデオを借りてきて朝から晩まで、晩から朝まで、飽きることなく観つづけていた。そのなかで、「男はつらいよ」を最終作48作から第1作目までさかのぼって観ていくということをしたことがある。
徳永英明の曲を背景にバイクで疾走する道楽息子の満男(吉岡秀隆)は、みるみるかわいい少年に若がえり、両親の遺伝子のなかに消えた。晩年、畳の上でごろごろすることが多かった寅さん(渥美清)も足腰が若がえり、葛飾柴又で荒れ狂う元気いっぱい迷惑な渡世人になっていた。
諸行無常の響きあり。
「寅さん逆鑑賞」は僕にとって「平家物語」以上に人生のとりもどせなさを痛感させられる貴重な体験になったが、そんななかただ一人、終始一貫印象が変わらなかった方がいる。
それが倍賞千恵子さんだ。
倍賞さん演じるさくらはずっと「母」だった。
さくらは第1作で未婚、子供もいないが、それでもやっぱり「母」だった。おいちゃんもたこ社長も、もちろん寅さんもノンキな少年のようで、まるでさくらだけが家を切り盛りし、皆の趨勢に心を痛めて一喜一憂する「母」だった。
もっといってしまえば、ひきこもりのような生活をしていた僕にとって、倍賞千恵子さんは「日本人の母」の代表格のような女優さんだった。たとえ友人や恋人がいつか自分の前から離れていっても、「母」たる倍賞さんだけはずっといてくれる。そんな確固たる安心感があった。
これは自分が映画監督として映画を作るようになってわかったことだが(倍賞さんとお仕事をさせていただいたことはなく観る一方だが)、倍賞さんのちょっと不安げでありながらもまばたきの少ない強いまなざしは、観るものを安心させてくれる。倍賞さんの声は通りがよく、どの作品でも共演者の誰より滑舌が良い。まなざしと声。このふたつが素晴らしいから観客はそこに安心と安定を見る。
今回、神保町シアターで倍賞千恵子さんの特集上映がある。
出演作を観直してみた。初見のものもあった。
やっぱりそこに「母」はいた。
「あいつばかりが何故もてる」(酒井欣也監督 / 1962年)のマリ子(倍賞千恵子)は写真家志望の大学生だ。まだ結婚なんて考えていず、写真家の道を望む可憐な乙女。でも、自分の夢のために他人を犠牲にしたりはしない。周囲の男たちを見つめる彼女の視線は温かく、渥美清演じるやくざなスリにも等しく向けられる。彼女に恋慕したスリはそこに「母」を求めただろう。
「私たちの結婚」(篠田正浩監督 / 1962年)の冴子(倍賞千恵子)は姉の誠実な結婚を望んでいるが、他者のために奔走する姿はやっぱり「母」的だ。ひとへの世話焼きと自分の幸福を追求する精神が彼女のなかでいっしょくたになって、自分でも未分化のまま身体を突き動かしている。
「遙かなる山の呼び声」(山田洋次監督 / 1980年)の民子(倍賞千恵子)は、一人息子を育てながら北海道の大地で生活をしている。強く頼もしい母だ。だが特筆すべき点は、母として守るべき規範や子がいながらも、自分の幸福を欲望し男にすがりつくシーンだろう。母もまた一人の人間なのだ。
でも、倍賞さんを「母」としての存在だけに押し込めるのは、このくらいにしておいた方がいいだろう。倍賞千恵子という女優を一気に特集上映で観られる機会においては、一個の人間として彼女が揺れ動く姿をさまざまな角度で観られるからだ。
とくに、「離婚しない女」(神代辰巳監督 / 1986年)においては、彼女が息苦しい家のなかを飛び出して一人の女に戻ろうとする切実な闘争が描かれている。家族というものがある種の正気と狂気の端境の上に危うく成り立った制度であるとすれば、そこから飛び出すのも地獄、とどまるのも地獄、という状況で揺れる倍賞千恵子さんの姿は、まるで判で押したように「母」の烙印を刻もうとする観客への挑戦状だ。余談だが、倍賞千恵子・美津子姉妹の共演が観られるのもファンには嬉しい(雪の上を歩く二人の静かなバトル!)。
今回の特集上映で僕たちは、倍賞千恵子さんのどんな新しい面を発見できるだろうか。
ここでいうまでもなく、母にもさまざまな母のあり方があるだろうし、そもそも人間はさまざまな仮面をそのつどつけかえる社会的な生き物だ。『男はつらいよ』シリーズにかぎらず、年を重ねれば女優も俳優も変化するだろうし、ひととして何かを身につけて、何かを捨てていくだろう。さまざまな監督や共演者との化学反応も起きる。観る側の年のとり方やまなざしによっても、スクリーンから受けとるものは変わる。
今回は女優・倍賞千恵子さんの変遷を一挙に目撃できる千載一遇のチャンス。かつて僕が「寅さん逆鑑賞」で倍賞さんに出会ったように、新しく倍賞さんの魅力に出会う若い方が多くいることを切望したい。
都内名画座で毎月無料配布されているフリーペーパー・名画座かんぺ。名画座のタイムスケジュールが手書きでびっしり書き込まれているほか、コラムや新刊映画本情報など充実した内容で名画座ファンたちから親しまれている。発行人は東京・池袋にある古書往来座の店員、のむみち。今回は特別に特集上映「女優・倍賞千恵子」をフィーチャーした“かんぺ”を作成してもらった。B5サイズに印刷して四つ折りにすれば、通常の名画座かんぺにピッタリ挟めるサイズだ。映画鑑賞のおともに持ち歩こう!
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柳英里紗が行く!神保町シアター訪問記
- 特集上映「女優・倍賞千恵子」
- 2017年9月2日(土)より神保町シアターで開催
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女優・倍賞千恵子の出演作を集めた特集上映。20歳の倍賞がスクリーンデビューを果たした「斑女」をはじめ、初主演を務め主題歌も歌った「下町の太陽」、さくら役で知られる「男はつらいよ」シリーズの1作目、2014年公開「小さいおうち」など全17作品がラインナップに並ぶ。東京で開催後、神奈川・横浜シネマリン、大阪のシネ・ヌーヴォ、愛知・シネマスコーレなどへ巡回していく。
- 上映作品
- 入江悠(イリエユウ)
- 1979年11月25日、神奈川県生まれ。映画監督・映像作家。2009年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で「SRサイタマノラッパー」がファンタスティック・オフシアターコンペティション部門でグランプリほか多数の映画賞を受賞し、一躍注目を集める。そのほか主な監督作に「劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ」「ジョーカー・ゲーム」「日々ロック」「太陽」「22年目の告白ー私が殺人犯ですー」、テレビドラマ「ふたがしら」シリーズなどがある。大森南朋、鈴木浩介、桐谷健太をメインキャストに迎えた最新作「ビジランテ」は12月9日より全国で公開。
「男はつらいよ」©1969 松竹株式会社 「あいつばかりが何故もてる」©1962 松竹株式会社 「私たちの結婚」©1962 松竹株式会社 「遥かなる山の呼び声」©1980 松竹株式会社 「離婚しない女」©1986 松竹株式会社