三重県の県庁所在地である津駅からバスで5分、小高い丘の上にある三重県総合文化センターは、広大な敷地の中に複数の文化施設が併設されたぜいたくな空間となっている。その1つ、“三重文”の呼び名で親しまれる三重県文化会館は、関東と関西の勢いがある劇団がこぞって集う場として県内外の演劇ファンに広く知られている。そしてその三重文に隣接するのが、MieMuこと三重県総合博物館だ。今秋、この二大文化施設が異色のタッグを組む。FUKAIPRODUCE羽衣の深井順子が講師・演出、糸井幸之介が作詞・作曲を担当し、三重の小学生たちとMieMuのテーマ曲を作るのだ。10月29・30日に、いよいよそのテーマ曲が披露される。本特集では、そんなクリエーションの足跡を、深井と糸井が振り返った。さらに特集後半では、発表会にも出演する“テーマ曲を一緒につくったみんな”が、自分たちの言葉でメッセージを寄せている。
取材・文 / 熊井玲撮影 / 川野結李歌
三重文とのつながりから始まったMieMuテーマ曲プロジェクト
──MieMuのテーマ曲を作ることになったのは、どんないきさつからだったのですか?
糸井幸之介 コロナの前なので2年以上前になりますが、三重県文化会館副館長の松浦茂之さんがよく羽衣を観てくださっていて、それで「何か一緒にやりましょう」というのが最初のきっかけだったと思います。
深井順子 私たちが掲げている“妙ージカル”と子供は、相性が良いんじゃないかというお話になり、私もずっと子供と一緒に何かやってみたいと思っていたので、すごく良い機会だなと思って。
糸井 そこから松浦さんがいろいろと企画を練ってくださってMieMuのテーマ曲を、ということになりました。
深井 すごく楽しそうだと思いましたね。中学生や高校生じゃなく、小学生と、というのも良い。小学生なら言葉を頭じゃなくて感性で捉えるだろうから、楽しみだなって。糸井くんは?
糸井 博物館の曲というのが面白そうだなと思いました。またある地域に焦点を当てて、そこには自然があって歴史があって……ということを意識して楽曲にしたことはこれまでなかったけど、でも実は意外とそういった要素が楽曲の中に入っているなと思ったんです。羽衣のみんなが子供たちと一緒にやるのも面白そうだなって。
──今回深井さんは演出と講師、糸井さんは作詞・作曲という形で参加されています。
深井 最初に糸井くんが「曲は作るけど現場でやり取りするのは深井さんでお願いします」って(笑)。それで劇団員の岡本陽介と澤田慎司と、新人の村田天翔で、月1回程三重に行き、子供たちに糸井くんの曲のパッションを教えています。
──アシスタントメンバーとして岡本さん、澤田さん、村田さんを選んだのは?
深井 岡本とは以前、学生と一緒にものすごい短期間で作品を作ったことがあって、そのときに振付も踊りも上手いし、すごく丁寧に1人ひとりに接しているのが良いなと思いました。澤田は歌が上手いし、男前だから(笑)。というのも、小さい子たちにとってはやっぱりキラキラした人が1人いたら良いんじゃないかなと思ったんです。新人の村田は試しに最初1回連れて行ったら、表現も素晴らしいし、年齢も二十代前半なので子供たちと対等にしゃべることができていたんですよね。かつ、熱量が高くて、制作や演出助手的な動きもやってくれるのでこの3名で行こうと。最初は毎回違うメンバーを連れて行こうかとも考えましたが、子供には同じメンバーのほうが戸惑いが少ないかなと思って。
20名の小学生と重ねた半年間の日々
──年明けからメンバー募集が開始し、3月21日の締め切りには、現在参加している20名のメンバーが集まりました。
深井 小学校1年生から6年生までバランスよく集まりましたね。どちらかというと低学年のほうが少し多いんですけど、それはやっぱり博物館が好きな子とか、みんなでテーマ曲を作る場に参加したいっていう子が、高学年より低学年のほうに多かったのかなと。子供たちの親御さんからは「三重ではこういう、歌ったり踊ったりするワークショップがあまりないから、来てくれてありがたい」と言われました。
糸井 4月に、メンバーが初顔合わせしたタイミングでみんなでMieMuに行ったんです。そのとき、博物館の“表”だけじゃなく裏側も含めて見せてもらったのが良かったですね。そのときの体験をもとに、創作が始まりました。
深井 すごく楽しかった! みんな博物館が大好きだから、例えば「博物館の中で、オオサンショウウオのさんちゃんだけは生きてるんだよ」とかって教えてくれるんですよ(笑)。そのあと、最初の1・2回のワークショップは糸井くんが担当したんですけど、子供たちの食いつきがすごくて(笑)。
糸井 MieMuに行って感じたことを童謡の替え歌にして歌ってみたり、ゲームを通じて表現してみたりしたんです。そこからみんなの言葉をいろいろ引き出して、それを材料に1曲にまとめていきました。
深井 子供たちの「やりたいやりたい!」ってやる気満々な姿に感動しちゃいました。何か描いてもらおうとなったときも……。
糸井 ペンの取り合いをしてたよね(笑)。
深井 そう(笑)。あと、いざ楽曲ができてきて、糸井くんが「覚えられたら覚えてきてね」って言ったら、次の回にはみんな完璧に覚えてきていて。ある子は100回以上曲を聴いたって言っていて、すごく可愛いなと新鮮に感じました。
糸井 これは余談ですけど(笑)、最初に僕が歌を吹き込んだデモテープを流したとき、普段羽衣だったらみんなちゃんと曲を聴いてくれるけど、子供たちは5分も黙って聴いてくれなくて(笑)。そうやって邪険にされるのもすごく新鮮でしたね。
──では春先に歌詞の材料を集め始めて、夏までに糸井さんが楽曲を制作していったのでしょうか?
糸井 そうですね。集めてきた歌詞の材料を脇に置きつつ、メロディを思いついたらその歌詞を当てはめていく、という作業を行ったり来たりして楽曲を作っていきました。
深井 7月に曲ができて、それをもとに歌や振付の稽古を始めたんですけど、子供たちに教えるときの私のパッションが普段通りっていうか、子供たちには強すぎて(笑)、最初のほうは子供たちがポカーンとしちゃって。でも回数を重ねるごとにお互い慣れてきて良い感じで進んでいます。
──子供たちの中には、歌やダンスの経験がある子たちもいるのでしょうか?
深井 そうですね。ダンスや歌を習っている子もいるし、全然やっていないという子もいます。1人障がいを持っている子がいるんですけど、すごく面白いアイデアを出してくるし、踊りもカッコいいから、同じ土俵で闘っている1人として負けたくない!って思ってしまいます!
──4月に活動が始まって約半年間。子供たちの成長を感じるところはありますか?
深井・糸井 はい!
深井 子供たちの目がすごくキラキラし始めて、歌も踊りも教えるとみんなちゃんと覚えてきてくれるんです。親御さんも一緒に家で練習してくれるらしくて、家族で楽しんでくれてるんだなってわかるし、発表会に親御さんも参加したいと言ってくれて、それもうれしかったです。
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博物館の固いイメージが変わった!