“心を動かす”という人間の特権を守りたい 希望を届ける「Musical『HOPE』」新納慎也×高橋惠子×永田崇人×小林亮太 座談会

「Musical『HOPE』」が日本初演を迎える。韓国芸術総合学校の卒業制作として2017年に誕生し、2019年に韓国で初演された本作は、実在した著名作家の遺稿を巡って実際に起きた法廷闘争をもとにしたミュージカル。劇中では、ある文豪が遺した原稿に人生を狂わされた老女ホープが、原稿の所有権をイスラエル国立図書館と争う法廷劇が展開する。

その日本版となる今回の上演では、俳優の新納慎也が初めて演出を担当し、ホープ役を高橋惠子、原稿を“擬人化”した存在であるK役を永田崇人と小林亮太が演じる。ステージナタリーでは新納、高橋、永田、小林の座談会を実施。新納が演出の構想を明かすほか、キャスト3人が自身の役に対する思い、“演出家・新納慎也”の愉快なエピソードまで、ざっくばらんに語った。

取材・文 / 中川朋子

「Musical『HOPE』」の物語

エヴァ・ホープ(高橋惠子)は、著名なユダヤ人作家ヨーゼフ・クラインの遺稿の所有を巡り、イスラエル国立図書館と法廷で闘っていた。彼女は30年もの間、自身と母マリーが守ってきたその遺稿の正当な所有者であることを主張してきたが、法廷やメディアは彼女たちの主張を、クラインの遺稿を私有化しようとする、狂った老女の戯言として一蹴。最終審判の日、裁判に出席するのを渋るホープを、ある青年が励ましていた。その青年こそが、クラインが遺した原稿・K(永田崇人・小林亮太)で……。

無力を感じたコロナ禍、“手放す”想像をしたら新しい可能性が見えた

──新納さんは本作で演出のほか、上演台本・訳詞も担当されます。実話をもとにした本作は、観客にとっても作り手にとってもかなり集中力が要求されそうですが、この作品が演出家デビュー作になった経緯を教えてください。

新納慎也

新納慎也 演出のオファーをいただいたとき、候補が3作ありました。プロットを読んだらどれもすごく面白かったのですが、一番刺さったのが「HOPE」だったんです。また本多劇場という会場の性質や現在の世界や日本の状況を踏まえ、この作品を選びました。

──特にどのようなところが印象的だったのですか?

新納 コロナ禍で生活スタイルが変わり、不要不急という言葉をよく聞くようになりました。今は、いろいろなものの存在意義が問われる時代になったと思います。コロナのような未曽有の事態では、僕ら俳優は本当に無力を感じる。演出のお話をいただいた頃は特に「僕たちの仕事って何なんだろう」と考えてしまう時期でした。俳優であることは自分のアイデンティティの1つだったのに、それが完全否定されているような気がして。僕は今まで、俳優を辞めようと考えたことはありません。だけどコロナ禍の最中に、原稿に執着する人物を描いた「HOPE」に出会ったことで初めて、俳優であることを手放す想像をしてみたんです。俳優であることは、自分の人生の大半を占めている。それを捨てたところをイメージしたら悲しみと同時に、自分の人生に新しい可能性も感じて少しワクワクした。その気持ちが、「HOPE」に興味を持つ“入口”になりました。

それに僕の両親は、ホープと同世代。2人共いくつになっても、日々楽しみを見つけながら暮らしていて素敵なんです(笑)。「HOPE」からは、年齢を重ねた人にもまだまだ先の人生はあるんだというテーマも感じますね。あとは単純に、法廷劇が好きということもある。真実がわからなくても第三者がジャッジを下すという裁判の仕組みに残酷さを感じますし、同時に演劇的だとも思います。「HOPE」にはその面白さもありますね。

──「HOPE」日本初演には、経験豊富なキャストの方々がそろいました。高橋さんはデビュー51年目にして、今回初めて本格的にミュージカルに挑まれるそうですね。

永田崇人小林亮太 すごい!

──なぜ挑戦してみようと思われたのですか?

高橋惠子 50年女優をやってきましたが、実は今年の春頃に「そろそろ女優を卒業しようかな」なんて考えていたんです。だけど6月に「キネマの天地」(参照:小川絵梨子が井上ひさし流“演劇賛歌”に挑む、「キネマの天地」幕開け)に出演しながら、「やっぱり私はまだやりきっていない。もっとちゃんと女優をやりきってから引退しよう」と思い直して。お客様を前にお芝居をして、やはり舞台に立つのって素晴らしいことだなと感じたんです。それで「改めて仕事に向き合おう」と思っていたとき、「HOPE」のお話をいただきました。本格的にミュージカルをやるのは初めてで自信はありませんでしたけれど、「新しいことにチャレンジしなさい」と言われているような気がして。だからもう、即「ぜひやらせてほしい」とお返事しました。新納さんも演出が初めてということですし、私たちは初めて同士ですね(笑)。

──永田さんと小林さんは?

永田崇人 オーディションですね。今の事務所で最初に見てくれたマネージャーさんが、以前に新納さんのマネジメントをされていたそうです。僕もその方にはすごくお世話になりました。そのマネージャーさんから新納さんがミュージカルの演出をされると聞き、オーディションのお誘いをいただきました。

小林亮太 僕はちょうど今年の9・10月のスケジュールが空いていて、「何か舞台をやりたいな」と思っていたところに、とある稽古場で新納さんとばったりお会いして。「9・10月何してる?」「歌えんの?」と聞かれたので、「空いてます」「歌は今、がんばってます!」とお答えしました(笑)。それでオーディションにチャレンジし、出演が決まりました。

オフブロードウェイ好きの新納、大切にしたいのはリアリティ

──新納さんは、どのような演出プランを考えているのでしょう。

新納 今回は本多劇場なので、劇場の性質を生かしたいです。本多でミュージカルをやったことがありますが、“オフブロードウェイ感”があってとても良い経験でした。ニューヨークに行くと、僕はまずオフブロードウェイの作品をチェックします。オフのミュージカルは、より“演劇”に近い感じがして好きですね。「HOPE」は登場人物の心情をえぐるような作品です。だから華々しく見せるというより、できるだけリアリティを感じられる、うそのない演出にできたらと。でも韓国の舞台って、重い内容の作品でも息抜きできるようなポイントがいくつかあるんですよ。「HOPE」にもそういうシーンがあるので、できるだけショーアップして楽しくやりつつ、オフブロードウェイっぽさも取り入れたいなと。

──史実がもとになっているストーリーを、ミュージカルというエンタテインメント性の強い表現で描き出すうえで意識していることはありますか?

新納 僕はミュージカルとそれ以外の舞台作品の間に、あまり境目を感じていません。ジャンルによって演じ方を変えることもないですし。だから自分で舞台を作るときも特別意識はしていません。あくまでも1つの演劇作品として作り上げられたらと思います。

正直さや真摯な心が“ホープらしさ”、Kは舞台と観客の架け橋に

──「HOPE」には人種差別や貧困の問題など、現実の社会問題も織り込まれています。高橋さん演じるホープは、収容所で母マリーと原稿を守るために密告をしたり、原稿を巡って数十年にわたり法廷闘争を続けていたりと、壮絶な人生を送ります。高橋さんはホープを、どんな人物だと捉えていますか?

高橋惠子

高橋 ホープのような状況に立たされて、そのときそのときを生き抜いていこうとすれば、ホープ以外の人でも彼女と同じような道を選ぶのではないかと思います。ただその中で“ホープらしさ”は何かと考えると、正直さや真摯な心を持っているところじゃないかなと。彼女は自分が生き延びるために何かを選択するとき、それによってほかの人を犠牲にしてしまうことを「申し訳ない」と思える人物です。だからこそ「私は幸せになってはいけない」と考え、自分を暗くて寒いところに閉じ込めて生きようとしてしまう。そこには彼女が犠牲にしてしまった人に対する気持ち、思いやりが表れていると思います。

──そんなホープの人生に寄り添うKは、原稿を擬人化した存在です。実話がベースの「HOPE」の中でほかの登場人物とは明らかに“異質”な存在であるKを、永田さんと小林さんはどのような意識で演じられますか?

永田 僕はできる限りポップにKを演じたいなと考えています。この作品は1歩間違えると、ひたすら暗い物語になってしまいます。ずっと悲しい雰囲気が続くと、舞台を観るほうがつらくなってしまうじゃないですか。だから自分の課題はポップさですかね。“原稿”という立場だからこそ自由に立ち回れる部分がありますし、Kには息抜きの役割もあるんじゃないかなと。

小林 確かに、Kは物語とお客様の架け橋になる存在ですよね。それにKは原稿ですから「どういうふうに人間を見ているんだろう?」「感情はあるのかな?」「Kもホープと一緒に年を取ったのかな?」なんて考えてしまう。そういう意味では自由度が高いキャラクターで、新納さんには“妖精”って言われたりしています(笑)。崇人くんとも話したのですが、Kは“物”だけど、Kなりの気持ちの筋道があると思う。そのうえでホープや物語に対する役割を果たそうとしているのかなって。普段、僕らが物に愛を抱くことはあっても、物が僕らに抱く愛は感じ得ないじゃないですか。物が人に対して持つ心は、動物が人間と仲良くなる感覚に似ているのかな?とか、妄想の中の恋人に近いのかな?と僕は僕で想像していますが、お客様にはそれぞれに感じ取ってもらえたらと思います。

永田 これは僕の考えなので、新納さんに「違うよ!」と怒られちゃうかもしれませんが(笑)、思うにKは、あくまで人間として台本に書かれているんじゃないかなと。Kのことは人間だと捉えて、そこから何かしらの要素を引いて“物”として見せられるように演じれば、彼の重要な部分を表現できる気がする。難しいですが、人間が演じる必要があるからこそ、KはKとして書かれているんじゃないかと思いますね。

新納 (笑顔でうなずく)

永田 これはきっと、怒っていますね……(笑)。

新納 そんなことない!(笑) わかりやすくするためにKを“擬人化”と紹介していますが、実はいわゆる擬人化のキャラクターとはちょっと違うんじゃないかなと思っていて。僕自身もあまり、Kを“物”だとか原稿だとは捉えていません。Kという1人の青年として、またはホープの一部だと考えているので、2人には感じるままに演じてもらえたら良いなと思います。