東京文化会館が、青少年の成長段階に合わせた題材を取り上げ、クラシック音楽と他ジャンルのアーティストとのコラボレートで展開している「シアター・デビュー・プログラム」。その一環として、1月31日と2月1日に、脚本・演出・音楽・美術を自ら担い、一人芝居と人形劇を融合させた独自の表現を突き詰めている平常と、ピアニストの萩原麻未がタッグを組む「ロミオとジュリエット」が上演される。
ステージナタリーでは、東京文化会館で10年にわたり音楽家たちとクリエーションを続けている平に、「ロミオとジュリエット」を現代人形劇として立ち上げる思いを聞いた。
取材・文 / 大滝知里
音楽は1人の登場人物…平常と東京文化会館の歴史が目指す舞台制作
──平常さんは、脚本から演出、美術、人形操演までをお一人で担当し、圧倒的な世界観を持つ人形劇作家として知られています。東京文化会館での音楽家たちとの10年にわたる創作を振り返り、どのようなところに手応えを感じますか?
音楽家の皆さんとコラボレートをすると、音楽がBGMの範囲を超えて、セリフでは表現しきれない物語の中の感情までをも表してくれると感じます。音楽家の皆さんが、まるで1人の登場人物であるかのように物語と関わりを持ってくれることが、大きな魅力です。登場人物の心の風景を音楽やダンスを織り交ぜて描くことを“心象風景のダンス”と私は呼んでいるのですが、音楽家の皆さんとの作品作りでは、お芝居同様、言葉(セリフ)に頼らない音楽が主役になり、登場人物たちの複雑な“気持ちの揺らぎ”を見事に表現してくれていると思います。そのような体験を経て、私にとっても、以前の創作にはない演出方法や表現方法が、音楽によって導き出された10年だったような気がします。
──2014年にダンボールのみを用いて美術制作をした「王女メディアの物語」以降、石膏像とステンドグラスをモチーフとした「Hamlet ハムレット」(2016年、2021年)、変則的なカルテットとの共演となった「SALOME / サロメ」(2019年)、ご自身としては初めてとなる脚本・演出・美術のみに専念された歌劇「400歳のカストラート」(2020年、2022年)、児童文学を土台とした「ピノッキオ」(2023年)、世話物浄瑠璃をもとにした「曾根崎心中」(2023年)など、東京文化会館では多様な作品をコンスタントに発表されてきました。
すべて大作でしたし、これだけの規模のものを10年で7作というのは私にとって異例の本数です(笑)。脚本や美術、操演を1人でやるので、準備期間も含めると1作品の創作に2年はかかるため、並行して次の作品を作っているような状態で。それでも、東京文化会館さんからオファーをいただくと百人力に感じられて、アーティスト冥利に尽きます。東京文化会館の小ホールは音楽を聴くための場所で、演劇をやるには多くの課題があり、工夫も必要で、苦労があることも事実です。でも、演劇のための空間ではない場所がガラリと変わる劇場のマジックを感じられますし、プロセニアム(額縁形式の舞台)ではない小ホールの石造の壁を見立てに使ったり、工夫を凝らした照明の当て方をしたり、スペシャルな演出ができる。東京文化会館で創作した作品はその後ツアー公演をすることもありますが、ツアー公演では再現できない、東京文化会館ならではの観劇体験を毎回お届けできたと思います。また、東京文化会館さんとご一緒する作品の数が増えるにつれ、すべてを1人で担うのではなく、ご協力いただく環境もでき、前作「曾根崎心中」では、舞台美術を松生紘子さんにお願いし、自分以外の方に初めて作っていただきました。「曾根崎心中」は、近松門左衛門が書いた文字が300年の時を経て今に伝わるということをコンセプトにしましたが、松生さんには私のイメージ以上の舞台美術を作っていただいたと思っています。
──平さんご自身が出演する作品では、自ら美術や衣裳を手がけ、視覚面でも平さんの独自の作品世界を確立されてきました。今回の「ロミオとジュリエット」では、「曾根崎心中」に続き松生さんが美術を、衣裳に関しては、平さんが出演する作品では初めて、ほかのアーティストに託されます。その理由は?
現実的に私がすべての作業をすると、やっぱり負担が大きいんですね。今回は約10役を演じ分け、上演時間が2時間以上ある作品のセリフを落とし込んでいくという作業があり、できるだけ私の負担を軽くしてより良いものを作れるようにと、東京文化会館さんがご配慮くださいました。私は、誰も気付かないような細部まで作り込むスタイルで、こだわりが強いんですが(笑)、松生さんも、今回衣裳を担当してくださる、「400歳のカストラート」でもご一緒した増田恵美さんも、私の言葉にならない思いまで汲んでくださって。東京文化会館さんとの歴史のおかげで、このように平常にマッチするスタッフワークのキャスティングがかない、私の舞台制作がまた1つ、発展を遂げることができたと思っています。
──「ロミオとジュリエット」では、どのような舞台美術、衣裳になりそうですか?
舞台美術に関しては、“花”がモチーフになります。物語の舞台が、“花の都ヴェローナ”ですので、花のオブジェが時にダンスをしたり、時にうごめいたりして、ただの背景や舞台装置ではなく、物語を動かしていく存在になります。今は舞台上にある大きな花が、いかに音楽の邪魔にならずに美しいムーブメントを作れるかという部分を試行錯誤して作っている状況です。また、衣裳の増田さんはオペラ作品も多く手がけられていて、西洋の歴史もののコスチュームをお得意とされているので、今回は増田さんの衣裳が劇世界のリアリティを増してくれていると感じます。
──劇中ではラヴェル、ラフマニノフ、サン=サーンスなどの曲が使われ、「Hamlet ハムレット」以降、平さんと多くの作品でご一緒されている宮田大さんが、音楽構成・選曲で参加されます。どのように選曲の作業を進められましたか?
宮田さんはこの10年で、私を一番助けてくれている方で、どの作品も宮田さんの選曲によって劇世界が深まっていると感じます。今回は、台本を完全に仕上げずに、セリフがない状態のト書き台本をお渡しして、選曲していただきました。というのも、「ロミオとジュリエット」は私が手がけた脚本の中で最も苦労した作品で、プロットの状態から脚本がなかなか進まなかったんです。そこでまた、東京文化会館さんが、宮田さんの選曲を元にイメージを膨らませる方法をご提案くださって。トライしてみたら、宮田さんの選曲によって見事に作品のイメージが鮮明になり、見えなかった景色が見えてきました。私にとって新しく、良い創作過程だったように思います。
ロミオとジュリエットに対する“呆れちゃう”から“アッパレ”までを舞台に
──「ロミオとジュリエット」は抗争を繰り広げる名門2家のモンタギュー家とキャピュレット家に生まれた男女の悲恋を描く、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲です。花が重要なモチーフになるとのことですが、平さんが考える作品の核とは何でしょうか?
“生命の儚さ”、これに尽きます。物語の舞台が“花の都”だからということに加え、若くして死んだ男女2人の姿を花に重ね合わせたかったんです。たとえば、葉が黄色くなって、枯れ葉となって落ちていくイチョウには、わかりやすく生命を全うするイメージがありますが、花は、風が吹いて花びらが落ちただけでも死を意味しますよね。寿命よりも早く命が尽きてしまう可能性があるという儚さが、人間の命の危うさにも通じるということを、花を通して伝えられたらと思っています。そのため、舞台上の花のオブジェの見え方の変化にも仕掛けを施す予定です。
先ほど脚本がなかなか進まなかったと言いましたが、その理由には、「ロミオとジュリエット」が、私が取り組んだ作品の中でも、驚くほど“最初から好きになれなかった”作品だったからということがあると思います。2人が交わす言葉は、読んでいて恥ずかしくなるくらい、歯が浮くような愛のやりとりで。出会ってすぐに命を犠牲にしてしまうところも、「世の中は広いんだから、もう少し視野を広く持とうよ!」と言いたくなってしまうほど違和感がありました。台本を書くときは、いつもすべての役を我が子のように愛してしまうのですが、ロミオとジュリエットにはなかなかそういう気持ちになれなくて。でも、考えてみれば、自分たちの意思を貫いて、家柄にも支配されず、愛の絶頂のうちに同じ場所で死ねたというのは“アッパレ”なんですよね。愛し合う2人の様子を“呆れちゃう”から、1周回って“アッパレ”と思えたことで、作品に対する印象が変わりました。ただし、最初に感じた違和感も私にとっては大切なので、前半は喜劇にしています。ジュリエットはコメディエンヌとして役を作っているので、戸惑う方もいらっしゃるかもしれませんが、前半は大いに笑い、後半は大いに涙していただきたいなと。
劇場はすべての人に開かれた、生きるための糧を得る場所
──「ロミオとジュリエット」は、シアター・デビュー・プログラムの一環として上演されます。平さんのシアター・デビュー・プログラムへの参加は、新演出版「Hamlet ハムレット」、「ピノッキオ」に続く3作目となります。今回、中高生向けに意識された部分はどこですか?
あくまでもベースは大人向けで、中高生の鑑賞を歓迎する形として作っているのですが、セリフは現代ならではの言葉選びにしていて、たとえばジュリエットだと「神父様、呼ばれて飛び出てジュリエットでございます」「あなたが望むなら、意地悪、ツンデレ、もしくは高嶺の花。どんなバージョンでも対応いたしますわ」とか、現代の日本の子供たちも楽しめるようなセリフをちりばめています。どれも原作にあるような表現なので、初めて舞台を観て、シェイクスピア戯曲に触れた中高生が、この作品をきっかけに原作を読んでくれるようになれば大成功。また、予備知識がなくてもお楽しみいただけるように、わかりやすく台本を再構成しました。冒頭はローレンス神父が過去を振り返るように始まり、要所要所でナビゲーターのような役割で登場し、物語を導きます。東京文化会館での作品では、いつもわかりやすさを意識してきたのですが、劇場はマニアが楽しむための場所ではなく、地上で暮らしているすべての人に開かれた、生きるための糧を得る場所。観客全員で静寂を作り、緊張感がある中で生身のパフォーマンスや音楽を受け取って、想像力を羽ばたかせると、脳みそのいろいろなところが刺激される、素晴らしい空間です。特に今回は人形劇なので、人形の表情がどんどん変わっていく様子を感じていただけると思います。人形の顔が泣いているようにも笑っているようにも怒っているようにも見える、“中間表情”を丁寧に作り込んでいるので、受け取る感情によって変化する人形の顔を楽しんでいただきたいです。
──平さんはお父様が津軽三味線奏者で、お母様が琵琶奏者という音楽に囲まれた環境でお育ちになられ、幼少期から家で人形劇ごっこをされていたそうですね。十代の多感な時期に、このようなプログラムをきっかけに劇場へ足を運ぶ習慣をつける必要性は感じますか?
十代の頃に経験したことは一生の宝物だと思います。多感な時期だからこそセンセーショナルな出会いがそこら中にあるはずで、そのことに、中高生と関わる大人たちにも気付いてもらいたいですね。自分でチケットを買って劇場に行くのは、よっぽど舞台が好きな子じゃないとできないかもしれませんから。親や親戚、学校の先生たちが「合うんじゃないかな」とか「観せたい」とピンと来るものがあれば、ぜひきっかけを作ってあげてほしいです。
私にとって人形劇は、幼い頃のコンプレックスの解消やコミュニケーションの手段であり、多重人格気味な性格を健全に生かせる方法で、多くの場面で自分を救ってくれました。家では常に音楽が鳴っていて、世界のいろいろなアーティストとコラボレートするような両親でしたので、私のような子供でも“手に負えた”んだと思います(笑)。劇場で過ごす2時間は、スマホで何かを観ている2時間とは別物で、特別です。シェイクスピア劇と聞くと難しい印象があって、距離を感じるかもしれませんが、今回の「ロミオとジュリエット」はあなたの心と“密”になる作品。音が素敵に響く東京文化会館の小ホールで、聴こえてくる1つひとつの音に集中していただき、人形の感情やお芝居の中で起きていることを感じ取っていただけると、極上の観劇体験になると思います。ピアノ演奏の萩原麻未さんは、産休前の最後の現場で、大きなお腹をかかえて命をかけた壮絶な演奏をしてくださいます。東京文化会館は2026年5月から大規模改修工事のための長期休館を控えているので、私もしばらくはこの劇場での作品作りはありません。当然、気合いが入っていますし、自信を持ってお届けできる作品が出来上がりつつあるので、ぜひこの作品ならではのコラボレーションを劇場でご覧いただきたいです。
プロフィール
平常(タイラジョウ)
1981年、北海道生まれ。12歳でひとり人形劇「どんぐりと山猫」を手がけ、舞台デビュー。脚本・演出・音楽・美術を自ら手がけ、人形劇とひとり芝居を融合させた作風を確立。子供から大人までを対象とする幅広いレパートリー作品を持ち、国内外で上演する。2011年には日本人アーティストとして初めてパレスチナを巡演した。「毛皮のマリー」で日本人形劇大賞銀賞を最年少で受賞。