現代能楽集Ⅹ「幸福論」~能「道成寺」「隅田川」より特集 瀬奈じゅん×長田育恵×瀬戸山美咲 鼎談|能にすくい上げられる現代人の声、そして“幸福”観

自分をさらけ出して演じたい(瀬奈)

──瀬奈さんは「道成寺」だと小説の講師の安藤千佳、「隅田川」では家裁調査官の真鍋夏帆を演じられます。今のお話の流れで言うと、家裁調査官の真鍋は、「助けて」という声を受け止める側の役ですね。

瀬奈 そうなんです、でも夏帆も声を上げながら、満たされない何かを抱えている人だと思うんですね。人の心配をすることで、自分が満たされている、そういったタイプなのではないかなって。でもだんだんとそんな自分に気付かされて、最後は自分と向き合い、歩いていけるようになるんじゃないかと思います。

長田 まさにそういう思いで書きました。現代女性は働いている方も多く、社会の中でちゃんとしなくては、と思っていらっしゃる方がすごく多いと思いますが、そのせいで自分の中の素朴で柔らかい部分が出せなくなり、限界の一歩手前にあるような人もいると感じるんですね。そういう意味で、今回の「隅田川」は船頭である夏帆こそが癒やされていく話でもあるなと思いました。

──瀬奈さんご自身の実感と重なる部分はありますか?

瀬奈じゅん

瀬奈 自分の感情を掘り起こすことってすごくしんどいし勇気がいることだと思いますが、私だからできることとか、私だからやる意味がある部分はあると思っているので、今回も包み隠さず、自分をさらけ出して演じていけたらと思います。でもこの作品はつらいですね……。どの視点から見てもつらいんだけど、最後は本当に「自分の幸せとは何か」を見つけるため、歩いていくしかないということに気付かされる。歩いていく力がなかったら、そもそもどこにもたどり着くことはできないから……でもその力は、与えられる気がします。

──「道成寺」の安藤千佳は、少し引いた目線で状況を見ている役柄になるのでしょうか?

瀬奈 そうですね。直接的に物語に関わっているわけではないですが、とにかく私は、軸となる親子3人のシニカルな部分を引き出すつもりで自分の役を作っていきたいと思います。ただセリフが……現代語だから覚えやすいかと思ったら、なんだかすごく覚えづらいんです! あ、ホンのせいじゃないですよ。

一同 あははは!

瀬奈 自分だったらこう言うだろうなっていう言い方と、言い回しが違うんですよね。

──台本だけ読むと、安藤は本当に言いたいことを少し削ぎ落としながらしゃべっているような印象を受けました。

瀬奈 そうですね。本当に言いたいことを隠して、上辺だけのことを言おうとしているから気持ちが入らないのかも。役者として面白いところではあるんですけど感情移入ができなくて言葉が出づらい、というところに陥っています。だから普段は家に仕事を持ち込まないタイプなんですけど、今回はそれではダメなので(笑)、昨日は稽古が終わったらそーっと家に帰って、息子にバレないように別の部屋に閉じこもって台本と向き合いました。

一同 (笑)。

コロナ禍で見つめ直した“ささやかな幸せ”

──今回、「幸福論」という大きなタイトルが付けられました。幸福の形は今、非常に多様化していますが、同時にずっと変わらない“幸福”があるからこそ、室町時代に生まれた「隅田川」「道成寺」がこんなにも現代の私たちに響くのだとも思います。その変わらない“幸福”については、どんなイメージをお持ちですか?

長田 今回の「幸福論」の“幸福”は、一般的な幸福が十字架になって苦しんでいる人たちの幸福だと思うんですね。でもここで描かれている人たちが求める幸福って、もっとささやかな幸福なんです。例えば「ここにいて良い」とか「あなたで良い」とか、ほんのちょっと自分を認めてもらうことだけを求めている人たちなのかなって。本当にささやかで、でも根源的な幸福ですよね。

瀬戸山 「道成寺」の家族は、1人ひとりがあまりつながっていないんですよね。彼らが幸福になるには、誰かと共感したり、つながることが必要なんじゃないかなって思います。誰か一緒にいてくれる人がいて、共感してくれる、そんなささやかなことがまずは幸せなんじゃないかなって。

瀬奈 今お二人が「本当にささやかな幸せ」とおっしゃいましたが、そのささやかな幸せを見つけるのが一番難しいのかなと、コロナ禍によって思いました。実は私、不謹慎な言い方かもしれませんが、自粛期間中に家にずっといたとき、すごく幸せだったんです。

長田瀬戸山 (うなずく)。

瀬奈 もちろんこんなことは起きてほしくなかったし、経済的にもちゃんと回復していけたらと願ってはいますが、これまで1・2カ月間も24時間ずっと家族3人でいるなんてまずなかったので、「私にとっての本当の幸せって何だろう」とよく考えました。この家族で暮らして、笑顔を交わして、美味しいものを食べて……と、そういうささやかなことが幸せなんだなって。でもコロナ前にはそれが難しかった。その時間が、取れなかったんですよね。

瀬戸山 そうですよね、それまで忙しい中でなんとか家族とコミュニケーションを取っていたのが、毎日一緒にご飯を食べるという今までなかったことが起きて、幸せについて改めて考えました。

炎の「道成寺」、水の「隅田川」

──演出についても伺いたいです。2作品、かなりタイプが異なりますが、同一空間で上演されるのでしょうか?

瀬戸山 今のところその予定です。基本的にはとてもシンプルで力強い美術を堀尾幸男さんにお願いしていて、荒野のような何もない場所で、人間の肉体だけで物語を進めていけたらなって。チラシのイメージに近い、モノクロのシンプルなセットになると思いますが、2作品で感触は全然違うものになると思います。

長田 お話としても、炎と水という感じですよね。

瀬戸山 そうですね。「道成寺」は炎、「隅田川」は水の話なので。

──長田さんから瀬戸山さんに、何か希望はお伝えしているのでしょうか?

長田 いえ、何も。ただこれまでは劇作家同士の友達という感じでしたが、今回は劇作家と演出家として、初めて出会うんですね。イメージは戯曲に全部書いたので、瀬戸山さんに委ねて、楽しく見守りたいと思います。

瀬戸山 確かに全部書いてあります(笑)。長田さんは、イメージがすごくしっかりあってそれが台本に書き込まれているんですよね。

瀬奈 演出をしたいと思ったことはないんですか?

長田 大学生のときは演出もやっていたんですけど、それが最後ですね。もともと小説家になりたかったので、演出をやっているときも、自分が書いた脚本に人間を近づけようとしていたんです。でもだんだん演劇がわかるようになってくると、自分がしていた行為は、私が理想とする演出ではないと思ったんですね。なので、演出は途中で放棄しました(笑)。また私が作劇を始めた時期は、演劇の流行としても物語が解体されたあとに興味が集まる時代だったので、私のように物語が強い作風を受け入れてもらえる土壌が、現代演劇界にはないと思っていて。だから気持ち的には山奥で1人陶芸をやっていて、その器が欲しい人だけが遠くから買いに来てくれればいいなと、そんな感じでした(笑)。

一同 あははは!

──本作は、「現代能楽集」シリーズとしては10作目になります。前作の「竹取」では、小野寺修二さんが身体性の部分で能楽を意識した演出をされました。今回は演出について、どのように能楽の要素を取り入れるご予定ですか?

瀬戸山 最低限のものだけ、存在だけで見せる、究極のミニマリズムが能のカッコ良さだなと思うので、できるだけシンプルに、と考えています。実は最近、能の「隅田川」を2回観に行ったんですけど、どちらも良くて。2回目は長田さんと一緒に行って、「隅田川」ではここが大事だよね、というところを確認しました。

長田 「隅田川」は最後、必ず夜明けで終わるんです。能の台本を読んで執筆し始めたときは、実は夜明けがそこまで効力を持つということがわからなったんですけど、実際の上演を観たときに朝の光が癒やしになるってことを痛感して。最初はすごい重荷を背負いながら舞台に現れた人たちが、最後に橋がかりを帰っていくときには少し楽になって、後ろ姿も軽くなっているように思えたんですね。なので実際の上演を観られて良かったなと思いました。