2020年10月に「たむらさん」でシス・カンパニー公演デビューを果たした劇団た組の加藤拓也が、9月から10月にかけて上演される「友達」で再びシス・カンパニー公演に挑む。「友達」は、安部公房が自身の小説「闖入者」をベースに戯曲化した作品で、1967年に劇団青年座で初演され、同年、谷崎潤一郎賞を受賞した。27歳の若さにして、冷静沈着、広い視野で物事を捉え、演劇、映像、ラジオなどの各方面で手腕を発揮してきた加藤は、「友達」に描かれる普遍性をどのように抽出し、再構成するのか。少年時代から現在に至るまでの彼の足跡をたどりながら、“作家・演出家、加藤拓也”の底知れぬ魅力に迫る。
また本特集の後半では、加藤と縁のある広瀬アリスとハイバイの岩井秀人が「私が知っている、加藤拓也の横顔」について語る。
取材・文 / 熊井玲 撮影 / 藤田亜弓
加藤拓也インタビュー
縁がつながって、演劇に出会った
──安部公房の戯曲で演出を、ということはシス・カンパニーの北村明子社長からの提案だったそうですね。
きっかけはあまり覚えていないんですけど、何かの公演を観に行ったときにそういう話になって、それなら「友達」かなと。
──安部公房の作品をそれまでお読みになったことは?
戯曲も含め、いくつか読んでいました。
──加藤さんは2013年に20歳で劇団た組。(現在は劇団た組)を旗揚げし、これまでに小川洋子の小説「博士の愛した数式」、押見修造のマンガ「惡の華」、西原理恵子のマンガ「パーマネント野ばら」など、さまざまなタイプの作品を舞台化されています。興味の範囲が広い方だと感じていたのですが、どんな十代を過ごしてきたのですか?
出身が大阪で、小学校から中学までずっと野球をやっていました。ボーイズリーグに所属してたんですけど、そのほかに元近鉄バファローズの村上隆行さんがやっていた野球塾にも通っていました。そこは、みんなプロ野球選手になるような人たちが集まって来る場所だったから、例えば僕が1日10kmのランニングをしていたとしても、みんなは朝昼晩10kmずつランニングするような人たちばっかりで、「無理だな」と思って、野球を辞めたんです。その後、当時学生の間で流行っていたブログを書いていたので、それの延長でラジオの放送作家みたいなことを始めました。そして縁あってイタリアで映像の仕事をすることになり、帰国したら大阪に帰るのがしんどくなって、東京で暮らすことにしたのが18歳のとき。帰国後しばらくは、ホームレスをしてました。
──今のお話の中でいくつも伺いたいことがあるんですけれど(笑)、まず野球漬けだった頃から本や映画はお好きだったのですか? それとも野球を辞めたことで、興味のベクトルが野球以外に向いたのですか?
本は好きでした。映画やドラマはそうでもないですね。
──当時のブログには、どんなことを書いていましたか?
くだらないことばかりですね。例えば脇に水を溜めてクラゲを飼うとか……もちろんフィクションですけど、そういうことを文章にして書くのが楽しかったんです。
──中高生が憧れそうな、お笑いに興味は?
人前に出るのが苦手でしたね。野球を苦手に感じたのも、僕は三振を取って目立つよりきれいなスピンのストレートを投げたい、みたいな欲求が強くて、とにかくあまり目立ちたくはなかったです。
──高校卒業後、映像系の道に進みます。そのフィールドとして、イタリアを選んだのはなぜだったのでしょう?
それもたまたまなんですよね。ラジオをやっているときに映像関係の知り合いが増えて、特にすごく興味があったというわけではなかったんですけど、縁を頼ってイタリアに行くことになって。イタリアは時間の流れ方がすごくゆっくりでみんな時間を守らないし、撮影すると言ってた日の集合時間になって、「今日はちょっとワインを飲みながら過去の作品を観たいから撮影を延期しよう」なんてことがあったり。でも僕にとっては、それが良かったのかもしれません。それまで野球をやってるときは、水を飲んじゃいけないとか先輩の道具を持たなきゃいけないとか理不尽なことがけっこうあっても何となく耐えていたので、ほかの人も同じくらい耐えられるだろう、というような理不尽さを、僕も持っていたと思うんです。でもイタリアに行ってちょっとそれは違うと感じて。すぐには変えられなかったんですが、自分の現場でギブアップと言っても大丈夫な環境にしていこうと思うようになりました。
──日本に帰国して、そのまま映像の道を邁進する選択もあったと思いますが、加藤さんは劇団を立ち上げます。
僕が演劇を始めたのは、たまたま観たシェイクスピアの舞台に、自分の心が動いたから。そこから手当たり次第に舞台、特に小劇場を観に行くようになりました。また、ホームレスだった僕を居候させてくれたシェアハウスの住人たちが、全員、演劇のスタッフでした。そういった出会いから演劇を始めようと思ったんです。
──本当に縁でつながっているんですね。
そうなんですよ。自分の意志でぐいぐい進んで来たというよりは、縁で始める、という選択肢を選んできたことが多いんです。
言葉の意味や定義は、状況によって反転する
──その後、加藤さんは2017年の「壁蝨」で若手演出家コンクール2017の優秀賞を受賞し、その後辞退されたり(参照:劇団た組。トラム版「壁蝨」岡本玲&石田ひかり2種のキービジュアル公開)、2018年には「平成物語」でドラマ初脚本を手がけ、第7回市川森一脚本賞にノミネートされるなど、注目を集め始めます。シス・カンパニーとのタッグは、2020年10月に新国立劇場 小劇場で上演された「たむらさん」(参照:シス・カンパニー×加藤拓也の“挑戦作”「たむらさん」に橋本淳&豊田エリー)が初めてで本作が2作目となりますが、改めて「友達」のどんなところに興味を持たれたのでしょうか?
あくまで僕の印象ですが、安部公房作品って、テーマを抽象化して物語にしている印象があります。「友達」ではすでに定義されている言葉──“家族”“友達”“親切”というような言葉の意味が状況によって変化したり、例えば“つながり”は“分断”というように、場合によっては反転したりするってことが、作者の意図と関係なく現代の状況に当てはまった、“今”としても読めるテーマと思っていて、それらのテーマが不思議な家族として登場してきた。特にインターネットでは、ある面で正義と思われたことが角度を変えてみると正義じゃなくなることがよくあるし、話し言葉で書かれるチャットやTwitterは特に、捉え方や読み方が世代によって異なるので、読み替えや意味の逆転がよく起こります。そういったことが、「友達」から想起できると思います。
──今回は安部公房の戯曲を、かなり“大胆に”脚色されました。
あははは! 一応、「友達」のもとになった小説「闖入者」と改訂前の「友達」、改訂版を参照して構成し、状況によって言葉の意味が変わるということを中心に編集させていただきました。
──今回の上演台本から、9人の“家族”たちがよりギラギラと立ってくるような印象を受けます。出演者には、浅野和之さん、キムラ緑子さん、山崎一さんといったベテランから、林遣都さん、有村架純さんら若手まで、各世代の実力派が顔をそろえていますね。
ちょっとした大河ドラマのようなキャスティングですよね(笑)。キャスティング決定の知らせを聞いて、「おお」って思いました。
──“侵入される”男が鈴木浩介さん。鈴木さんは2019年に、た組の「今日もわからないうちに」にも出演されています。
浩介さんからは「死ぬ気でやります」ってメールが来るので、「死ぬ気でやってもらえて感謝です」と打ち返してるんですけど……(笑)。僕が浩介さんを好きなところは、どうしようもなく愛せるところです。
──そんな男に理詰めで対峙する長男役を林さん、物語の鍵を握る次女役を有村さんが演じます。
皆さんすごく力のある俳優さんですし、僕の頭の中がすべてだとは思っていないので、みんなで作品を一度バラして、また積み上げていく作業を一緒にやっていけたら。実際に稽古に入って、声を聞いて湧いてくるものもあるので、妄想半分、現場半分で稽古の開始を楽しみにしています。自分の尺度じゃ消化できないものを皆さんの定規をお借りして稽古に挑めればと思います。
──劇場は、「たむらさん」に続き、新国立劇場 小劇場です。「たむらさん」では奥行きの広さを生かして奥にキッチン、手前に長テーブルを配し、リビングのような空間となりましたが、今回はどのような空間になりそうですか?
舞台美術の伊藤雅子さんとは、“反転”という演出テーマを生かそうと話していて、反転のイメージで空間を作りたいと思っています。
──ここまでお話を伺ってきて、加藤さんの口調はとても穏やかで、肩に力が入っていないところが素敵だなと思いました。クリエーション現場でも、このようにニュートラルに臨まれるのでしょうか?
自分のことなのでわからない部分はありますが、あまり変わらないと思います。もちろん、小説を書いたりするときは自分100%で作らなきゃいけないし、それはそれでやるんですが、演劇って皆さんのクリエイティビティも発揮できる状態でクリエーションするものだと思っているので。それに僕、俳優はできませんから。昔、石田ひかりさんとお芝居をしているときに、代役がいなくて僕が代わりに相手役をやったことがあるんですけど、自分が書いたセリフだから言えると思ったら全然言えなくて(笑)。皆さんに混ざって楽しく稽古できたら良いなと思っています。
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半径5cmのお話ばかりじゃ物足りない
2021年7月21日更新