複合的な都市、東京の観客を想像する
長島 F/Tは、相馬千秋さんが最初のプログラム・ディレクターだった頃、日本の観客にヨーロッパ最先端の尖った演目を紹介するということを意識していました。と同時に相馬さんは、その頃どれくらい公言していたかわかりませんが、若い作り手を意識して、例えばその鮮烈な作品を観た若い世代が、10年後・20年後にどんなものを作るかを考えていたはずです。相馬体制後、それまでヨーロッパ中心に紹介してきたけれども、同じアジアのことをまだまだ知らない、ということになり、市村作知雄体制下ではアジア中心のプログラムにシフトしました。そして昨年、僕と河合千佳の共同ディレクター体制になって、アジアへの目線を持ちつつ、劇場からどうやって外に出ていくかということをさらに考えるようになって。いわゆるシアターゴアーじゃないお客様ともどう出会っていくか、それを突き詰めた結果、今年はかなり謎なプログラムになったと思います(笑)。
小川 謎なプログラム……(笑)。
長島 それはこの10年、僕がアートプロジェクトに関わるようになって、そこで持っているアイデアを外にどう生かすか、“ノウハウの引越”みたいなことを考えるようになったからでもあります。それによって普段劇場で観劇することが好きなお客さんが戸惑うような作品ができたり、逆に普段は全然劇場に行かないけど面白がってくれる人の存在も見えてきて。その裏には劇場を再発見したいという野望もあるんですが。いずれにせよ作品の幅が生まれるのは面白いことだと思うし、今年のプログラムは本当にいろいろなことが起きています。
小川 芸術監督になって以来、観客のことは常に考えていますが、どんな切り口を考えても全部正しいかもしれないし、間違っているかもしれないと思っていて。なので、プログラムに関しては最終的に、自分がやりたいと納得できるかどうかを重視しています。それと、実はお客さんに向けてだけでなく、私は作り手に向けての視点みたいなことに興味があって、「こつこつプロジェクト」やフルキャストオーディションをやっているのも、本当はイベントと言うより劇場の基本的な取り組みとしてやりたいくらい。その可能性を広げるために続けているところがあります。だからお客さんに対してはもちろん、一緒にやっている演劇人たちに、より楽しくてワクワクするような現場を提供できないかと常に考えています。中には、「芸術監督になったんだから、一気にドーンとやり方を変えたらいいのに」って言う人もいますが、私がやろうとしているのはベーシックなリアリズム。だから奇をてらわず、がんばらなくてもいいから積み重ねていくことが私の役割じゃないかなって。日本の演劇は積み重ねじゃなくて、前の時代に対するカウンターで続いてきたところがあると思うので、積み重ねをしていきたいんです。スタッフとは、「50年プロジェクト」と話してるんですけど(笑)、私たちがやってきたことの成果がちょっとでも見え始めるのは50年後、私たちが死んだあとかもしれない、と思っていて。なので何の評価もされずに私たちは死ぬんだと思います。
一同 (笑)。
演劇は社会に、どのような影響を与えられるか
長島 演劇に可能性があるとしたら、集団創作だからだと思っています。1人で制作できるものではなく、違う考え、違う能力を持った他者と一緒に何かを作るということですよね。そのプロセスを、クリエーションの中でどう模索するか。演劇を作る集団を、社会のミニチュアと考えて、そこに民主制を持ち込むのか、絶対王政を持ち込むのか。トライ&エラーも含めて、プロセスの中で試行錯誤を重ねることに意味があるのであって、現行社会で効率的な方法を、ただコピーして制作現場に持ち込んでもあまり意味がないと思うんですね。演劇の現場ではある種のお試しと言うか、自分とは違う他者と、現実にはできないやり方で、何かを生み出し、共有することに可能性があると思う。ある意味、演劇の現場が、日本人の苦手な“自治”の実験の場になるかもしれません。
小川 確かに。「ことぜん」シリーズを通じて、そういった可能性を感じてもらえたり、また状況をただ受け入れるのではなく、葛藤していいんだと気付いてもらえればいいなと思います。正しい / 正しくないで二分させるような見方は疲れますし、他者に距離感とリスペクトを持ちながら、自分たちの意見を闘わせていくことができれば。
長島 以前、ドイツのフォーラムに参加したら、俳優も衣装家さんも、みんなガンガン意見を言って激論を闘わせてました。彼らは議論を交わす訓練ができているんですよね。でも日本人がそのままそうできるようになればいいかと言うと、そう単純なこととも思えなくて……。
小川 そう、まずは話し合うところから始めたい。日本人なりのやり方、話し合い方を見つけていきたいですね。
2019年11月13日更新