「YPAM2022」台湾の振付家ブラレヤン・パガラファが語る「LUNA」からフリンジまで

「YPAM2022」が、12月1日にスタートする。「YPAM(横浜国際舞台芸術ミーティング)」は演劇、ダンス、パフォーマンスなどの実演型芸術に取り組み、その創造、普及、国際交流に従事する人々が集うプラットフォーム。1995年から2010年までは東京を拠点に「TPAM」として開催されたが、2011年からは横浜に拠点を移し、2021年に名称を「YPAM」に一新した。「YPAM」として2回目の開催となる今年は、主催公演プログラムである「YPAMディレクション」と交流プログラム「YPAMエクスチェンジ」、横浜芸術文化団体との特別交流による「YPAM連携プログラム」、そして公募プログラムの「YPAMフリンジ」という4つの柱で展開される。

ステージナタリーでは「YPAMディレクション」の幕開けを飾る、ブラレヤン・ダンスカンパニー「LUNA」に注目。台湾気鋭の振付家ブラレヤン・パガラファに作品に懸ける想いを聞いた。さらにそのほかの演目についてもプログラムディレクターの言葉を交えて紹介する。

ブラレヤン・パガラファが語る「LUNA」に込めた思い

ブラレヤン・パガラファ(Photo by Lafun Photography)

ブラレヤン・パガラファ(Photo by Lafun Photography)

「LUNA」は、ブラレヤン・パガラファ率いるブラレヤン・ダンスカンパニーが台湾の原住民族と漢民族のダンサーたちと立ち上げるダンス作品だ。高地に暮らすブヌン族に焦点を当て、彼らの暮らしや古謡に学びながら、心身の内側に入り込んでいく本作は、2018年の初演以来、国内外で高い評価を得てきた。

日本初演となる今回、クリエーションの背景や台湾のダンスを巡る状況について、ブラレヤン自身が語った。聞き手を舞踊評論家の乗越たかおが務める。

取材 / 乗越たかお文 / 熊井玲

ブヌン族の歌から生まれた「LUNA」

──近年、日本でも若者をはじめ、台湾の文化に興味を持つ人は増えましたが、原住民族のことについてはまだまだ知らない人も多いと思います。本作はブヌン族最大の集落である羅娜(Luluna)の歌から想を得て立ち上げられたそうですが、クリエーションの背景から教えてください。

この作品のクリエーションについてお話しする前に、私が主宰するブラレヤン・ダンスカンパニーの立ち上げについてお話ししますね。私は台東嘉蘭地区生まれのパイワン族(2020年1月現在約10万人 / 台湾原住民族委員会調べ)出身で、クラウドゲート舞踊団やニューヨークでの活動を経て2015年にカンパニーを設立しました。台湾には現在公認されているだけで16の原住民族がいて、それぞれ異なる地域に住み、異なる踊りや歌を伝承発展させています。私はそういった集落ごとの伝統的な踊りや歌を研究しながら、現代に発展させていくことが大事だと思いカンパニーを立ち上げました。以来、さまざまな民族について調査してきましたが、ブヌン族(2020年1月現在約6万人)の集落を訪れたとき、彼らがある歌を練習しているのを聴いて非常に感動し、本作を作ろうと思いました。

「LUNA」より。(Photo by Lafun Photography)

「LUNA」より。(Photo by Lafun Photography)

──作品を作るだけでなく、原住民族の文化の研究もカンパニー設立の理由だったんですか?

そうです。私はクリエイターとして、自分が誰なのか、自分はどこから来た者なのかを問い続けながら創作しています。幼い頃に学んだ踊りはバレエやコンテンポラリーなど西洋のものでしたが、自分探しをしたいと思って、カンパニーを作ったんです。なぜなら私たちの世代は“母語を失った世代”です。私の両親は母語つまりパイワン族の言葉を使わなかったので、私は話せません。でもクリエイターとして“完全な自分を求める”以上は、自分の母語を求める必要があると考えています。そこでカンパニーを作ったときには、まず16の民族の文化や言葉を学びたいと思いました。私たちは美しい作品を生み出す豊かな感性と伝統を持った原住民族が今も存在していることを知り、いろいろなことを作品から吸収してほしいと思っています。

「LUNA」より。(Photo by Lafun Photography)

「LUNA」より。(Photo by Lafun Photography)

「LUNA」より。(Photo by Lafun Photography)

「LUNA」より。(Photo by Lafun Photography)

──台湾の原住民族が“母語を失った”背景には、歴史的に日本や中国が強いてきた同化政策があります。台湾では1996年ごろから民族の尊厳と文化を復活しようと、原住民族委員会を設置し、台湾諸語をはじめとする原住民族の文化の復活を掲げていますね。今のお話を聞いて、なぜパイワン族のブラレヤンさんがブヌン族の文化にフィーチャーした作品を作ったのか納得しました。「LUNA」では歌が重要な役割を果たしていると思いますが、あれはブヌン族の歌なのですね?

そうです。ただ調べてみると、ほとんどが先祖を祀るときにしか歌わない歌だったので、楽曲選びの際はブヌン族の方に許可を得るなど、とても慎重に行いました。例えば「Pislahi」は狩りに行く前に歌う歌で、たくさんの獲物や収穫を願って祈る歌です。「Malastapang」はもともと戦地で取った敵の首級を味方に報告する戦果の歌でした。現在は戦いではなく狩りの歌になっています。

これらの楽曲を使って作品を作ろうとしましたが、私のカンパニーのダンサーたちは二十、三十代と若く、狩りの経験もありません。歌に込められた思いをどう表現するか、なかなかつかめませんでした。そして3回目の現地調査でブヌン族の村に行ったとき、90歳になる村の長老に相談してみました。するとその長老が若いダンサーたちに「今までの人生で皆さんが最も誇りに感じたことを思い出してみてください」とおっしゃったんです。それはこの歌が“自分の戦果を報告するもの”なので、狩りがわからなくても“自分を誇る思い”は真実であるべきだ、という考えからでした。そこでダンサーたちは、過去の体験を語り始めたのです。あるダンサーは父親が早く亡くなり、長男として母や弟たちの世話をしながら踊りを続けてきた。また別のダンサーは28歳からダンスを始めて、絶え間ない努力を重ねたからこそ今は素晴らしい表現者になれた、などの話が続きました。長老もその息子さんも「そんな苦労があったのか」と非常に感動されていましたね。

「LUNA」より。(Photo by Lafun Photography)

「LUNA」より。(Photo by Lafun Photography)

──「Malastapang」では、2組に分かれたグループがコールアンドレスポンスのようにやり取りして場面を盛り上げます。彼らが語っているのは、もともとの狩猟に関する言葉なのでしょうか、それとも今お話しいただいたダンサー個人についてのエピソードなのでしょうか?

歌っている内容はダンサー自身のことで、狩猟のことではありません。しかしたとえ言葉がわからなくても、ダンサーが自分の真実の体験を語る力強さは、肌で感じられると思います。

「自分とは何か」を表現し続けることの重要性

──ブラレヤン・ダンスカンパニーには、パイワン族以外にもいろいろな原住民族のダンサーがいて、漢民族のダンサーもいらっしゃると伺いました。現在はどんなメンバーがそろっているのですか?

えーと……(指折りして確認しながら)6民族ですね。

──現在、原住民族の方の社会的な立場は、以前より良くなってきていますか?

もちろん以前に比べると良くなってきています。が、まだまだ改善すべきところがあると思います。私個人としては、歴史的に見ると台湾の民主化、自由化は進んでいますが、原住民族1人ひとりが「自分とは何か」を歌やパフォーマンスを通じてもっと表現していくこと、原住民族の存在に触れてもらうことやそのための努力が大事だと思っています。それが実現すれば、待遇や社会的地位はどんどん良くなるでしょう。

「LUNA」より。(Photo by Lafun Photography)

「LUNA」より。(Photo by Lafun Photography)

「LUNA」より。(Photo by Lafun Photography)

「LUNA」より。(Photo by Lafun Photography)

──今回焦点を当てているブヌン族は高い山の上に暮らしています。それはかつて日本軍が強制的に移住させたという歴史がありますが……。

そのことについてのわだかまりは、まったくありません。これは大前提ですね。というのも、私たちは昔の人たちと同じ気持ちになることはありませんし、当時を知る長老たちも、今はそのような思いは抱いていません。歴史は歴史で、今の人たちはより良い生活を求めるのが一番大切だと考えています。

2022年11月28日更新