踊りの世界観で元気になる
立嗣 全然具体的な構想はないんだけど、大駱駝艦の「海印の馬」を映画化してみたいなと思ったことはあって。印象的な場面がけっこうあるし、映画として舞踏にアプローチしているのって観たことがないから、面白いかなと。まんま舞踏を撮るのとは違うから、映画としての成立のさせ方は難しいんだけど……例えば時代劇でも現代劇でもいいんだけど、主人公がいて、ストーリーもあって、その中にうまく舞踏がマッチしているという世界を、興行的に映画館でかけられるものとして作りたい。でもあの世界観を作り上げるのにはお金がかかるんだよね。
麿 俺もどういうアプローチで踊りを映画にしたら面白くなるかっていろいろ考えてて、この前初めてYouTubeで配信する30分くらいの映像(2021年に発表された「夢のカンブリア」。参照:Dairakudakan "Dream Cambrian" | YouTube)の監督を立嗣に頼んだんだよ。
南朋 観たよ。面白かった。
立嗣 面白かったけど、あくまでも舞踏の世界観をどう撮るかということなので、普段やってる仕事とは違ったね。野外で天候が変わる中で、それでも風景とマッチングできているかどうか。逆に、土砂降りの雨の中でもうまく成立していく感じは不思議だったけどね。だから、基本的には「なんでも良い」という感覚もありつつ、衣裳も凝ってたし、ある種、画の美しさは欲しくなったり。
麿 僕がコンテを描いたりしてたから、どこで彼の要素を加えるかって苦労しただろうと思うよ。舞踏というと「内面から」とか、いろいろ言うけれども僕の場合はもうちょっと物語性を持つし。
立嗣 そうなんだよね。
麿 舞台は異空間でしょ。僕の舞台は、ある種の異空間を作って、そこに当たり前に生息している人間たちというような格好になるから、別の場所にそれを持っていくと、異物異物しすぎちゃうところもある。よく、「芝居でちょっと面白い変なことをやってるから、舞踏やってもらえませんか」と雇われたりすることもあるけど、下手すると浮いちゃうんだ。日常の地平では、毒にも薬にもなるというかな。だから「気を付けて使ってください」って言うんだけどさ。
立嗣 そういう意味でも、ダンサーの村松(卓矢)さんたちに「タロウのバカ」(2019年)に出てもらったときは、良かったな。すごい現実の中にふっと現れる感じで、劇中の人物たちには見えてない。死の塊みたいなのが後ろからくっついてくるような印象でやったんです。日本の映画だと、わりと小さい世界観の中で物語が進行することが多いので、難しいんですけど、ハリウッド映画だと、物事を大きく捉える作品はあるし、平気で宇宙人が出てくるし、「マッドマックス」なんて観てたら、大駱駝艦が出ててもおかしくないんじゃないかと思ったりして。
麿 「地獄の黙示録」も、大駱駝艦出られるだろうしな。
立嗣 そうそう!
麿 構えをバーンと大きくしちゃうことで、ある種の自由を得られることもある。
立嗣 そうなんだよね。考えてみると、僕がこうやって、小さい世界ってつまんないな、まとまりたくないなって思っちゃうのも、大駱駝艦の影響かもしれない。映画作る前に大駱駝艦の舞踏観ると、「俺ももっと自由で良いんだ」って思わせてくれるんだよ。脚本書いたり編集したり、映画は理屈が多いから。その理屈を吹き飛ばしてもらえるっていうのは、俺にとってすごい大事で。
南朋 凝り固まっていたものが解放されていって、元気がもらえるというかね。だから若い人は特に観たほうが良いです。初めてなら衝撃を受けると思うし。
麿 元気出るっていうのはバカやってるから。「俺はアイツよりマシだ」と思われてる。古典的な言い方をすれば“代受苦”なんだよな。確かに「苦しいことは何でもここで捨ててください」というような気持ちもある。と同時に自分のためでもある。例えば宇宙のことを考えたら、人間なんて小さいもんだと思うのが普通でしょ。だけど天と地の間にポツンといて「ああ人間はちっちゃいなあ」なんて情緒的に終わっちゃうのはつまんねぇな、と思うんだ。
思考スケールは10の10乗の68乗年
麿 今度の作品は宇宙の話なんですけど、宇宙の話も何をやっても良いんだよね。
南朋 「おわり」と「はじまり」でしょ。「おわり」が先にあって。この前やった舞台(「ケダモノ」、参照:赤堀雅秋がコロナ禍の“鬱積した空気感”描く、大森南朋ら出演「ケダモノ」開幕)でさ、冒頭、田中哲司さんがずっと宇宙の話をするんだよ。親父が観に来て「宇宙の話してたな!」って、うれしそうだった(笑)。
麿 南朋はボーッとしてタバコ吸ってるんだよな。
南朋 「何言ってんすか?」ってね。
麿 宇宙にも生命があるんだ、何千億年のな。
南朋 果てしないな。
麿 そう。果てしない。果てしないけれど、明日にもその“おわり”“はじまり”が起こるかもしれない。そういう宇宙のドラマをね、人間に置き換えてやる。例えばブラックホールだって、難しく説明もできるけど、結局あいつは吸い込むだけ吸い込んで、下痢したり、呼吸困難を起こしたりしてる、っていうような話だよ。
立嗣・南朋 !?(笑)
麿 物理学的に考えると難しいからな。それこそアインシュタインのE=mcの二乗とか。どうやって腑に落ちるかっていうと、なっちゃう。やってみる。やってみればわかる。
南朋 踊るしかないんだね。
麿 そうそう。例えばダークマターというのは、仲人みたいな役なんだ。「皆さん、良い距離を保ちつつくっつきましょうよ」っていうと、ダークエネルギーがやってきてそれを離そう離そうとする。悪いヤツだな。まあ、宇宙だから、実際良いか悪いかはわからないんだけど(笑)、それが急に怪物化して、ファントムエネルギーになる。というふうに擬人化してみると、それはまさに物と物の語り、物語なんだな。とにかくね、面白いドラマがいっぱいある。次元は、11次元まであるという説もあって、そこまでやらないと宇宙の統一理論は完成しない。
立嗣・南朋 へぇえええ……。
麿 「ふえぇ……」って、お前、この前の芝居と同じだな(笑)。生物でもなんでも、考えていくと宇宙論につながるんだ。実際に物理学者が一生懸命考えているんだよ。“ボルツマン脳”っていうのがあってな。真空の中でランダムに動いてる粒子がぶつかり合って、ある日突然パッと人間の脳ができるという、そういう可能性が何十兆年に一度あるというんだ。それも記憶を持った状態の脳、例えば君の記憶を持ったやつが一瞬で現れるらしい。それで、10の10乗の68乗年後に現れる脳と、今の人間が舞台上で会話する、っていう場面を作ろうとしてる。
南朋 すごいな。伝わるかな。
立嗣 思考のデカさは伝わるよ。
麿 だから「大駱駝艦50周年」なんて言われても「なんのこっちゃろ」ってとこがあるよね。こっちは何十兆年って話をしてるんだから。
プロフィール
麿赤兒(マロアカジ)
1943年、奈良県生まれ。1965年、唐十郎の「状況劇場」に参画。1966年、役者として活動しながら舞踏家・土方巽に師事。1972年、大駱駝艦を旗揚げし、“天賦典式”(この世に生まれ入ったことこそ大いなる才能とする)と名付けた様式で“BUTOH”を世界に浸透させる。映像・舞台などにも出演している。東京新聞制定第64回舞踊芸術賞、第1回種田山頭火賞、文化庁芸術祭賞大賞など受賞歴多数。
大駱駝艦・天賦典式 / Camel Arts Co. (@dairakudan.temptenshiki) | Instagram
大駱駝艦・天賦典式 公式YouTubeチャンネル | YouTube
大森立嗣(オオモリタツシ)
1970年、東京都生まれ。大学時代から自主映画を作り始める。主な監督作品に「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」「まほろ駅前多田便利軒」「日日是好日」「MOTHER マザー」「星の子」など。ブルーリボン賞 監督賞、モスクワ国際映画祭審査員特別賞、報知映画賞監督賞など受賞歴多数。
大森南朋(オオモリナオ)
1972年、東京都生まれ。1996年のCM出演をきっかけに本格的に役者としての活動を開始。映画・テレビドラマ・舞台で幅広く活動。近年の主な出演作に映画「この道」、テレビドラマ「サイン─法医学者 由木貴志の事件」「私の家政婦ナギサさん」、NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」、舞台「ケダモノ」など。
大森 南朋(Nao Omori)|apache Official Site
舞踏手たちからの自筆メッセージ
大駱駝艦創立50周年記念公演「おわり」「はじまり」に出演する、大駱駝艦メンバーをはじめとする面々が、自筆でメッセージを寄せた。
ポスターで振り返る大駱駝艦の50年
ここでは大駱駝艦の五十年史をポスターで振り返る。変わらないもの、変わったものをビジュアルから感じることができる貴重な機会だ。