上田久美子がつづる太陽劇団の情熱と日常、そして「金夢島」開幕までの2週間

太陽劇団(テアトル・デュ・ソレイユ)「金夢島 L’ILE D’OR Kanemu-Jima」が10月に東京、11月に京都で上演される。太陽劇団は演出家アリアーヌ・ムヌーシュキンを中心にフランスを拠点に活動する演劇集団で、2021年に来日予定だったが、コロナ禍によって2度にわたり公演が延期になり、今回、実に22年ぶりの来日となる。

そんな貴重なチャンスとなる今回の公演に向けて、2021年にフランスの太陽劇団の本拠地を訪れる機会を得たという演出家・上田久美子に、太陽劇団の創作現場“体験記”をレポートしてもらった。なお東京公演は「東京芸術祭 2023 芸劇オータムセレクション」の1プログラムとなっている。

構成 / 熊井玲

22年ぶりに来日、世界が注目する太陽劇団

舞台作品の難しいところは、そのアーティストや作品を実際に目撃していないと、実際に目撃した人の感動や衝撃を同じようには知り得ないということだ。太陽劇団の場合も然り。何しろ22年ぶりの来日なので、日本以外での上演や2001年の初来日作品「堤防の上の鼓手」を目撃した人でなければ、太陽劇団がなぜこれほどまでに注目されるのか、アリアーヌ・ムヌーシュキンがなぜ世界的演出家と呼ばれるのか、「金夢島 L’ILE D’OR Kanemu-Jima」がなぜ必見の作品であるか……その理由が、実はあまりよくわからないのではないだろうか。

アリアーヌ・ムヌーシュキン©Archives Théâtre du Soleil

アリアーヌ・ムヌーシュキン©Archives Théâtre du Soleil

本特集では、演出家・上田久美子にレポート執筆を依頼。上田は2021年の秋、フランスで太陽劇団に2週間ほど滞在し、その知られざる日常と創作の様子を間近で体感している。上田の生き生きとした文章から、そんな太陽劇団の創作にかける情熱や喜び、知られざる日常の姿が垣間見え、「金夢島 L’ILE D’OR Kanemu-Jima」への期待がさらに高まる。

太陽劇団、そして「金夢島 L’ILE D’OR Kanemu-Jima」とは?

レポートに入る前に、今一度、太陽劇団と「金夢島」の概要をおさらいしよう。太陽劇団は1964年にフランスで設立された団体で、パリ郊外のカルトゥーシュリ(旧弾薬庫)を活動拠点としている。弾薬庫をリノベーションして作られたカルトゥーシュリは、劇場やアトリエのほか、劇団員の住居や食堂を備えた一大施設。世界を驚かせる作品の数々が、ここから誕生した。

そしてフランス革命を題材とする「1789」で一躍脚光を浴びた太陽劇団は、1970年以降、現代演劇のトップランナーとなり、カンボジアの大虐殺を描いた「カンボジア国王ノロドム・シアヌークの恐ろしく未完の物語」や、東京芸術祭 2022 芸劇オータムセレクション「WORLD BEST PLAY VIEWING ワールド・ベスト・プレイ・ビューイング」(参照:太陽劇団とITAの作品世界に映像で浸る5日間「WORLD BEST PLAY VIEWING」)で上映された、劇作家モリエールの人生を描いた映画「モリエール」、難民問題に焦点を当てる「最後のキャラバンサライ(オデュッセイア)」など、歴史性・社会性の高い作品を次々と手がけている。

「1789」(1970年)より。©Gérard Taubman

「1789」(1970年)より。©Gérard Taubman

太陽劇団を率いるのは、1939年フランス生まれの演出家アリアーヌ・ムヌーシュキン。ムヌーシュキン作品は、歴史と政治を主題にした鋭い作品テーマや、古今東西の伝統芸能を取り入れた豊かな演出、ヒエラルキーのないフラットな集団創作などを特徴とする。太陽劇団は2001年に初来日。その時上演した「堤防の上の鼓手」は、俳優が“黒子”によって人形のように操られるという、文楽の技法を取り入れた演出で、大きな話題を呼んだ。これは、太陽劇団が目指す“リアリズムから抜け出す”こと、また身体性を強く打ち出すことを体現した総合芸術作品で、太陽劇団の集大成とも言われた。なおムヌーシュキンは長年の功績により、2019年に科学や技術、思想・芸術の分野に貢献した人に贈られる京都賞を受賞している。7月に行われたオンライン取材会(参照:アリアーヌ・ムヌーシュキン、太陽劇団「金夢島」誕生のきっかけは「実現しなかった佐渡島への旅行」)で、ムヌーシュキンは「『金夢島』が完成した要因の1つは、2019年に私が受賞した京都賞です。日本、そして京都には感謝の気持ちでいっぱいです」と語っている。

「堤防の上の鼓手」(1999年)より。©Michèle Laurent

「堤防の上の鼓手」(1999年)より。©Michèle Laurent

その太陽劇団が、22年ぶりに来日公演を行う。「金夢島 L’ILE D’OR Kanemu-Jima」は、2021年に彼らの本拠地であるカルトゥーシュリにて初演された作品で、日本と思われる架空のある島を舞台に、国際演劇祭で町興しを目指す市長派と、カジノリゾート開発を企む勢力の攻防を描くもの。7月のオンライン取材会で、ムヌーシュキンは「金夢島」のアイデアの発端にはコロナ禍により“実現しなかった佐渡島への旅”があったと明かし、「病に臥せているヒロインの夢の中、つまり劇によって、私たちができなかった旅行を実現したいと思いました」と語っている。なお「金夢島」の創作には能楽師の大島衣恵、狂言師の小笠原由祠、前進座俳優陣など日本の演劇人が多数関わっている。太陽劇団、そしてムヌーシュキンと日本の長きにわたる関係性の中で誕生した「金夢島」を、ぜひ日本で目撃したい。

東京公演は10月20日から26日まで東京芸術劇場 プレイハウス、京都公演は11月4・5日にロームシアター京都 メインホールにて行われ、関連企画として2024年1月末まで早稲田大学演劇博物館にて「太陽劇団『金夢島』来日記念特別展示」、10月13日から15日にロームシアター京都にて「太陽劇団作品などの上映(ロームシアター京都フィルムプログラム)」、29日に京都芸術劇場 春秋座(京都芸術大学内)にて「太陽劇団『1789』上映&アリアーヌ・ムヌーシュキンとのトーク」、11月1日にロームシアター京都にて「太陽劇団による演技ワークショップ」が行われる。

「最後のキャラバンサライ」(2003年)より。©Michèle Laurent

「最後のキャラバンサライ」(2003年)より。©Michèle Laurent

演出家・上田久美子が見て触れた、太陽劇団

太陽劇団の日常

「金夢島」の作品とその美しさは他でも紹介されていると思いますので、私はこの唯一無二の劇団の、別の美しさをお伝えしたいと思います。2021年の秋、パリでの初日を控えた太陽劇団の稽古場を見学させてもらえることになり、2週間ほど生活を共にしました。私の勉強のためとして紹介くださった日本大学芸術学部教授の奥山緑さんと太陽劇団の友情に感謝したいと思います。当時、自分のために忘れまいとメモしたものを書き直して、皆様にご覧いただけたらと思います。

朝10時に皆で劇場に集まり、輪になって立つ。俳優だけでなく技術スタッフや食堂スタッフも全員集合なので、60人ぐらいの大きな輪ができている。輪の真ん中で、もとは倉庫だった大空間に響く肉声で話すのは、この劇団の主人、アリアーヌ・ムヌーシュキン。日本人からすると朝礼だ。ここでは全員で労働をするので作業の手分けが必要で、アリアーヌが自ら「机運びに4人欲しいけど空いてる人!」などと分担を決めている。午前中は俳優たちも、劇場設営を手伝ったり大道具を作ったり掃除をするのである。

カルトゥーシュリの様子。©まつかわゆま

カルトゥーシュリの様子。©まつかわゆま

正午過ぎになると、キッチン担当のアフガニスタン人アジズがカランカランとベルを振って場内を歩き回り、食事ができた合図。手の空いた人から食堂のビュッフェを皿に盛り、外のテントに持っていってわいわいと食事する。太陽劇団の本拠地「カルトゥーシュリ(旧弾薬庫)」は、その名の通り、昔は弾薬の倉庫にも使われていたから人里離れている必要があって、今も周囲をヴァンセンヌの森に囲まれていて食事処もないので、外から用事で来た人や私なども、必然的に無料でこの昼食に参加することになる。何もしない見学者がタダ飯でいいのか?と思い、サンドイッチを持っていくべきか?と思ったが、劇団の信条を考えると、仲間外れの人がいる状況は好まれそうにないので、ご飯を食べさせてもらう代わりに皆の作業を手伝うことに勝手に決めた。厚かましい感じだが、謙遜してフォローされるのを待っている日本人ぽい遠慮は先方も困るだろう。「手伝おっかな?」という感じで勝手に何かやりはじめれば、すんなり受け入れられる。もともと劇団では、演劇も労働であるという趣旨と、平等主義から、専門分野に関係なく手伝いあうのは普通のことらしい。稽古で行き詰まったときには、作業場で肉体労働を手伝ったりペンキを塗ったり、体を動かすことで頭を空にしてバランスをとる俳優もいる。ちなみに、キッチン担当者でも照明音響映像スタッフでも、多くの人が正規の団員として同じ月給で雇われていて、トップであるアリアーヌから主演俳優から守衛まで、みな報酬は平等だと聞いたことがある。

カルトゥーシュリの様子。©まつかわゆま

カルトゥーシュリの様子。©まつかわゆま

食事のときは、いろいろな輪ができている。正確ではないが3分の2以上がフランス出身ではない俳優のように思える。私という新参者が彼らの中に座ってもあまり気詰まりなこともない。昼食は劇団員から本音らしき話を聞ける貴重な機会でもあった。40、50年前のドキュメント番組で団員のインタビューを見ると、芝居をすること以上に共同体であることがまず目的、というような話もあったが、今は考えは人それぞれのようだった。今もそういったコミュニティのメンタリティはあるしここはユートピアだと思うという人、全く気にしたことはなく劇団の作品が好きだからここにいる人、アリアーヌの演出の確かさを信じてここにいる人などいろいろだった。

ムヌーシュキンに感じる、演出家筋肉

芝居の稽古は午後から。今作は集団創作で、テーマを演出家が決めてそれに対して俳優たちが自発的にグループになって場面を作り、演出家に提案して、それらの実験をかさねて一つの物語に編集していく作り方だ。

初日より1年半前の稽古中から、本番と同じ舞台で稽古をしてセットも小道具衣裳も全てあり、照明も音響もすべて本番のものを本番のスタッフがオペレートをしているというのは、日本では考えられない。実験のような作り方で1年半も稽古するので、新しい場面が追加されたりカットになったり作品は日々変化していく。大道具なども、場面が無くなれば潔くカットになるし、今回、染色家のイザベル・ド・メゾンヌーヴが染めた巨大な絹布が使われているが、本当はもう一種類作っていて、川を模した手絞りの波模様の素晴らしいものだったのに場面がなくなりお蔵入りになってしまった……とイザベルは笑いながら嘆いていた。

カルトゥーシュリの様子。©まつかわゆま

カルトゥーシュリの様子。©まつかわゆま

ダメ出しでは、アリアーヌは通し稽古を見ながら書いたメモを手に、素晴らしいテンポと心に真っ直ぐ届くような正直なトーンで、俳優たちに「私の子供たち」と語りかけながらどんどんダメ出ししていく。手元を見ずに走り書いたメモがミミズのようで読めないだとか、即座に意味を思い出せないようなことはゼロだ(これは本当にすごいことで、私の場合、解読できなくてモタモタするうちに皆が眠くなる)。ごくたまに、アリアーヌが、「奥の台車……って書いてあるけどこれ何だっけ……」などと言うと、俳優の誰かが即座に「私とアリスが布を引っ掛けてしまったときのことでは、アリアーヌ?」「まさにそう! ありがとうドミニク!」「誰かが私の右で手伝えばうまくいくはずだけど誰か来れる人?」「僕がいけるよ!」などとチームワークがすごい。でもダメ出し中に、誰かが何か意見を言うとそれにさらに意見を言う人が現れそこに同時に話す人が現れ…と小鳥たちのさえずりのように自己主張が止まらなくなり、アリアーヌに「シー!」と止められることもよくある。アリアーヌ・ムヌーシュキンの前だからと遠慮はしないのだ。なお、アリアーヌがどのように通しを見ているのだろうかと盗み見ていたのだが、手元のテキストと舞台をテンポよく交互に見ながらダメをとり、セリフを飛ばした俳優へのプロンプも全て自分で完璧にしておられた。演出家を経験したことのある人は少ないから凄さが伝わりにくいだろうが、これは60年以上鍛えてきた演出家筋肉としか言いようがない。

ダメ出しの後はおやつの時間を取り、いくつかの場面の小返し稽古をして21時頃解散。森は真っ暗で、私など帰る足のないメンバーは、団員の車に便乗させてもらって最寄りの地下鉄まで帰る。

初日前の宴が連帯を生む

初日の前の土曜日は、会場設営作業を俳優も事務スタッフも全員で手伝う日。私は広大なホールの床にペンキを塗る作業チームに志願して一日中かがみこんでいたら、筋肉痛で大変なことになったが、俳優たちは初日前にそれをこなしていて強靭だ。驚いたのは、一番疲れているはずのアリアーヌ自身、1日中全く座ることなく劇場中を歩き回り、時には作業の先頭に立って、並べる机の間隔については人が通りやすい距離を自らメジャーで測り、休まず働き続けていたこと。私が床を這いまわってペンキに挑んでいるところに通りかかると「あんた大丈夫?」と笑いながらとても楽しそうだった。演出家にとって新作開幕前のこのタイミング、それどころじゃないように思うけれど、こういった連帯のあり方が、芸術家の孤独とか不安を解消することもあるのだろうか。

その夜は慰労のパーティーが用意されていて、たくさんお酒も用意され、見るとアリアーヌ自らソーセージを切って準備している。悪いような気がして、やることがありますかと寄っていくと、「ただ楽しみなさい!」と断られた。

存分に飲み食いし、その日が大道具のジョーの誕生日だということで皆で誕生日の歌を歌い、それだけでは飽き足りず、古株俳優の音頭で、皆で手を繋いで輪になり何か知らない古い歌を歌う。フランス人以外は口パクだが、ノスタルジックで温かいメロディと、皆の感慨の入り混じったしんみりした連帯を感じ、人とつながることで生きる力を得るとはこう言う感じなのかと、今までよりよくわかった気がした。

カルトゥーシュリの様子。©Archives Théâtre du Soleil

カルトゥーシュリの様子。©Archives Théâtre du Soleil

いよいよ初日を迎えて…

初日の朝も朝礼をして、観客を迎えるための最後の準備を皆でやる。この日も、アリアーヌが俳優らを率いて自転車置き場を整理して観客のための駐輪スペースを確保している。俳優たちは、あからさまに緊張してそのことを周囲に訴えてうろうろしている人や、ワクワクしてきた!とエキサイトしている人や、黙り込む人などさまざま。1年半かけて準備した数年ぶりの初日だから、日本人の考える公演初日よりかなり特別なのかもしれない。

いよいよ開場時間になる。観客は早くに到着し、開演前の時間を、客席の隣のホールで飲んだり食べたりしてすごす。このホールは、先日の土曜日の作業のおかげで、芝居が始まる前から素晴らしい異世界を出現させている。

アリアーヌの指揮のもと見事に等間隔に並べられた机や、その上のランタン(日本の電球色のオレンジ色を出すために、大御所俳優たちが何日もかけて手作業で電球にセロファンの覆いを巻き付け、組み立てて作ったのだ)が輝いて、日本ではないけれど日本的な夢を出現させている。椅子は赤と黒の二色があるけれど、どの順番で色を並べるかもアリアーヌの指定だ。テーブル上の箸立てやナプキンやランタンや消毒液も、すべて決まった順番で等間隔に並べて、それらのテーブルが巨大なホール一面に繰り返しの模様を描いているのは壮観だ。異文化の美を一度分解して組み立てなおしたような、リアルより美しいパッと冴えたビジュアルは、太陽劇団の全ての作品に共通していると思う。

カルトゥーシュリの様子。©まつかわゆま

カルトゥーシュリの様子。©まつかわゆま

観客が入ってくる頃、私やスタッフたちがホールでうろうろしていたら、アリアーヌが来て「隠れて!」と言う。一番乗りの観客が最初にそのホールに足を踏み入れるとき、ごちゃごちゃとスタッフが見えるのはよくないと言う。それで皆で隠れて、ホールの端の扉のところにぎゅうぎゅう詰めになって首を突き出し、最初に入ってきたお客さんが、美しく飾られたホールに、どんな反応をするかと覗く。普段は少々気難しそうなベテラン劇団員もワクワクと紅潮した顔を見合わせ、皆で押し合いへし合いしながら、サプライズを仕掛けた子供のようになって息をつめて見守った。最初に入ってきた観客たちは、入り口に立ち止まってなかなかこちらへ進んでこない。思いのほか静かである。「驚いて声も出ないんだわ!」とぎゅう詰めの中のベテランがうれしそうにささやいた。

入り口では、昨日までの一週間と全く同じセーターを着たアリアーヌが、チケットをもぎっている。中に入ると、バーカウンターでは本業を終えた背景係やシャトルバスの運転手が三角巾をかぶって軽食を売って、物販コーナーでは発音矯正の先生や衣装デザイナーのマダムも売り子になっている。

そしてついに、アリアーヌが客席の一番前に立ち、携帯電話をオフにするようになど注意事項を肉声でアナウンスして、初日の幕は上がった。

上田久美子©︎matron2023

上田久美子©︎matron2023

プロフィール

上田久美子(ウエダクミコ)

奈良県生まれ、演出家。京都大学文学部フランス語フランス文学科卒業。2006年から2022年まで宝塚歌劇団演出部に所属し、宝塚歌劇の脚本・演出を手がけた。「星逢一夜」で第23回読売演劇大賞、優秀演出家賞を受賞。「バイオーム」が第67回岸田國士戯曲賞にノミネートされた。また2022年度 全国共同制作オペラ マスカーニ:歌劇「田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)」レオンカヴァッロ:歌劇「道化師」で初のオペラ演出にも挑戦した。令和4年度新進芸術家海外研修制度にて2023年から2024年までフランスに滞在中。